奈良の地名由来辞典 | |
池田末則編 | |
東京堂出版 |
土曜日(3/19)に開催する第7回古社寺を歩こう会「記紀・万葉の宇陀路バスツアー」が近づいてきた。現時点で、36人のお申し込みをいただいている(当ブログから20人、同僚・OBから16人)。何とか今朝までに、ブログからお申し込みの20人全員に確認のメールも打ち、あとは当日を待つばかりである。まだメールが着かないという方は、ぜひ私までご一報を。
(追記:かぎろひの丘での昼食時にはお弁当を配りますが、「お茶」と「敷物」は各自でご用意下さい。)
旅程を書いていて、つくづく「宇陀市には古風な地名があるな」と感じる。池田末則編『奈良の地名由来辞典』(東京堂出版)から、当日立ち寄る順に紹介してみる。
1.宇陀
《大和の古諺に「国の始まり大和、郡の始まり宇陀郡(うだごおり)」とある。宇陀・宇田・雨多・宇太とも書く》《「ウダ」はアダ(阿陀)と同義の語で、河川流域の耕作地帯を示す名であろうか。ア・ウは「田」の接頭語か》。
2.榛原(宇陀市榛原区)
《榛(はり)樹を伐り拓いた地域、あるいは墾原(はりはら)の義か。榛は万葉植物》。榛とは、「ハンノキ」という落葉高木のことである。「萩原」(宇陀市榛原区)も《ハリ(榛)をハギと訓むことによって萩原となったとも考えられる》《榛原は伊勢・大和路間の重要交通路に立地する。また、熊野・大和両文化圏を貫通する宇陀市は『古事記』『日本書紀』の神武伝承(建国神話)の地として重視された》。
3.墨坂(墨坂神社:宇陀市榛原区萩原)
《墨坂は初瀬(長谷)東端の隅の坂である。同地の角柄(つのがわら・すみがはら)は「隈ヶ原(すみがはら)」の意で、角柄に二字化、ツノガラに転じたもの》。
4.拾生(道の駅宇陀路大宇陀:宇陀市大宇陀区拾生)
拾生(ひろお)は《旧大字平尾があるように、平地のこと。元来、檜生(比布 ひふ)・柳生・芝生(しばう)などの「生」は、「ヲ」と訓み、「尾」に変わる例が少なくない》《松生(まつお)・栃生(とちゅう)・椿生・葛生(くずう)。櫟生(いちのお)はそれぞれの植物の生える地域であった》《平尾の場合は、丘陵の尾部をあらわす形状語であろう》。
いかがだろう。調べてみると面白いものである。さすがは「『古事記』『日本書紀』の神武伝承の地」である。
ちょうど3/10付の「大仏さんのつぶより情報 第293号」(県広報広聴課)にも、県下の様々な地名が紹介されていた。《1つめは、橿原市の「新口(にのくち)町」。運転免許を取得する際に、近鉄橿原線新ノ口駅を利用した人も多いんじゃないかな。昔、聖徳太子がのどが渇いたときに、ここの井戸水を飲んだところ、たいへんおいしかったので、「ああ口中、これ新たなり」と言ったそう。それから、この村を新口と名づけたそうだよ》。
《2つめは、奈良市の「餅飯殿(もちいどの)町」。平安時代の名僧である聖宝(しょうぼう)が大峰山に修行で入る際、この町の人が餅(もち)や飯(いい)を送ったことが、地名の由来になったという説がある。奈良を代表する商店街の一つである「もちいどのセンター街」は、今も餅屋さんやご飯屋さんがあって賑わっているよね》。
《次は奈良県南部にも目を向けてみよう。天川村の「洞川(どろがわ)」のことを、泥の川が由来だと思っている人も多いんじゃないかな。でも実は、洞窟から川水が流れ出ることから名づけられたんだよ》。
《4つめは、五條市の「犬飼(いぬかい)町」。この地名は、真言宗の開祖である空海が、狩場明神(かりばみょうじん)の化身に出会い、その連れている黒犬の導きで高野山の所在を知り、ここに金剛峯寺を開いたという説話に因むらしい》。
《5つめは、宇陀郡の「御杖(みつえ)村」。倭比売命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の杖の代わりとなって、御杖神社に至ったという伝説にちなんで名づけられたそう》。
《最後に紹介するのは、斑鳩町の「龍田(たつた)」。昔、竜田神社の裏に竜が住んでいたそうな。ある日、空に黒雲が垂れ下がり、大雨が降ると、天地鳴動して大きな竜が昇天した。その地を竜子(たつこ)と呼び、どんな干ばつにも水が涸れないという。ここから、龍田と名づけられたそうだよ》。
このほか『奈良の地名由来辞典』には、様々な県下の地名が紹介されていて、興味はつきない。まずは宇陀市の地名だけでも頭に入れて、「第7回古社寺を歩こう会」に臨むことにしたい。