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file .210 Curt FLOOD【カート・フラッド】

2007-08-26 | DEF
【Get up! Stand up!】
Curt FLOOD

カート・フラッド。
ベース・ボールファンの間では、
やはりメジャー・リーグにおける
FA制度導入のきっかけとなった人物...
という認識が強いであろう。

1969年、シーズンオフに
カージナルスからフィリーズへのトレードを通告されるも、これを拒否。
MLB機構に対し、『保留事項の撤廃』を求め、『独占禁止法違反』で訴えた。
1922年以来の、『MLBニハ独占禁止法ヲ適応セズ』という殻を
初めて破ろうと挑んだ選手がカート・フラッドである。

その鉄の意志で、70年のシーズンは
まるまる裁判に専念したフラッドであったが、
翌71年は、セネターズでプレーする事になる。

72年、最高裁はフラッド敗訴の判決を下す。
己の信念と誇りを賭けての、
フィールド外の戦いに全身全霊を傾けたフラッドは
その時既に現役を引退していた............。

フラッドは、1956年、レッズでメジャーデビュー。
18歳の若さであった。
58年にカージナルスへ移籍し、
センターのレギュラーの座をつかみ取った。
当初は打撃面で苦しむも、
61年、打率.322をマークし、ブレーク。
62年は打率.296、12本塁打、70打点と
勝負強さも発揮した。

63年に打率.302をマークすると
64年は打率.311、5本塁打、46打点、
ボブ・ギブソン、ルー・ブロックらと共に
チームのリーグ優勝に大きな貢献を果たし、
ワールドシリーズでもヤンキースを撃破。
カージナルスの世界一を牽引した。

打撃面においてもその安定した好打ぶりが光ったフラッドであったが、
真骨頂はむしろセンターの守備である。
63年から7年連続でゴールド・グラブを受賞し、
568守備機会無失策のリーグ記録を樹立した。

67年、キャリア・ハイの打率.335をマークし
再びチームの世界一に貢献したフラッドは、
68年も打率.301、5本塁打、60打点。
メジャー史に残る極端な投高打低シーズンでの打率.300の価値は
MVP投票4位という形で評価された。
ワールド・シリーズでは、タイガースとの死闘に破れはしたものの、
フラッドの『リーグを代表する中堅手』の座は揺らぐべくもなかった。

69年のトレード通告、70年の法廷での戦いを経て、
71年、セネターズでプレーしたフラッドは燃焼しきっていたのか、著しく精彩を欠き、
13試合に出場したのみで現役を退いた。

精神的に疲弊せざるを得なかった訴訟の影響が
フラッドの選手生命を絶った形になったが、
己の人生を賭けた戦いは無駄にはならなかった。
フラッドの闘争をきかっけに、問題意識を持った選手達は後を絶たず、
紆余曲折を経てメジャー・リーガー達は現在のFA制度を勝ち取ったのである。

通算打率.293、1861安打、7度のゴールド・グラブ受賞の名選手は
1997年、静かに息を引き取った。

ちなみに現在のFA制度、この規定は『カート・フラッド法』と命名されている。