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file .281 Lou PINIELLA【ルー・ピネラ】

2009-05-23 | PQR
【sweet lou】
Lou PINIELLA

1969年、ロイヤルズで本格的なキャリアをスタートさせたピネラ。
主にレフトを守り、打率.282、11本塁打、68打点で、新人王を獲得。
翌70年も打率.301、11本塁打、88打点を叩きだし、
チームの主力の一人として活躍した。
72年には打率.312、11本塁打、72打点をマーク、
初のオールスター出場も果たし、その名を大いに売った。

74年、30歳でヤンキースへトレード。
移籍一年目こそ、打率.305、9本塁打、70打点と安定した打撃を見せたが
75年、76年は、怪我の影響もあって不調をかこった。

77年、あのレジー・ジャクソンがヤンキースへ移って来た年。
ピネラは規定打席には足りないものの、打率.330、12本塁打、45打点と復調。
ドジャースとのワールドシリーズでも3打点をあげる活躍を見せ、
チームの世界一に貢献した。

その後も、78年に打率.314、6本塁打、69打点をマークするなど
勝負強い打撃で、レジー・ジャクソン、サーマン・マンソン、ミッキー・リバースといった
アクの強い面々と並び、チームの勝利に貢献したピネラ。
結局84年までプレーし、ヤンキーズのユニホームで現役を引退した。

通算1705安打、102本塁打、766打点、打率.291。

現役時代のピネラは、熱血漢で激情家。
スウィート・ルーなるニックネームで呼ばれていた程のハンサム・ガイだったが、
チャンスで凡退などした時には、
興奮状態でベンチに戻り、バットでウォータークーラ、椅子、天井のライト........etc
手当たり次第に破壊しつくした。
ピネラがこの状態になると、さしものレジー・ジャクソンも武闘派ビリー・マーチンも
立ち向かう事は敵わず、及び腰になって逃げ回った。

また、スタンドから罵詈雑言をファンから浴びせられた際には
「打てないのはテメエの所為だ。テメエのワイフがしつこいから
 俺はいつもクタクタだ。あの女をベットから連れ出してくれさえすれば、俺の体力も復活するんだがな!!」
などとやり返したという。

現役引退後は、レッズやマリナーズの監督として采配をふるい、
しばしば、現役時代を彷彿とさせる、瞬間湯沸かし器ぶりを見せつけている。