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file .294 Enos SLAUGHTER【イノス・スローター】

2011-04-03 | STU
【マッドダッシュ】Enos SLAUGHTER

1935年、カージナルスに入団したスローター。
38年にメジャーへ昇格すると
39年、.320 12本塁打 86打点という好成績を残し
2年目にして早くも頭角を現す。
この年から5年連続で打率.300以上をマーク、
42年は.318 13本塁打 98打点
46年は.300 18本塁打 130打点で打点王を獲得、
両年共にチームの世界一に大きな役割を果たす。

特に46年のボソックスとのワールドシリーズでは、
死球による怪我の所為でシリーズ出場も危ぶまれる中、
ドクターストップを制して強行出場。
世界一を決める大事な第7戦の8回で
走者として一塁にいたスローターは
次打者の単打性の当たりで大激走。
あっけにとられたジョニー・ペスキー遊撃手の判断ミスを誘い
一気にホームを陥れる事に成功した。
結局、この得点が決勝点になり
カージナルスは世界一の栄冠に輝いたのである。
この走塁は『マッドダッシュ(狂気の走塁)』と呼ばれ
伝説になるわけだが、スローターにしてみれば
平常時から心がけているハッスルプレーの一旦に過ぎないわけだった。

その後も49年に.336 13本塁打 93打点をマークするなど
安定した勝負強い打撃を披露。
40~53年の間10年連続でオールスターに出場し(43~45年は兵役)
リーグを代表する名選手としての地位を確立した。

54年からはヤンキースやアスレチックスを渡り歩き、
56年と58年はヤンキースで世界一の美酒に酔った。

通算2380試合 2383安打 打率.300 169本塁打 1304打点。
絶頂期の3年の兵役が無ければ、あるいは3000安打も達成していたかもしれない。

殿堂入りは1985年。
これほどの名選手の殿堂入りが遅れたそのわけは、
ジャッキー・ロビンソンに絡む人種差別問題があったからと言われている。
ロビンソンのドジャース昇格時には大いにそれに異を唱え、
ストもやむなし・・とナ・リーグ会長のフォード・フリックに詰めよった・・・とか
内野ゴロを打った時に、一塁を守るロビンソンに強烈なスパイクを浴びせた・・・とか
この件にまつわる逸話は少なく無い。

が、いずれも確証のない逸話の域を出てはいない。