東大寺二月堂修二会は3/15に満行となった。3/12、北河原公敬別当は、異例のご挨拶をされた。奈良新聞(3/14付)によると《東大寺二月堂の修二会(お水取り)は12日、ひときわ大きな籠松明(かごたいまつ)が舞台に上がり、クライマックスを迎えた。北河原公敬別当は東日本大震災で犠牲になった人々への祈りと被災者への支援を約3万5000人の参拝者に呼び掛けた》。
《13日未明には名前の由来にもなった水取りの儀式があり、周辺は神秘的な雰囲気に包まれた。北河原別当は籠松明の上堂を前にあいさつし「三つのお願いがある」として、「未曾有の大惨事で亡くなった人々のために祈ってほしい、困っている方に心を寄せてほしい、被災者のために力を尽くしてほしい」と呼び掛けた》。
ご挨拶の全文が、東大寺のHPに載っていた。標題は《初夜上堂松明参拝者の皆さんへ》だ。《本日はようこそお参りくださいました。私は東大寺(別当)の北河原公敬でございます。修二会(お水取り)行法は多くの困難もありましたが、1260年前より今年に至るまで、1回も途切れることなく、毎年国家安泰、世界平和、人々の幸福、風雨順時、五穀豊穣等を祈る行法として続けてまいりました。ご承知のように3月11日未曾有の大災害が国を襲いました。本日ここにお参りにいらした皆様に、私より3つのお願いがございます》。
《私や東大寺と共に1つは、被災され亡くなられた方々のご冥福をお祈りいただきたいと存じます。2つは、今、困難な状況にいらっしゃる方々へ思いをはせ、共に苦しみを感じましょう。3つは、社会復興の為に、皆様がそれぞれのお立場で、各々が持っておられる力を尽くして下さるようお願いします》。
《1260年前、聖武天皇の発願によって造像された大仏さまが開眼されます。聖武天皇は造像の詔(みことのり)で、自分1人で造るのではなく、「一枝の草、一把の土」を持ってでも造像に協力したいという多くの人たち(当時の人口の約半数)と共に、大仏さまの造像がなされました。大仏さまの造像にこめられた聖武天皇の思い、精神を今の時期に再現したく、皆様にお願い申し上げる次第です。もちろん私ども東大寺も尽力いたしてまいります。ありがとうございました。どうぞお足元にお気をつけの上お参りくださいますようお願い申し上げます》。「一枝の草、一把の土」のくだりは、「一枝の草一把の土(ひとにぎりのひじ)を持(もち)て、像を助け造らむとすることを請願する者有れば、恣(ほしいまま)に之を聴(ゆる)せ」(辻善之助『日本佛教史 第一巻』岩波書店)である。
西山厚氏のエッセイ「奈良の風に吹かれて」(毎日新聞奈良版 3/16付)でも、この聖武天皇の言葉(大仏造営の詔)が引用されていた。《聖武天皇が大仏を造った理由は「すべての動物、すべての植物が、ともに栄える世の中をつくる」ためだった。そして「大きな力で造るな、たくさんの富で造るな」と命じた。一本の草や一握りの土をもって協力を申し出た人には手伝ってもらえ、とも命じている。一本の草など、なんの役にも立たないのに》。
《大地震、病気、旱魃飢饉(かんばつききん)。毎年のように災害が起きて、たくさんの人が死んでいく。聖武天皇は、それは自分の責任だと言う。私の政治が悪いから、天が罰を与えるのだ。すべての動植物が幸せになる世の中など、絶対にあるはずがない。だから聖武天皇は苦しむ。本気だから、苦しむ。そして苦しみぬいた末に、大仏を造ることを決意した。そのとき、大きな力やたくさんの富は、有害無用なものとなる。小さな力を無数に集めることにこそ価値がある》。
聖武天皇は、河内の知識寺(ちしきじ)の盧舎那仏(るしゃなぶつ)像を見て、大仏造営を決意した。知識寺の盧舎那仏像は、知識(信者さんの集団)が財産や労力を持ち寄って造営されたものだった。そこで「天皇の権力ではなく、みんなの力で造営すべきだ」と考えたのだろう。実際大仏造営には、行基による大衆の勧進が大きな力となった。
東日本大震災の被災地では、真冬並みの寒波の中で救助活動が続いている。春日大社では3/16から、被災者の安全と復興成就を願う特別祈願が始まった。天理教会本部や、県下8市1町の水道局は、給水車を被災地に派遣した。
被災地から遠く離れたところに住む私たちにできることは、神仏にお祈りすることと、義援金を寄付することが、関の山である。しかしそれは、民の「一本の草、一握りの土」で大仏造営への協力を求めた聖武天皇の精神に通じるものである。
日本赤十字社奈良県支部のHPによると、「義援金専用振込用紙」は南都銀行全店に置かれていて、同行からこの用紙を使って振り込めば、振込手数料は無料となる(受取人は「南都銀行南支店 普通預金№124754 日本赤十字社奈良県支部 支部長 荒井正吾」である)。1人でも多くのご協力を、お願いしたい。
