ホリデイ現役添乗員日記

近畿日本ツーリスト ホリデイ現役添乗員が新鮮な情報をそのまま皆様にお伝えします

2010年 ベストショット10 (ヨーロッパのおすすめ)

2010-12-30 09:47:59 | ホリちゃんその他
ホリちゃんです。早いもので、クリスマスもあっという間に終わって、今年も残すところ2日だけ!! さて、今年最後のブログとなります。ホリちゃんも、デイちゃんも年末年始は本業の添乗でヨーロッパへ飛んでますので。
 さて、今回は、ホリちゃん自慢のベストショット10を選んでみました。我ながら良い写真だな!と自画自賛している場所ですから、そのまま、ヨーロッパのおすすめポイントにもなるんではないかと期待しています。では、早速トップバッターとして、
<第10位>ウィーン(オーストリア)

        

シュテファン寺院近くのグラーベンという整然として美しいショッピング街で、王宮に通じるメインストリートです。カフェはじめ、ウィーンの町を何度かとりあげたので、おなじみですが、こういう景観に愛着があって、好きですね。

<第9位>ザリビエ(ポーランド)

        

ポーランドの小村です。街全体がこういうフラワーデザインとペインティング・アートのきれいな家の集まりで、他では見ることのできない景観です。

<第8位>トレド(スペイン)

        

スペインはヨーロッパの中で特異な存在です。800年間イスラム教徒に支配された経緯からか、今でも半分アラブの雰囲気なのです。個性的観光地がいっぱいですが、スペインで1か所しか行けないのであれば、迷わず、昔の首都、トレドといわれます。

<第7位>逆さマッターホーン(スイス)

       
        

名峰マッターホーンの日の出を拝みに行くツアーの帰り、ハイキングコースを歩きながらとった写真です。小さなオブジェができてしまって、邪魔だと不評でしたが、写真のベストショットの場所であることに変わりありません。

<第6位>ショパンの家(ポーランド)

        

今年は、ショパン生誕200年のメモリアルイヤーで、ふだんは飛んでいない、ポーランドへの直行チャーター便のツアーがでました。ショパン愛好家のホリちゃんとしては、
ショパンの生れ故郷、シェラソヴァヴォラを落とすわけにはいきません。写真のショパンの生家は現在、博物館の扱いです。

<第5位>ブタペストのくさり橋(ハンガリー)

       

「ドナウ川の真珠」と称えられるブダペストの景観、それも中心をなすくさり橋、しかもライトアップされた夜景は、見た人に「来て良かった」という満足感を与えます。

<第4位>アルプス空中散歩(スイス)

        

フランス側のシャモニーから、ロープウェイを伝わって、イタリア側へ行けるのですがエギュ・デュ・ミディという山頂近い展望台から、ロープウェイに乗って眺める下界は絶景で、息をのむ美しさです。では、いよいよ、ベスト3にいきます。

<第3位>ノイシュヴァンシュタイン城

        

よく知られた白鳥城です。地元のミニバスが運航されている、雪が来る前のシーズンにマリエン橋まで来ると、こうした航空写真のようなショットがとれますよ!

<第2位>チェスキー・クルムロフ(チェコ)

        

世界遺産の中小都市の中には、中世的なメルヒェンチックなたたずまいを残すこんな見どころが満載です。チェコでは、プラハ城に次いで、2番目に大きな城をもっていますが、城もさることながら、街の景観が素晴らしいです。

<第1位>ルーブル美術館(フランス)

        

この写真がいちばん美しいと思っているわけではありませんが、ヨーロッパ中の人たちが、いきずまったときにいつもそこに立ち帰る精神的原点として、パリは特別な都市です。さらに、現在でも、EUの枠を超えて世界に影響力を持つ、パリのカルチャーと発信力に敬意を表して、かつてのルーブル宮殿と今では象徴的モニュメントになったルーブル美術館のピラミッドを最後にとりあげました。

では、みなさん良いお年をお迎え下さい。いちばん行きたいところへ海外旅行に行く夢をみたら、正夢ですよ。その際は、早々とホリデイツアーに申し込みをすませることが夢の実現につながります。


           

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「美人すぎて」世界遺産になれないローテンブルク

2010-12-28 21:39:48 | ホリちゃんドイツ
こんにちは、ホリちゃんです。ホリちゃんが初めてドイツ、しかもロマンティク街道のバスツアーに仕事で行ったのは、ずいぶん昔です。ぺいぺいの新人とは言いません。新人には無理な仕事ですから いつ頃かは言いません。歳がわかりますから そんなに簡単に年齢を教えるものか

        

まあ、そんなことはどうでも良いです。昔も今もローテンブルクの町は美しい、中世的、メルヒェンティック、その印象は変わりません。

       

市庁舎前のたたずまいも全く変わりません。今も昔も人に例えたら、「美人」都市ですね。ヌッシュという市長が、戦災から町を救ったというエピソードがあるおかげで、そのエピソードの「寸劇」が行われる時間には、けっこう大勢の人が市庁舎前に集まってきます。

