今朝は2度と温かい朝でした。 昨日からは、6度も上がった事になります。 昨日の零下4度の庭の氷はどうした事でしょうかね。
今日はかみさん達の部落会「クリスマス会」(ご馳走4種類と,お土産と,ケーキと,コーヒー)で、朝早くからかみさんは、自分で作った「クリスマス飾り」を持って出かけました。 「父さんは?でるの?」と聞かれたのですが、此の後の食事会には何時もの事で「男性は出席しない」ので(唯一、出そうな男性が、元消防団長のオッチャンと、元町議の兄ちゃんの2人だけ・・・)私はお断りしましたです。
所がです…11時頃「携帯に電話が有り」代わる代わる・・・近所の4人のご夫人達から「テッチン出ておいで!・・・」@1千円もって来や・・・で,結果・手ぶらとも行かず?スーパーでワイン2本を買って出席です。
スーパ−から,集会所迄は距離が有ったので、誰か通りががらないかと歩きながら物色中,居ました!です。 三ツしもののおばさんが,ある家の「玄関ベル」を鳴らしているのです。 「其の家は大概夫婦で集まりに出てるので・・・」其のおばさんに・・・「の集会所には、夫婦が居る筈や。私を積んで行ってや・・・」で、送ってもらったので助かりましたです。 写真は18人出席のクリスマス会です。
JR・四国は2日、「特急形気動車」の新型車両2600系(各座席にコンセント、パソコンを使用可の大型テーブル)の出発式を開催しました。 同車両は高松駅11時7分発・徳島駅12時13分着の特急「うずしお9号」定期列車としての営業運転も、おもに高徳線で運行される特急「うずしお」で、デビューです。
我が高知県を走る「土讃線」では・・・走行試験の結果、連続する曲線の多いので、「空気バネ方式」では、容量の確保に課題があると判明・・・「振り子型」(開発中)になるそうです。
(「高知県」後回し、何かと云えば、毎度の事ですので・・・諦めています?土佐守・紀貫之(平安朝・930年)「土佐日記」(漢文日記を仮名和文に変えた新しい和歌)の地で,四国山脈が大きな壁ですね。 「和歌」:影みれば 波の底なる久方の 空こぎわたる われぞわびしき。・・・ちはやぶる 神の心を荒るる 海に鏡を入れて かつ見つるかな)
大分県北部14戸の「小さな集落」が「村八分」騒動・・・自治会がUターンした移住者の加入を拒んでいるらしい。 やり方は,実に陰惨ですね・・・「市報の配布と、行事の連絡」をやめたそうです。
一方、自治会側は「行事参加やごみ集積所の使用は拒否していない」との反論です。・・・でも、船場商人の教えを受けた・Uターン組の私からすれば,「移住者」(死に真似! 和而不同が使えない人)にも問題が有りそうです。
この津野町でも、生活は「コップの底」(都会の空気・町の習慣知らず)もどきなんです。 外に出て暮らした事は無く,生まれも、育ちも,死ぬのも其の地の範囲に限定されている方々が多いです。
「和して同ぜず」で、其所に「する」・・・其所に「身を置く謙虚さ」(表向きで良いです、諦めの境地)が絶対に必要なのです。
私は移住後の7〜8年間は、着飾らず・・・,目立たず・・・,ボランテイアに・・・精出しました。(数年間の間は「部落集会」の食事の時には毎回「鰹」とか,「献上酒」を寄付しました…それは、寄付者の「名前」を読み上げてくれるからです・・出席者から「拍手」も頂けます) そして・・・ボロボロの百姓着で、誰彼無しに野菜の作り方の教えを請いました。(例え解っていても、何度でも,何人にでも・・・訊ねるのです。「会話の糸口」になるからです)
ご近所の付き合いでは,作った物の頂き物が本当に多いです。 作ったものには「時期が有って」頂き物は、必ずだぶります・・・私とかみさんは,頂いたら直ぐに「部屋」に入れました。 何故かというと,持って来た方が「アレー、有ったんやね!」と、残念がるからです。 人目につかない所へ隠しておいて・・・「ありがとう! これは有り難い、初もんや」です。(「善意の嘘」は、付き合いの大事です。・・・例え手持ちが有っても「嬉しそうに頂く」のです。今でも「有るから要らない」とは、絶対に云った事が有りません)
ほろ苦い思い出も有りました。 以前、京大卒・高知工場長だった亡き先代の社長を案内して,古巣の工場に行ったのですが・・・工場のスタッフ事務所も,現場もの殆どが土佐人!・・・以前,工場長時代に何が有ったかは知らないが? 殆どのスタッフは「彼に寄って来なかった」です。 「はやしさん、もう出よう!」ものの15分程で別の会社訪問に切り替えましたです。
土佐人も、島国・排他的だったです。 「仲ようしてや・・と、頭を下げて入れば」彼等の胸の中に抱えてもらえるのですが・・我が身を捨てた格好?「フェイント」が・・・出来ないと苦労します、難儀です。