※トップ写真は東大寺二月堂前で3/4撮影
《13日未明には名前の由来にもなった水取りの儀式があり、周辺は神秘的な雰囲気に包まれた。北河原別当は籠松明の上堂を前にあいさつし「三つのお願いがある」として、「未曾有の大惨事で亡くなった人々のために祈ってほしい、困っている方に心を寄せてほしい、被災者のために力を尽くしてほしい」と呼び掛けた》。
ご挨拶の全文が、東大寺のHPに載っていた。標題は《初夜上堂松明参拝者の皆さんへ》だ。《本日はようこそお参りくださいました。私は東大寺(別当)の北河原公敬でございます。修二会(お水取り)行法は多くの困難もありましたが、1260年前より今年に至るまで、1回も途切れることなく、毎年国家安泰、世界平和、人々の幸福、風雨順時、五穀豊穣等を祈る行法として続けてまいりました。ご承知のように3月11日未曾有の大災害が国を襲いました。本日ここにお参りにいらした皆様に、私より3つのお願いがございます》。
《私や東大寺と共に1つは、被災され亡くなられた方々のご冥福をお祈りいただきたいと存じます。2つは、今、困難な状況にいらっしゃる方々へ思いをはせ、共に苦しみを感じましょう。3つは、社会復興の為に、皆様がそれぞれのお立場で、各々が持っておられる力を尽くして下さるようお願いします》。
《1260年前、聖武天皇の発願によって造像された大仏さまが開眼されます。聖武天皇は造像の詔(みことのり)で、自分1人で造るのではなく、「一枝の草、一把の土」を持ってでも造像に協力したいという多くの人たち(当時の人口の約半数)と共に、大仏さまの造像がなされました。大仏さまの造像にこめられた聖武天皇の思い、精神を今の時期に再現したく、皆様にお願い申し上げる次第です。もちろん私ども東大寺も尽力いたしてまいります。ありがとうございました。どうぞお足元にお気をつけの上お参りくださいますようお願い申し上げます》。「一枝の草、一把の土」のくだりは、「一枝の草一把の土(ひとにぎりのひじ)を持(もち)て、像を助け造らむとすることを請願する者有れば、恣(ほしいまま)に之を聴(ゆる)せ」(辻善之助『日本佛教史 第一巻』岩波書店)である。
西山厚氏のエッセイ「奈良の風に吹かれて」(毎日新聞奈良版 3/16付)でも、この聖武天皇の言葉(大仏造営の詔)が引用されていた。《聖武天皇が大仏を造った理由は「すべての動物、すべての植物が、ともに栄える世の中をつくる」ためだった。そして「大きな力で造るな、たくさんの富で造るな」と命じた。一本の草や一握りの土をもって協力を申し出た人には手伝ってもらえ、とも命じている。一本の草など、なんの役にも立たないのに》。
《大地震、病気、旱魃飢饉(かんばつききん)。毎年のように災害が起きて、たくさんの人が死んでいく。聖武天皇は、それは自分の責任だと言う。私の政治が悪いから、天が罰を与えるのだ。すべての動植物が幸せになる世の中など、絶対にあるはずがない。だから聖武天皇は苦しむ。本気だから、苦しむ。そして苦しみぬいた末に、大仏を造ることを決意した。そのとき、大きな力やたくさんの富は、有害無用なものとなる。小さな力を無数に集めることにこそ価値がある》。
聖武天皇は、河内の知識寺(ちしきじ)の盧舎那仏(るしゃなぶつ)像を見て、大仏造営を決意した。知識寺の盧舎那仏像は、知識(信者さんの集団)が財産や労力を持ち寄って造営されたものだった。そこで「天皇の権力ではなく、みんなの力で造営すべきだ」と考えたのだろう。実際大仏造営には、行基による大衆の勧進が大きな力となった。
東日本大震災の被災地では、真冬並みの寒波の中で救助活動が続いている。春日大社では3/16から、被災者の安全と復興成就を願う特別祈願が始まった。天理教会本部や、県下8市1町の水道局は、給水車を被災地に派遣した。
被災地から遠く離れたところに住む私たちにできることは、神仏にお祈りすることと、義援金を寄付することが、関の山である。しかしそれは、民の「一本の草、一握りの土」で大仏造営への協力を求めた聖武天皇の精神に通じるものである。
日本赤十字社奈良県支部のHPによると、「義援金専用振込用紙」は南都銀行全店に置かれていて、同行からこの用紙を使って振り込めば、振込手数料は無料となる(受取人は「南都銀行南支店 普通預金№124754 日本赤十字社奈良県支部 支部長 荒井正吾」である)。1人でも多くのご協力を、お願いしたい。
※トップ写真は東大寺二月堂前で3/4撮影