       

17世紀、ドイツだけでなく外国も巻き込んで、全ドイツがカトリック側とプロテスタント側に分れて闘った「30年戦争」という過去最大の宗教戦争が背景です。プロテスタント側のローテンブルクは、カトリック側のティリー将軍に攻め込まれて、町が崩壊寸前までいったときに、土地の料理とワインで将軍をもてなす「懐柔策」をとるわけです。
将軍は、気がゆるんだのか、面白い提案をします。もてなしを受けた部屋に飾ってあった「選帝侯の大杯」と呼ばれる3.25リットル入りのワインを一気飲みできる者がいたらこの町を救ってやろうという提案です。どうせ、だれもできっこないという油断が透けて見えるようです。何とその提案にのって一気飲みに成功したのが市長で、結果として市長が町を救ったことになります。

       

わずか1分半くらいで終わってしまうので2度見る必要はないけれども、1度は見ないと気がすまない!というのが、みんなの感想です。 

       

今回は、クリスマスマーケットの時期に行ったので、寒さをしのぐため、みんな屋台名物の「グリューワイン」を飲んでいます。マグカップで飲むワインの熱燗ですね。

      

私たちが行った日は運よく少年たちの吹奏楽団の演奏でクリスマス気分を高揚させることができました  

市庁舎前の広場はマルクト広場と呼ばれますが、ローテンブルクもマルクト広場がクリスマスマーケットの開催地です。

       

        

お店やホテル、レストランの飾付けを見ても、クリスマスならではのデコレーションが目をひきますね。

       

もともとの美人が、クリスマス化粧のメークアップをさらに洗練させたようで、町歩きしていてとても楽しいですね、クリスマスの季節は

       

これだけ世界中から、観光客がやって来る世界的観光都市でありながら、何故かユネスコの世界遺産に指定されていないのはどうして?と、考えてしまいますね。世界遺産に詳しい人に聞くと、ローテンブルクの町は、第2次大戦で連合国軍の標的となって、徹底的空爆を受け、町の80%以上が破壊されたと言います。つまり、今の町は、「戦後の作品」であるわけです。城壁も、城門も、建物も、看板も、泉も、「中世時代はこうであった」という正確な復元ですし、識者や市民の想像力のたまものの側面ももっているわけですね。そのあたりが、「本物(オリジナル)」大好き、「イミテーション」嫌いなユネスコのお気に召さないのかも?

        

では、プラハはどうなのか?やはり、「古いものが保存されている」という評価で、世界遺産ですね。 チェスキー・クルムロフもそうですね。

       

ではポーランドのワルシャワの旧市街広場は?あそこも、ナチス・ドイツの蹂躙で、80%どころか、100%破壊されたところですね。ということは、100%戦後の再建・復元のたまものですね。その100%の徹底ぶりと詳細な復元の技術が、ある意味、芸術と同じように評価されて、こちらは世界遺産です。

       

ドイツにはまだまだ、世界遺産登録の希望を出していないし、リストアップもされていない、しかしとても個性的で美しい都市がいっぱいありますよ。個性的なドイツの中小都市をたくさん見て歩くのに、ホリデイのドイツのバスツアーはチャーターですし、「ゆったりシート」だから、便利で快適ですよ。もちろん、長い道中、退屈しないように、ホリちゃん、デイちゃんの仲間の現役添乗員が大活躍します。         ここをクリックしてみて下さいね

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オーロラは根性、根性、ど根性

2010-12-27 01:41:50 | デイちゃん北欧
デイちゃんです

さてオーロラツアー「憧れのオーロラと沿岸急行船の旅」の2日目
宿泊はアビスコ国立公園の真っただ中
まわりには本当に何にもなく真っ暗で
オーロラ見るのには絶好のホテル

あまりに何もないので
夕食はキールナのスーパーで買い出ししたり
ホテルの売店でお菓子や飲み物を買ったり

日本から持参したカップラーメンを食べたり
ホテルの人も
「夕食をレストランで食べたければ朝の内に言ってね
キールナまで食材を買いに行くから」だって
なんてったってキールナから100キロ離れた国立公園の中
ホテルの人もいろいろ大変なのだ


でもオーロラ観測にレストランでの夕食は不要
北欧は人件費が高い人が少ないサービスがとろい
ゆっくり夕食をとっているとうっかりオーロラを見過ごしてしまうのだ

なのでオーロラは・・・
1に根性、2に根性、3、4、がなくて5に根性
勢い余って文字が大きくなってしまったが
ベルサイユ宮殿みたいに予約をしていれば誰でも見られるという代物ではなく
オーロラは自然現象太陽のやる気とその日の天候に左右されるのだ
太陽の活動が盛んなことと雲がない星が見えることが条件
だから外でじっと待つ・・・
じっと待つ・・・
じっと待つ・・・
じっと待つ・・・


暗くなったらチャンスがあるので
外で空を見上げてオーロラを待つのだが・・・
寒い!!!