今日はかみさん達の部落会「クリスマス会」(ご馳走4種類と,お土産と,ケーキと,コーヒー)で、朝早くからかみさんは、自分で作った「クリスマス飾り」を持って出かけました。 「父さんは?でるの?」と聞かれたのですが、此の後の食事会には何時もの事で「男性は出席しない」ので(唯一、出そうな男性が、元消防団長のオッチャンと、元町議の兄ちゃんの2人だけ・・・)私はお断りしましたです。
所がです…11時頃「携帯に電話が有り」代わる代わる・・・近所の4人のご夫人達から「テッチン出ておいで!・・・」@1千円もって来や・・・で,結果・手ぶらとも行かず?スーパーでワイン2本を買って出席です。
スーパ−から,集会所迄は距離が有ったので、誰か通りががらないかと歩きながら物色中,居ました!です。 三ツしもののおばさんが,ある家の「玄関ベル」を鳴らしているのです。 「其の家は大概夫婦で集まりに出てるので・・・」其のおばさんに・・・「の集会所には、夫婦が居る筈や。私を積んで行ってや・・・」で、送ってもらったので助かりましたです。 写真は18人出席のクリスマス会です。
JR・四国は2日、「特急形気動車」の新型車両2600系(各座席にコンセント、パソコンを使用可の大型テーブル)の出発式を開催しました。 同車両は高松駅11時7分発・徳島駅12時13分着の特急「うずしお9号」定期列車としての営業運転も、おもに高徳線で運行される特急「うずしお」で、デビューです。
我が高知県を走る「土讃線」では・・・走行試験の結果、連続する曲線の多いので、「空気バネ方式」では、容量の確保に課題があると判明・・・「振り子型」(開発中)になるそうです。
(「高知県」後回し、何かと云えば、毎度の事ですので・・・諦めています?土佐守・紀貫之(平安朝・930年)「土佐日記」(漢文日記を仮名和文に変えた新しい和歌)の地で,四国山脈が大きな壁ですね。 「和歌」:影みれば 波の底なる久方の 空こぎわたる われぞわびしき。・・・ちはやぶる 神の心を荒るる 海に鏡を入れて かつ見つるかな)
大分県北部14戸の「小さな集落」が「村八分」騒動・・・自治会がUターンした移住者の加入を拒んでいるらしい。 やり方は,実に陰惨ですね・・・「市報の配布と、行事の連絡」をやめたそうです。
一方、自治会側は「行事参加やごみ集積所の使用は拒否していない」との反論です。・・・でも、船場商人の教えを受けた・Uターン組の私からすれば,「移住者」(死に真似! 和而不同が使えない人)にも問題が有りそうです。
この津野町でも、生活は「コップの底」(都会の空気・町の習慣知らず)もどきなんです。 外に出て暮らした事は無く,生まれも、育ちも,死ぬのも其の地の範囲に限定されている方々が多いです。
「和して同ぜず」で、其所に「する」・・・其所に「身を置く謙虚さ」(表向きで良いです、諦めの境地)が絶対に必要なのです。
私は移住後の7〜8年間は、着飾らず・・・,目立たず・・・,ボランテイアに・・・精出しました。(数年間の間は「部落集会」の食事の時には毎回「鰹」とか,「献上酒」を寄付しました…それは、寄付者の「名前」を読み上げてくれるからです・・出席者から「拍手」も頂けます) そして・・・ボロボロの百姓着で、誰彼無しに野菜の作り方の教えを請いました。(例え解っていても、何度でも,何人にでも・・・訊ねるのです。「会話の糸口」になるからです)
ご近所の付き合いでは,作った物の頂き物が本当に多いです。 作ったものには「時期が有って」頂き物は、必ずだぶります・・・私とかみさんは,頂いたら直ぐに「部屋」に入れました。 何故かというと,持って来た方が「アレー、有ったんやね!」と、残念がるからです。 人目につかない所へ隠しておいて・・・「ありがとう! これは有り難い、初もんや」です。(「善意の嘘」は、付き合いの大事です。・・・例え手持ちが有っても「嬉しそうに頂く」のです。今でも「有るから要らない」とは、絶対に云った事が有りません)
ほろ苦い思い出も有りました。 以前、京大卒・高知工場長だった亡き先代の社長を案内して,古巣の工場に行ったのですが・・・工場のスタッフ事務所も,現場もの殆どが土佐人!・・・以前,工場長時代に何が有ったかは知らないが? 殆どのスタッフは「彼に寄って来なかった」です。 「はやしさん、もう出よう!」ものの15分程で別の会社訪問に切り替えましたです。
土佐人も、島国・排他的だったです。 「仲ようしてや・・と、頭を下げて入れば」彼等の胸の中に抱えてもらえるのですが・・我が身を捨てた格好?「フェイント」が・・・出来ないと苦労します、難儀です。