【Big Daddy】
Cecil FIELDER
1985年にメジャーデビューを果たしたフィルダー。
87年に14本塁打 32打点をマークするなど、
長距離砲としての片鱗を見せつつも、
出場機会には恵まれていなかった。
そんなフィルダーに転機が訪れたのは89年。
この年、日本のタイガースと契約、
四番打者として猛打をふるい、
9月に怪我で戦線離脱を余儀なくされるも、
106試合で打率.302 38本塁打 81打点の大活躍を見せた。
90年、デトロイト・タイガースと契約し
メジャー復帰を果たす事になったが、
日本で変化球に対応できる打撃技術を学んだフィルダーは
この年、打率.277 51本塁打 132打点で二冠王に輝く大爆発。
特に50本塁打以上の本塁打数は、
77年にジョージ・フォスターが記録した52本以来、
実に13年ぶりの快挙と相成った。
翌91年も打率.261 44本塁打 133打点で2年連続の二冠王。
92年124打点でリーグ1位に輝き、
メジャー復帰以降、3年連続の打点王獲得...と、
パワーと共に、勝負強い打撃も披露した。
96年、シーズン途中でヤンキースに移籍したフィルダーだが、
タイガースと2チーム合計で39本塁打 117打点をマーク。
ヤンキースのリーグ優勝に貢献し、
プレーオフ、ワールド・シリーズでも活躍を見せ、チームを世界一に導いた。
この後、98年まで現役を続け、
インディアンズを最後に引退。
通算319本塁打 1008打点 打率.255 盗塁2を記録した。
引退後は離婚や、ギャンブルによる破産、失踪など、
私生活は荒れ模様を見せ、
現在、ブルワーズで中軸を打つ息子プリンスとも
断絶状態が続いているという.........。
Cecil FIELDER
1985年にメジャーデビューを果たしたフィルダー。
87年に14本塁打 32打点をマークするなど、
長距離砲としての片鱗を見せつつも、
出場機会には恵まれていなかった。
そんなフィルダーに転機が訪れたのは89年。
この年、日本のタイガースと契約、
四番打者として猛打をふるい、
9月に怪我で戦線離脱を余儀なくされるも、
106試合で打率.302 38本塁打 81打点の大活躍を見せた。
90年、デトロイト・タイガースと契約し
メジャー復帰を果たす事になったが、
日本で変化球に対応できる打撃技術を学んだフィルダーは
この年、打率.277 51本塁打 132打点で二冠王に輝く大爆発。
特に50本塁打以上の本塁打数は、
77年にジョージ・フォスターが記録した52本以来、
実に13年ぶりの快挙と相成った。
翌91年も打率.261 44本塁打 133打点で2年連続の二冠王。
92年124打点でリーグ1位に輝き、
メジャー復帰以降、3年連続の打点王獲得...と、
パワーと共に、勝負強い打撃も披露した。
96年、シーズン途中でヤンキースに移籍したフィルダーだが、
タイガースと2チーム合計で39本塁打 117打点をマーク。
ヤンキースのリーグ優勝に貢献し、
プレーオフ、ワールド・シリーズでも活躍を見せ、チームを世界一に導いた。
この後、98年まで現役を続け、
インディアンズを最後に引退。
通算319本塁打 1008打点 打率.255 盗塁2を記録した。
引退後は離婚や、ギャンブルによる破産、失踪など、
私生活は荒れ模様を見せ、
現在、ブルワーズで中軸を打つ息子プリンスとも
断絶状態が続いているという.........。
ただただ「なんやこのデカさは・・」と思いました。
甲子園球場でバッターボックスに立った時、
キャッチャーとのサイズの違いに呆然。
特にあのお尻!アンドレと双璧をなすほどの
巨尻でしたね。
メジャー復帰してからの活躍ぶりはニュースでも
度々報じられ、初めてMLBを身近に感じたものです。
息子プリンスももはやブリュワーズの中心選手。
父親を超えるような選手になって欲しいものです。
間抜けな骨折もよく憶えております。
息子のプリンスの打撃は豪快そのもの、
親父を凌ぐパワーの持ち主だと思います。
スカパーで放送されているESPNなどで
プリンスの本塁打がしばしば写し出されますが、
その打撃のド迫力はゲレーロと双璧ではないかと思います!
オープン戦で阪急にいたブーマー・ウェルズに
変化球への対応する為のスタンスをアドバイス
され、一気に打撃が良くなったと報じられてい
ました。
横浜スタジアムの場外弾もTVKで見てました。
トラファンだった、あの頃が懐かしいですね・・・
いつもありがとうございます!!
フィルダーがブーマーのアドバイスされていたとは...
初めて知りました。
これからも、色々とお教え下さい!!