結局この日は24時過ぎまで6時間もねばったが・・・
オーロラは出ず
幸いこのホテルには暖かい待合室があり

椅子もテーブルもあるのでカップラーメンもお湯を貰えるので食べられるし

何よりすぐホテルの裏側の暗い見晴らしの良い場所に出られるので
誰かが一言
オーロラが出たぁ~と叫べば
みんなが見れる理想的なホテル


ああ見たかったなあ~
でもまだあとチャンスは3日間ある
諦めないでハシュタとトロムソに懸けましょう
幸い天気予報はなんとかなる~
エイエイオ~と掛け声ばかりは勇ましく
その日は疲れて寝たのでした

さあ果たしてデイちゃんたちはオーロラを見れたのか
続きはまた今度

ホリデイのオーロラツアーにご興味をお持ちの方は
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ウィーンのカフェの満喫の仕方

2010-12-26 10:02:23 | ホリちゃん中欧
ホリちゃんです。ウィーンに行く度に、あの町を歩く度に、カフェの歴史や奥深さに想いを馳せています。

        

ウィーンは基本的には「音楽の都」です。

       

国立オペラ座のようにドレスアップが要求されるオペラハウスがある一方で、貴族的雰囲気があっても、ドレスコードが厳しくなくて、そのまま普段着で入れるのが、ウィーンのカフェの良さですね。

       

ウィーンフィルの本拠地「楽友協会ホール」のような有名なコンサートホールがある一方で、「音楽の都」ウィーンには、コンツェルト・カフェというものがあります。
昔から、シューベルトやヨハン・シュトラウスが自作を演奏したように、コンサートや生演奏を開催するカフェをこう呼びます。 

       

もうひとつ、今の時代に「カフェ」というものが、町と市民の間に溶け込んでいて、ほとんど「町の風物詩」にすらなっている都市がパリです。パリでも、ウィーンでも、カフェの役割は3つあります。①喫茶店として、お茶する役割、②レストランとして食事する役割、③居酒屋として、一杯飲む役割、ホリちゃんはそれに加えて、人が集まり、情報交換し、おしゃべりを楽しむ役割を付け加えます。

       

ナッシュマルクトのような庶民的な場所はもちろんのこと、貴族的な雰囲気なカフェでも、おしゃべりを通したコミュニケーションや情報交換は大切なカフェの存在意義です。

       

ビリヤードを通じて、長時間コミュニケーションをとることができます。

       

情報交換の場として、新聞・雑誌もたくさん置いてあるのが望ましいとされています。
それだけでなく、ウィーンには、「政治カフェ」や「文学カフェ」が昔からあって、
政治運動を広める「結社」や文学論・芸術論を闘わせる「サロン」としても、一定の社会的役割を果たしてきました。

        

日本人が行くカフェには「名門カフェ」が多くあります。独自のスイーツ「インペリアルトルテ」を出すカフェ・インペリアル、チョコレートk-キのザッハトルテの老舗「カフェ・ザッハー」などですね。

        

ザッハーはホテル兼レストランもあって、食事もできます。

       

オペラ座近くの「カフェ・モーツァルト」も人気が高いようです。

       

町歩きに疲れたら、ほんのちょっとでも足を休めてスイーツを楽しみながらお茶を飲むのも楽しみですね。そのために、ウィーンには、お茶を飲むカフェ・スペースを設けたお菓子専門店があります。「カフェ・コンディトライ」と言います。

       

ウィーンのカフェに特有のサービスとして、アインシュペンナーやザッハトルテをセットで頼んだりすると、銀盆に水をグラス一杯持って来てくれます。アルプスの雪解け水と遜色ないおいしい水です。

        

ウィーンの環状線(リンク通り)の内側は、魅力いっぱいです。シュトラッセンバーンと呼ばれる赤い路面電車はそれ自体が風物詩です。

       

       

ぜひ、ホリデイツアーでウィーンへお出かけになり、町歩きを楽しんだ後は、カフェにとびこんでみて下さい。きっと、あなたのお気に入りのカフェがみつかることでしょう。

                
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オーロラツアーはオーロラだけが楽しみじゃない

2010-12-25 07:03:42 | デイちゃん北欧
デイちゃんです

北欧のオーロラツアー「憧れのオーロラと沿岸急行船の旅」に行っていました
毎年冬が近づくとそわそわするデイちゃん
なんたって冬になったらオーロラツアーに行かないでどうする
というわけで行きました一番始めはスウェーデンのキールナへ

途中飛行機が大寒波の影響で全然動かず
これはもう乗り継ぎは無理だと諦めたけれど
どの飛行機も遅れたので
結局ちゃっかり間に合っちゃった

これは今回のお客様は強運かも

到着日は大雪の吹雪で
外にいたら遭難しそうだったので
まあオーロラチャンスは全部で5日
明日があるさと早々に

翌朝は晴れ~
ホリデイのオーロラツアーは夜だけじゃなくて
昼間もちゃんと観光をするから楽しみは2倍

というわけでデイちゃん達は一路アイスホテルへ出発


アイスホテルはその名のとうり、何から何まで全部氷で作られている
近くの川は冬になると自然に凍り
切り出した氷でホテルを毎年作るのだ
そして春になって暖かくなると
氷は自然に溶けて
ホテルはまた川へと戻っていく
だから毎年デザインが異なる


