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東日本大震災 心に残った3つの記事

2011年03月23日 | 日々是雑感
希望の国のエクソダス
村上龍
文藝春秋

東日本大震災について、様々な報道が行われているなかで、心に残った3つの新聞論評(全文)を紹介する。私は、1.では安易な「自粛競争」への戒めを、2.では日本人の麗しき美徳への自信を、3.では失われた富と引き換えに得た希望を知った。果たして皆さんは、どう感じられるだろうか。

1.大震災に負けるな
奈良新聞論説委員 小久保忠弘氏(3/18付 奈良新聞「金曜時評」欄)

 東北・関東地方を襲った大地震と大津波の被害は目を覆うばかりの惨状を呈している。11日の地震発生から1週間たったが、行方不明者の捜索、死者の収用、要介護者や避難住民の保護など、今なお手が届かない状態だ。関係者による懸命の救援が続いているが食料・燃料の確保さえ十分ではないという。これが世界に誇る21世紀の先進国なのかと、がくぜんとならざるを得ない。

 さらにまた原子力発電所の損傷という、私たちが初めて直面する深刻な事態が勃発している。政府の対応は未熟で、情報の伝達や指揮系統といった肝心なところで力量不足が指摘されている。政策運営さえままらない政権に、国難ともいえる事態に多くを期待する方が無理かもしれないが、国民の暮らしと健康、生命と財産をどう守るのかという最低限の責任を果たしてもらわねばならない。

 そんな中でも、統一地方選挙や選抜高校野球大会は既定どおり実施の方向で動いている。統一地方選は被災地を除いて実施する特例法案がきょうにも成立する。広範囲の被災地があり、選挙どころではない事態になっている折から延期すべきという意見もあったが、できるところはやると決まった。

 同じく高校野球も被災して10日余りで決行することに異論がある。被災地からの出場校などは選手の心身が万全といえるのか。学校・地域が応援をする状況にあるのか。テレビ中継ができるのか。試合環境が公平といえるのか。何よりもプレーする選手の気持ちが重要だ。従来のように「見る人に夢と希望を与える」と簡単には言えまい。

 だがそうであっても、もろもろ考えて、選挙も野球もできるところは既定通りやった方がいい。被災地に思いを寄せつつ自分たちのできることはやる。助からなかった人の分まで精いっぱい努力することで心を通わせることができる。候補者も野球選手も、そんな意義づけをしてはどうか。悲しみを共有するあまり、引きこもってしまってはならない。元気な人まで萎縮しては被災者に思いが届かない。全ての行事を自粛してしまうことが哀悼の意を表することにはならない。

 私たちは、この大震災から悲しみとともに多くのことを学んでいる。日頃備えるべき防災用品や避難場所・経路、家族との連絡方法、食料調達、情報入手方法などはもちろん、巨大津波から逃れるには、原子炉の爆発に際しての心構えといったこれまで考えたこともなかった事態にどう対応すべきかを。連日の報道からは、命の明暗を分けた判断や決断など、生き延びた人の話から次に生かせるヒントや教訓もあるはずだ。さらに地域や国家の危機管理についても思い知らされた。

 阪神大震災から16年。私たちはまだまだ学び足りないのかもしれない。そんなことも胸に、候補者も選手も犠牲者や被災者に思いを致しつつ告示日、開幕日を迎えたい。

2.「信じがたい冷静さ」 素直に誇っていい日本人の美徳
産経新聞論説副委員長 五十嵐徹氏(3/22付 フジサンケイビジネスアイ「視点」欄)

 東北地方を襲った東日本大震災の発生から10日余りが経過した。マグニチュード9.0という日本の観測史上未曽有の巨大地震と、直後の大津波が残した爪痕はあまりにも大きく、深い。被害の全貌は、いまだに把握し切れていないのが実情だ。加えて、東京電力の福島第1原子力発電所では、炉心溶融を含む重大事故が相次いだ。被災者はもちろん、国民は底知れぬ先行きへの不安に駆られている。政府の対応が終始後手に回ったことも大きい。だが、そうした焦燥の日々にあってなお、日本人は健気に助け合い、この国家的危機を乗り越えようとしている。                  

 海外メディアの関心も、日本経済への長期的ダメージと地球環境への悪影響への懸念だけではない。大惨事の渦中にあってなお、基本的に落ち着きを失わず、困難に立ち向かう日本人への「畏敬」が込められた報道が少なくない。しなる高層ビルの谷間で右往左往する外国人。その中で、彼らを安全な場所へと導く通りすがりの若者たち。家路へとはやる気持ちを抑えつつ、何時くるとも知れぬ電車を黙々と待つ人々-。そうした日本人の姿は、日本に滞在して大地震に遭遇した多くの外国人の目には、何より「信じがたい冷静さ」として映ったようだ。

 例えばカナダの通信社「カナディアンプレス」は、バンクーバー出身の日系カナダ人女性(25)の体験談として震災直後の東京の様子を次のように伝えている。「日本在住カナダ人が感銘した人々の冷静さ」のタイトルで配信されたその記事によると、都内の広告代理店に勤務するこの女性は、昼食から戻った直後のオフィスビル10階で地震に遭遇した。慌てて潜り込んだ机の下で、長くすさまじい揺れに耐えながら、一時は「これが、この世の終わりか」と覚悟したという。

 信じがたかったのは、揺れが収まった後の日本人同僚らの行動だった。「彼らは脱出ルートや集合場所など災害時の手順を熟知しているだけでなく、互いがまず相手を助けようとした」。電話取材に女性は、感動を込めてそう語ったという。女性はその後、3時間にも及ぶ徒歩での帰宅を余儀なくされるが、道すがら、子供たちですら、誰ひとり泣き叫ぶ姿を見かけなかったと証言している。
 
 韓国紙「朝鮮日報」の特派員、鮮于鉦記者は自らハンドルを握って被災地・気仙沼に向かった。その体験記が「秩序ある日本人」として同紙の日本語版ウェブサイトに掲載されている。鮮記者は、千葉から仙台までの400キロを車で走る間、多くの車が割り込みや速度違反をすることもなく、整然と走る様子を感動を込めて伝えている。「消息が途絶えた家族や被害を受けた家族を探すため、故郷に向かう人々だ。焦り、いらだっていたと思う」と同情を寄せつつ、「彼らは静かに順番を守っていた。そうでなければ、車が入り乱れ故郷への道はひどく混乱したことだろう」と日本人の忍耐強さに驚嘆している。

 同じ韓国紙「東亜日報」も、相前後して地震直後の大型ディスカウントショップでの目撃談を掲載している。日本では大地震が襲っても「商品を持ち出す人が一人もいなかった」ことに驚きを表明。災害時に「犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では『遠い国の話』だ」と印象を記している。           
 
 こうした日本人の「信じがたい冷静さ」と順法行動については、1995年1月の阪神淡路大震災時も、多くの海外メディアが指摘した。欧州在勤中の出来事だったから、よく覚えている。それでも、体験していない大震災はどこか絵空事で、現地の報道には面はゆさを感じたものだ。日本人社会では「島国根性の裏返し」との自虐的ささやきも聞いた。だが、今回は素直に日本人の美徳だと誇れる気がする。

 震災の被害は日を追うごとに深刻度を増している。死者・不明者の数は万単位となり、原発事故の終息も先行きは不透明なままだ。しかし、日本人は必ずや、この美徳で困難を乗り越えるはずだ。そう信じるに足る光景が目の前にある。

3.危機的状況の中の希望
作家 村上龍氏(3/18付 タイムアウト東京:原文は、3/16付 ニューヨークタイムズ「オピニオンページ」)

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
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