【バイオニック・トミー】
Tommy JOHN
フランク・ジョーブ博士..........、
日本では村田兆治、桑田真澄、荒木大輔らの治療で
有名な医師だが、『トミー・ジョン手術』という名は
意外と知られていない。
ジョーブ博士が開発したジン帯の移植手術.....
始めての患者がトミー・ジョンである。
63年にインディアンズでデビューしたものの、
ブレイクしたのは65年に
ホワイト・ソックスに移籍してからであった、
シンカーを武器に65年から2年連続で14勝をマークすると、
7年間で82勝をあげ、
72年、ドジャースへ移籍する。
その後も74年には、それまでの
キャリア・ハイとなる16勝をマークするなど
安定した活躍を見せていた。
が、7月までに13勝を稼ぎ
絶頂期にあったハズのジョンをアクシデントが襲う。
利き腕である左腕のジン帯が切断されてしまったのだ。
再起不能が囁かれる中、彼を救ったのがフランク・ジョーブ博士であった。
手術は成功、1年半の必死のリハビリを経て、
76年10勝をマークし、カムバック賞を受賞した。
77年、20勝、
78年、17勝、
79年、21勝、
80年、21勝.....と手術前よりパワーアップした感のあるジョンは
結局46才まで投げ続け、手術後だけで、164勝を稼いだ。
不屈の精神で再起不能とまで言われた怪我を克服し、
通算288勝をあげたトミー・ジョン、
手術の事ばかりがクローズアップされるが、
シソックスに在籍した65年から
ヤンキースで投げていた83年まで
不調に終わった69年、81年と
リハビリに費やした75年を除けば
実に19年で16度の10勝以上をマークした
安定感のある名投手である。
その彼が、殿堂入りに必要な
得票率が30%に満たないとは.....
何とも理解できない事実ではある。
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=116550
Tommy JOHN
フランク・ジョーブ博士..........、
日本では村田兆治、桑田真澄、荒木大輔らの治療で
有名な医師だが、『トミー・ジョン手術』という名は
意外と知られていない。
ジョーブ博士が開発したジン帯の移植手術.....
始めての患者がトミー・ジョンである。
63年にインディアンズでデビューしたものの、
ブレイクしたのは65年に
ホワイト・ソックスに移籍してからであった、
シンカーを武器に65年から2年連続で14勝をマークすると、
7年間で82勝をあげ、
72年、ドジャースへ移籍する。
その後も74年には、それまでの
キャリア・ハイとなる16勝をマークするなど
安定した活躍を見せていた。
が、7月までに13勝を稼ぎ
絶頂期にあったハズのジョンをアクシデントが襲う。
利き腕である左腕のジン帯が切断されてしまったのだ。
再起不能が囁かれる中、彼を救ったのがフランク・ジョーブ博士であった。
手術は成功、1年半の必死のリハビリを経て、
76年10勝をマークし、カムバック賞を受賞した。
77年、20勝、
78年、17勝、
79年、21勝、
80年、21勝.....と手術前よりパワーアップした感のあるジョンは
結局46才まで投げ続け、手術後だけで、164勝を稼いだ。
不屈の精神で再起不能とまで言われた怪我を克服し、
通算288勝をあげたトミー・ジョン、
手術の事ばかりがクローズアップされるが、
シソックスに在籍した65年から
ヤンキースで投げていた83年まで
不調に終わった69年、81年と
リハビリに費やした75年を除けば
実に19年で16度の10勝以上をマークした
安定感のある名投手である。
その彼が、殿堂入りに必要な
得票率が30%に満たないとは.....
何とも理解できない事実ではある。
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=116550
彼の勇気ある行動が無ければ、何人の選手が”志半ば”でユニフォームを脱いだかわかりません。
僕もべラジオさんと全く同感です。
特に、トミー・ジョンはもっと評価されて
しかるべきだと思います。
トミー・ジョンもジム・ライスも有資格者なのに殿堂入り出来ないのは不思議ですね。両者とも、資格十分なのに・・・・・貴社の好みもあるので、地味な選手は不利なのでしょうか。まぁいずれは選ばれるでしょう。