毎年公募で選ばれるアーティストが作るお部屋は特に人気が高く

予約は満杯

でもデイちゃんは知っている
このお部屋に一晩泊るということがどんなものなのか・・・

あれはそう15年位前まだオーロラツアーが珍しかったころ
何も知らないデイちゃんは初めてアイスホテルに一泊

でも奇妙なことに
アイスホテルとは別に同じ敷地にあるホテルの普通の部屋も予約されていた
担当者いわく「寒かったらいつでも逃げられるように予約してあるから安心して
何をおっしゃるアイスホテルに来て氷の部屋に泊らないなんて意味ないじゃない
ああ無知とはここまでくると犯罪
夜になると・・・

寒いなんてもんじゃない

もちろんトイレやシャワーは真っ暗な外まで歩いて行かなきゃならないし
氷のベットの上にマットレスを敷いてはあるものの
その上に敷くトナカイ君の毛皮がまあ臭いこと臭いこと

寝袋にくるまっても獣の匂いに耐えられず

眠るどころの騒ぎじゃない
その時は夜空一面におっきいオーロラが出ていた(らしい)が
記憶に残らないほどきつかった

翌朝最後までアイスホテルで頑張ったのはデイちゃんともう一人のお客様だけ
あとは皆さん早々に暖かい部屋に
添乗員だから頑張らなきゃなんて意地張ったけど
いやもう拷問死ぬかと思った
あれ以来アイスホテルは昼間見学するもの
まあこのお部屋も素敵~

ああこのお部屋に泊ってみたい~

これが正しい見学の仕方でございます

近くにはサーミ人が造ったユッカスヤルビの木造教会もあり

祭壇画にオーロラをデザインした民族衣装を着たサーミの人々が描かれていて

とても興味深い



ホリデイなら全部楽しめちゃう

オーロラはどうしたのですって
続きはまた今度(まだまだ続くよどこまでも~

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古き良きロワールの時代

2010-12-16 17:59:03 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。フランスの話題です。セーヌ川とパリは知っているけれども、あと、フランスではどこがお勧めですか?ときかれることがあります。今、一世を風靡しているのは、この前お話しした世界遺産修道院、モン・サン・ミッシェルです。

       

このモン・サン・ミッシェルと関連して、北のノルマンディー地方やブルターニュ地方がセットでツアーに組み込まれるケースが多いです。ですが、そうした地域が、本当に
人気スポットかというと、そうでもありません。ルーアンなんかにいたっては、ツアーに入っているから、とりあえず来てみたという人が多く、その程度の認知度かとがっかりすることもあります。昔、港湾都市でならし、著名な探検家を生んで、今の、カナダのセント・ローレンス川を遡り、ケベック・シティやモントリオールの町づくりとも関連があるサン・マロの町などは、「何、それ?」と無関心だったのを、行ってみてきれいだなと、納得してもらえるケースが多いですね。やはり、行く前からもよく知られ、ツアーが始まってからも、わくわく、楽しみにみんなが行く観光地としては、モン・サン・ミッシェルの一人勝ちですね。

       

勝るとも劣らない魅力ある地域としては、ロワールのお城めぐりなどは如何でしょう。まずは、上の写真をご覧下さい。最近行ったときは、ヨーロッパに寒波が来ていて、-2~3度のなかを歩いたので、初夏の緑映える頃とは回りの環境も違いますが、ロワール川のお城としては、最大規模を誇る「シャンボール城」です。最大規模で、外観の見栄えが最も優れているため、よくツアーでもとりあげられるのです。他にいくつものお城を建てていた国王フランソワ1世が建てた「狩りの館」です。それから、国賓をもてなす「迎賓館」としても位置づけられます。昔、「狩り」とか、「狩猟」とかいうと、王様や貴族の嗜みだったので、深い森に覆われた当時のロワール川流域は貴族や国王のお気に入りでした。

       

上の写真は、ホリデイツアーで行くと味わえる「ル・メディシス」というレストランの様子です。ちょっと、貴族的でしょう!それも、そのはず、「ル・メディシス」とは、イタリア語におきかえると「メディチ家」を指すのです。フィレンツェの貴族で、そこから、フランソワ1世の息子のアンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは当時の話題の人です。それでなくとも、イタリアに強い憧れをもち、イタリアを傘下におさめたいと考えて、再三しかけた軍事遠征では失敗するものの、イタリアの造形芸術や絵画、建築などに魅了され、逆に文化的にはイタリアに征服されてしまった王様でした。しかし、フランソワ1世の話は、当時のフランスの事情そのものでした。ルネサンス時代を迎えたイタリアは当時の先進国で、後進国のフランスは、何でもイタリアを師として吸収したものでした。

       

レストラン「ル・メディシス」の近くにブロワ城があります。建築や建物として、専門的にみると「城郭建築の博物館」とも呼ばれ、最も優れています。しかし、ツアーでは車窓観光か、下車観光の扱いです。変わって、優先されるのは、話題性と外観の良さというところです。よく時間をかけて入場観光するのは、シュノンソー城やシャンボール城です。シュノンソー城は、独特の「宮廷内不倫物語」があるので、外観と相まって話題性十分です。

       

シュノンソー城の偉大な主人公の一人だった「ディアヌ・ド・ポワチエ」が、カトリーヌ・ド・メディシスの時代になってから、主人公の交代で追い出され、代わりに与えられて住んだショーモン・シュル・ロワール城というお城もなかなかきれいな外観をしています。

       

相対的に、ブルボン王朝が生まれ、パリやヴェルサイユに主要な王宮・宮殿ができる前の時代をロワールのお城は代表しています。もっと、昔のことですが、あのジャンヌ・ダルクがシャルル王太子と謁見した「シノン城」という中世的要塞そのものというお城もあります。前に「ダヴィンチ・コード」がブームになったときは、フランソワ1世が傾倒していたレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに呼び寄せ、ダヴィンチのために建ててあげた「クロ・リュセの館」とか、それと関連したアンボワーズ城などに良く行ったものでした。しかし、年度は変わっても、いつでも人気なのは、どうしても、外観の美しいお城ですね。シャンボール城の写真をとるために、お城の前に立ったならば、良い写真のとれるお城に人気が集まるのもよくわかると思います。

       

ぜひいちど、ホリデイツアーでフランスへ、そして、ロワールのお城巡りを楽しんでみて下さい。

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B級クリスマス市グルメ

2010-12-13 01:10:33 | デイちゃんドイツ
デイちゃんです

本当のことを言うと
デイちゃんには初めクリスマス市とは違うツアーがアサインされていた
でも・・・今クリスマス市に行かないでいつ行くんだぁ
控え目ながらもアサイナーに懇願し(抗議とも言う
ドイツのクリスマス市に行かせてもらったのである

だって、12月にクリスマス市に行かないなんて
クリープを入れないコーヒーのようなものだから

屋台にはとってもかわいいグッズがた~くさん
あなたのこと好き
やっぱり嫌い
まあまあそう言わんと
仲良くせなあかんで~
にんじんあげるから(って、デイちゃんコレクションで遊んでみました

他にもいろいろ~
胡桃人形がずら~り
首から下げるクッキーには愛の告白の文字も
屋台の屋根には早くプレゼント届けなきゃ~と焦っているトナカイ君も

おいしいものもた~くさん
おいしそうなパン
おいしそうなソーセージ
おいしそうなチョコレートがけフルーツ

寒かったら温かいグリューワインはいかが
楽しそう~
よく見ると今年のフランクフルトのカップには~
なんと神聖ローマ皇帝がサッカーボール持ってる
さすがサッカー王国
他にもいろんな
バージョンがあるの~

めちゃ楽しいけどおなかがすいたデイちゃんが
数ある屋台の中から選んだ今年の一押し屋台は~
チーズフォンドュ屋さん
目の前でチーズを溶かし
温めた器にチーズを入れ
パンを刺して
いただきま~す

ああこれだからクリスマス市はやめられないとまらない


皆様も是非是非クリスマス市にホリデイで来て下さいね~(来年お待ちしております~
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今も昔も超人気!のモン・サン・ミッシェル

2010-12-12 17:45:52 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。今日は、フランスの世界遺産修道院、モン・サン・ミッシェルの超人気の秘密をいっしょに見ていきましょう。

     

まず、このような、富士山に良く似たきれいな三角形のシルエットが日本人の美意識をくすぐります。それでいて外観の美しさは世界中の人を納得させられる普遍的な美しさをもっているといえるでしょう。

       

バスの車窓からも、近くに見えてきたらわくわくするため、大体このあたりで、みんなの要望に応えるために、バスを止めて、写真をとってもらいます。ご当地フランスでは、「建築物・史跡」としての価値も評価されていて、1979年には、ユネスコの世界文化遺産に指定されています。

        

「モン・サン・ミッシェル」という地名は、3つのパートにわかれています。まず、「モン」は「山」です。英語のマウンテンという言葉のフランス語です。参考までに、「モン・ブラン」とは、「白山」のフランス語ヴァージョンです。次に、「サン」は「聖なる」若しくは「神聖な」という日本語が該当します。最後に、「ミッシェル」とは何か?これは、ヘブライ語で「大天使ミカエル」を表すわけです。つまり、「モン・サン・ミッシェル」の意味は「聖なる大天使ミカエルを祀る山」ということになります。では、日本人にあまりなじんでいるとは言えない「大天使ミカエル」とは何でしょうか?

        

この修道院の尖塔の上のも、実は重さ400Kgのミカエル像が、突き出るように乗っています。この大天使ミカエルが登場するのは、新約聖書のフィナーレを飾る「ヨハネの黙示録」です。偉大な芸術家たちが描いた「最後の審判」や「天国と地獄」の概念が迫真的リアリティーをもって描かれるところです。ミカエルは、悪魔の象徴であるドラゴン(竜)と闘い打ち倒すため、騎士のかっこうをして剣をもっています。また、魂の正邪の判定を行うために秤をもっています。

        

ヨーロッパにキリスト教というものが定着していくとともに、”天国に導かれたい”と強く念じる庶民の間に、ミカエル信仰も定着していったのですね。ところで、修道院ができる前は、どうなっていたのでしょう?大昔から、修道院があったわけではありませんからね。あの外観の美しい修道院が建つ前は、トンブ山(フランス語で「墓の山」)とよばれ、山の上には何もなかったのです。ここから、20Km離れたアブランシュの教会
の司教をつとめていたオベールの夢枕に大天使ミカエルが現れ、「自分の御体を祀る聖堂を建てよ」とお告げしてから、この地の長い歴史が始まりました。オベールは単に、
夢物語として聞き流していたところ、3度目に現れたとき、ミカエルが怒りをあらわにして、オベールの額に穴をあけ、鮮血が流れたという伝説の壁画があります。

        

さすがにオベールもアクションを起こして、最初にモン・トンブの山の上にミカエルを祀る小さな聖堂を建てました。8世紀初めのことです。その後、ミカエル崇拝と密接なつながりをもつイタリアのベネディクト派の修道士会の布教活動があって、モン・トンブの小さな聖堂から、知名度の高い修道院として発展していったのです。修道院の内部見学では、個性的な場所が見られます。

        

修道院建築の粋の部分はフランス語でメルヴェイユ(驚異)とよばれます。ピラミッド型の山のてっぺんに修道院が建っているわけですから、プラットホームの役割の礼拝堂や通路、柱で支えています。花崗岩の堅い岩盤が建材です。

        

        

でも、中を見学して気づくのは、がらんどうで、煌びやかな装飾はもはやないことです。フランス革命の時代、革命政府が修道院活動を停止させて、監獄に転用したからですね。財宝的価値のあるものは全て持ちだされ、代わりに監獄時代の囚人労働の道具が残っていたりして、殺風景です。

       

       

写真のような大車輪に囚人たちがローテーションを組んで入り込み、滑車や巻き上げ機と連動させた大車輪を足で絶えず踏んで、重いものを下から引っ張り上げる肉体労働をさせられたのですね。

中が殺風景なのが若干残念ではありますが、建築物、史跡としての価値はすばらしく、外観も美しい修道院です。モン・サン・ミッシェルの位置は、ノルマンディー地方とブルタ-ニュ地方の境目にあって、珍しいお土産もメインストリートのお土産屋さんで買うことができます。

       

周りは遠浅の海になっていて、潮の干満の差を目でみられるのも魅力ですね。

       

お土産は、酪農王国ノルマンディーらしく、チーズ、特にカマンベールの発祥の地で有名です。また、地元の名士、プーラールおばさんの絵柄のバターをたっぷり使ったバタークッキー、地酒では、シードル(りんご酒)、カルバドス(シードルの蒸留酒)などがあります。また、ホリデイツアーでいらっしゃると、プーラールおばさんが創業してから地元の名物料理となったオムレツ料理もまちがいなく賞味できます。ごいっしょにモン・サン・ミッシェルの旅へ行けますよう、お待ちしています。ちなみに、モン・サン・ミッシェルは、季節に関係なく1年中楽しめます。モン・サン・ミッシェルのホテルに宿泊できるツアーもありますから、パンフレットを見て、お近くの販売店に相談して下さいね。
 
        

最後になりますが、ミカエル信仰の広まりとともに、昔から聖なる巡礼の地として栄え、今では世界遺産ブームもあって、フランス観光のメッカとして、世界中から多くの観光客が訪れています。ホリデイツアーは、お気軽にいつでも申し込めます。
   
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ジャンヌ・ダルクが昇天した町、ルーアン

2010-12-10 23:15:40 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。今日は、フランスの北、ノルマンディー地方の主要都市、ルーアンをいっしょに見ていきましょう。パリを出発し、パリでいちどお別れしたセーヌ川は、再び、ゆったりした流れとなってルーアンで姿を現わします。700Km以上あるフランスでも3番目に長い川ですね。ところで、この町の古い家並みを見た時、ドイツのロマンチック街道諸都市と似た雰囲気を感じるんですね。

   

こうした木骨組の家々は、ノルマンディーの特徴ですが、ロマンチック街道や、ドイツの影響を受けた独仏国境の町、例えば、シュトラスブールなどでもみられる景観です。

   

旧市街広場も、このように整然とした中世的雰囲気をもっています。旧市街広場とルーアンの大聖堂は歩行者天国のメインストリート1本で結ばれています。その中間に「黄金の大時計」があることから、「大時計通り」とも呼ばれています。

   

   

ルーアンの大聖堂は、ノートルダム教会とも呼ばれ、パリのノートルダム寺院はじめ、フランス主要都市の大聖堂と同レベルです。カトリック教国、フランスの国民にとって聖母マリア崇拝はとても大切です。聖母マリアに捧げる、その町NO・1の大聖堂は大司教直轄の一番由緒ある教会で、カテドラル(=大聖堂=ノートルダム寺院)と云います。ルーアンの大聖堂は、「睡蓮」の連作で有名な印象派の画家、クロード・モネが、刻々と変化するファサードの光と色調の推移を時系列の連作で描いてから、特に訪れる人が増える名所となりました。

   

ルーアンの町の起源は、中世時代にさかのぼります。北欧から温暖な気候と豊かな食料を求めて、毎年ヴァイキング船の船団を組んで略奪行為にやって来るノルマン人(北方のゲルマン民族)に手を焼いたフランス国王が、フランス国内に一定の領土を与えるのを条件に、略奪行為をやめさせるという妥協政策の結果、生まれたのがノルマンディー公国です。その後、ノルマンディー地方の主要都市として発展し、セーヌ川の水運は、経済や物流の大動脈でした。カルチャー度の高い町でもあり、古典劇の権威、イギリスでいえばシェークスピアに匹敵するコルネイユ、フランス文学史上、不朽の名作「ボヴァりー夫人」を書いた作家のフロベールを生んだ町であることは忘れられません。しかし、フランスの救世主、祖国フランスを救った国民的英雄であり、火刑台に散った「悲劇の乙女」ジャンヌ・ダルクとこの町との因縁めいた、悲しい結びつきは知らずにはすまされないものでしょう。

   

ジャンヌ・ダルクはもともと、ノルマンディーとは何の関係もない、ロワールのお城とも何の関係もない、ドン・レミ村の出身です。ドイツ寄りのロレーヌ地方とシャンペンの原産地シャンパーニュ地方の境目です。そこで、ジャンヌは、糸を紡いだり、農作業を手伝ったりして暮らす平凡な娘でした。

     

それが、何故か13歳のときに、「フランスを救え!」という神の声をきき、16歳でそれまで想像すらしなかった、武器をとる「戦闘」を経験し、英仏100年戦争で降伏寸前に出てきて、イギリスからフランスを救い、シャルル王太子のために、「献身的」を通り越した自己犠牲をはらい、国王の地位につけるため、戴冠式まで出席した伝説の人でもあり、実在の人物です。今、フランスの主要都市の目抜き通りには、ジャンヌ・ダルクの騎馬像があるところがたくさんあります。世界遺産修道院の町、モン・サン・ミッシェルのメインストリートにも、町民の教会の入口にジャンヌの像が見られます。

     

結果として、国王に裏切られ、ルーアンの町で捕えられ、陰謀にはめられて、裁判の結果「魔女」であると断定され、当時、「魔女」であると断定されたものが例外なく火あぶりの刑に処せられたように、ジャンヌもルーアンの旧市街広場で火刑に処せられたのです。
     

旧市街広場は市の立ったマルシェであり、商人たちの活気ある取り引きの場であり、一般市民にとっても、社交場であり、それなりに重みのある生活空間だったはずです。しかし、その広場にそびえ立つ十字架は「処刑現場」の象徴なのです。。もっとも、ジャンヌの死後、復権裁判が行われ有罪判決は無効とされ、ヴァチカンも聖者に認定し、聖人に列せられたジャンヌは、この地で殉教し、昇天し、イエスと同じように「救世主」として国民的英雄となったのです。

     

20世紀になってから、フランス国民は、聖者に列せられ、国民的英雄となったジャンヌのために記念教会を建てたのです。イエスの贖罪のように、「処刑の象徴」である十字架と、「復権の象徴」である記念教会が同じ旧市街広場で鼻を突き合わせているのも、ジャンヌ・ダルクが生涯を閉じ、昇天した町、ルーアンの象徴なのでしょう。

      

ぜひ1度、ホリデイツアーでフランスのバスツアーへお出かけになり、ルーアンの町で、「悲劇のヒロイン」でもあり、「国民的英雄」と評価されているジャンヌの息吹に触れてみませんか?

       
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ゴッホの街、オーヴェル・シュル・オワーズ

2010-12-08 21:32:07 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。フランスへ久しぶりに行きました。ちょうど、ヨーロッパに寒波が来ていて、日中でも、マイナス2~3度の中を、時折、雪に見舞われながら歩くコンディションのあまり良くないツアーとなりました。
 

オルセ美術館に上の絵があります。ゴッホの「オーヴェルの教会」という作品です。この作品に描かれたオーヴェル・シュル・オワーズの街にやってきて、ホリちゃんは、あらためて、ゴッホという芸術家の日本人に対する根強い人気を再認識させられたのでした。実際の教会も作品そのままのイメージでした。

   

  

ツアーは2日目。時差で眠りが浅く、しかもマイナス3℃という厳寒の中で、フランスのバスツアーで最初に訪れる町が、ゴッホの家があるというだけで他に何の変哲もない町、しかも、最初の予定が「お墓参り」とあっては、参加者のヴォルテージも下がる一方だろうと思って、早くこの町を出たいと一方的に思っていました。

 

周りは、ゴッホの作品に描かれるような荒涼たる麦畑の雪景色でした。

   

   

ところが、この荒涼たる景観も、晩年のゴッホの作品のイメージとオーバーラップするからこそ、感動をよぶのです。ゴッホの作品も仕事へのモチベーションも一番充実していたのは、太陽陽光を求めて、南仏のアルルにやって来たときでした。有名な「向日葵」も、色彩豊かな「種蒔く人」も「夜のカフェテラス」も、みんなよく知っている作品はアルル時代の作品です。しかし、ゴーギャンとの共同生活が決裂し、「耳削ぎ事件」を起して、仕事上の孤独感と、躁鬱病が悪い方向へ進んでしまったのもアルル時代です。サンレミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院でも病癒えなかったゴッホが最後にやって来たのが、オーヴェル・シュル・オワーズでした。粉雪が舞って、一面の雪景色を見ていたホリちゃんは、突然、ゴッホが、初めて南仏、アルルへやってきたその日が数十年ぶりの大雪だったことを思い出しました。波乱万丈なこの画家の生涯を象徴するかのようでした。

    

ゴッホのお墓は、街の小高い丘の上にあり、共同墓地にあります。生涯、精神面でも、財政面でも兄をバックアップし続けた弟のテオといっしょに葬られています。ゴッホが
オランダのプロテスタントの牧師の息子であることは、知らない人もいます。主な活躍の舞台がフランスだったから、フランス人と思っている人も多いようです。生きているときは、貧乏画家そのものでしたが、兄の偉大さをよくわかっていた弟のテオの遺言でお墓は並びあっていっしょに眠っています。

   

このお墓参りを含めて、参加者がこの町での滞在を予想外に喜んでくれたのがとてもうれしかったです。何しろ、ちょっとした散策ルート、地元の人にとっては、特別珍しくもない散歩道も、みなゴッホが作品のテーマにとりあげた風景として、そこにあり、我々に芳香を放っているのです。例えば、この小村の村役場は、こんなに素敵です。

   

何気ない散策ルートも、我々のように異文化を背景にもつ国から来ると、とても魅力的です。

   

   

もう一人、フランス絵画史上に残る画家「ドーヴィニー」もオーヴェルの出身ですが、残念ながらこちらはあまり注目されていないようです。しかし、この町の観光案内所はドーヴィニー博物館を兼ねています。

   

そして、最後に「ラヴー亭」とよばれるゴッホの家を紹介します。ゴッホは、精神病の名医ガッシュ博士がいるパリに近いということで、友人のアドバイスでこのまちにやってきます。そして、ここの屋根裏部屋に間借りして住んだのです。当時のまま、1階はカフェ、上階はゴッホ記念館の扱いです。ゴッホは、1890年、37歳の短い生涯を終えますが、ここに住んでから2カ月の間、集中的に2カ月で70点の作品を完成させたのです。毎朝、画材道具一式持って出かけ、カンバスに向かって絵を描き続け、ある日突然、ピストル自殺を遂げて帰らぬ人となるまでの、悲しくも胸を打つ生涯を作品のイメージとオーバーラップさせて、皆楽しんだようです。どうぞ、ホリデイツアーでフランスへお出かけになり、今回の参加者が口々に「来て良かった」と喜んだのと同じ感動を共有してみませんか?




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寒いけど心は温まるクリスマス市

2010-12-06 02:42:11 | デイちゃんドイツ
デイちゃんです

ドイツのクリスマス市のツアーに行っていました

楽しかったけど忙しかった
3泊5日で、ハイデルベルグ、ローテンブルグ、ミュンヘン、ノイシュバンシュタイン城、ニュルンベルグ、バンベルグ、ヴュルツブルグ、フランクフルトと
クリスマス市だけじゃなく観光も入るから
真冬だけど冷や汗もの
しかも大寒波と大渋滞のおまけ付き
寿命が何日か縮まったかも


きっついツアーをきっちりこなすには
手配の正確さと熟練した道をよく知っている運転手さんはもちろんだが
お客様のご協力も何より重要
特にクリスマス市みたいに自由時間が多いツアーは
時間どうりに集合していただけないと
収拾がつかなくなる


クリスマス市の屋台は楽しいししかも大混雑しているから
まっすぐ歩くこともままならないし時間もすぐたってしまう


でもそこがツアーのおもしろいところで
初めのうちは何人か遅れてきても
段々全員の心がひとつになって
最後の方は時間に間に合うように
雪道で滑りやすいというのに
走って戻ってきてくれたりする


たった3泊5日の短いツアーでも
お客様全員で一致団結して行動していただけると
ああ、添乗員やっていて良かったな~としみじみ思ったりする
成田で最後のお別れをする時も
なんだか一緒に闘った同志みたいに
離れがたい気がしてしまうのだ


またお会いしたいなあ~
本当にね~また来て下さいね~

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