【始祖・ベンチ】
Johnny BENCH
ビッグ・レッド・マシンと呼ばれ
相手投手に恐れられていた1970年代のレッズにあって
投手陣を支える正捕手として、
強力打線の中心打者として、
チームを牽引したジョニー・ベンチ。
通算2048安打、389本塁打を放った強打の捕手の代表格である。
オクラホマのド田舎で生まれたベンチは、
1965年、レッズに入団。
68年には捕手のレギュラーとなり
15本塁打、82打点をたたき出す活躍を見せ新人王に輝く。
69年、打率.293、26本塁打、90打点と力を付けたベンチは
70年、打率.293、45本塁打、148打点と爆発し2冠王を獲得、
チームをリーグ優勝に導き、シーズンMVPに輝いた。
が、ワールド・シリーズでは、オリオールズに完敗、
ベンチの鋭い打球はブルックス・ロビンソンに吸い取られてしまった。
72年も打率.270、40本塁打、125打点で2冠王、再びシーズンMVPを獲得し、
『強打の捕手』ぶりをおおいに見せつけ、チームをリーグ優勝に導くが
ワールド・シリーズでは、アスレチックスに敗れ去った。
その後も攻・守にわたりチームを牽引したベンチ。
74年、打率.280、22本塁打、129打点で3度目の打点王。
翌75年は、打率.283、28本塁打、110打点をたたき出し、
チームをリーグ優勝に導き、ワールド・シリーズでも勝利。
レッズの世界一に大きな貢献を果たした。
76年は、打率.234、74打点と低迷するが
ワールドシリーズでは大活躍、打率.533の猛打で
2年連続世界一の原動力となり、シリーズMVPに輝いた。
守備面においても、
ベンチは『改革者』であった。
当時、キャッチャーは右手をミットに添える、
両手取りが当たり前だったが、
ベンチはランディ・ハンドリーが使い始めた
新型の柔らかいミットをハンドリー以上に使いこなし、
さらに右手を背中に回し、左手のみで投手からの
投球を受ける、『片手取り』を確立した。
牽制や盗塁阻止などの際、
ミットの中のボールをつかむまでに時間がかかる....などと
この捕球法を否定する選手もいたが、
その機敏な動きと、強いリスト・強肩が生む正確な送球は
そういった否定組を逆に唸らせた。
また、座ったまま牽制球を投げる技や、
球界初のキャッチャー専用のヘルメットの使用など、
ベンチは、現在のキャッチャー像の始祖ともいえる偉大な選手である。
そのベンチ、選手生活晩年は1塁や3塁を守る事が多くなった。
酷使した足腰はもはやホームベースを守る事が
出来なくなっていたのである。
83年、引退するが、ゴールド・グラブ10回受賞が証明する
強肩も含めたその守備力と、いわずもがなの打撃力。
甘いマスクで高い人気をはくし、
オールスター出場は14回にものぼった。
若かりし折、かのテッド・ウィリアムスに
『将来の殿堂選手』と、その才能を買われていたベンチ。
その予言通り、89年に殿堂入りを果たしている。
Johnny BENCH
ビッグ・レッド・マシンと呼ばれ
相手投手に恐れられていた1970年代のレッズにあって
投手陣を支える正捕手として、
強力打線の中心打者として、
チームを牽引したジョニー・ベンチ。
通算2048安打、389本塁打を放った強打の捕手の代表格である。
オクラホマのド田舎で生まれたベンチは、
1965年、レッズに入団。
68年には捕手のレギュラーとなり
15本塁打、82打点をたたき出す活躍を見せ新人王に輝く。
69年、打率.293、26本塁打、90打点と力を付けたベンチは
70年、打率.293、45本塁打、148打点と爆発し2冠王を獲得、
チームをリーグ優勝に導き、シーズンMVPに輝いた。
が、ワールド・シリーズでは、オリオールズに完敗、
ベンチの鋭い打球はブルックス・ロビンソンに吸い取られてしまった。
72年も打率.270、40本塁打、125打点で2冠王、再びシーズンMVPを獲得し、
『強打の捕手』ぶりをおおいに見せつけ、チームをリーグ優勝に導くが
ワールド・シリーズでは、アスレチックスに敗れ去った。
その後も攻・守にわたりチームを牽引したベンチ。
74年、打率.280、22本塁打、129打点で3度目の打点王。
翌75年は、打率.283、28本塁打、110打点をたたき出し、
チームをリーグ優勝に導き、ワールド・シリーズでも勝利。
レッズの世界一に大きな貢献を果たした。
76年は、打率.234、74打点と低迷するが
ワールドシリーズでは大活躍、打率.533の猛打で
2年連続世界一の原動力となり、シリーズMVPに輝いた。
守備面においても、
ベンチは『改革者』であった。
当時、キャッチャーは右手をミットに添える、
両手取りが当たり前だったが、
ベンチはランディ・ハンドリーが使い始めた
新型の柔らかいミットをハンドリー以上に使いこなし、
さらに右手を背中に回し、左手のみで投手からの
投球を受ける、『片手取り』を確立した。
牽制や盗塁阻止などの際、
ミットの中のボールをつかむまでに時間がかかる....などと
この捕球法を否定する選手もいたが、
その機敏な動きと、強いリスト・強肩が生む正確な送球は
そういった否定組を逆に唸らせた。
また、座ったまま牽制球を投げる技や、
球界初のキャッチャー専用のヘルメットの使用など、
ベンチは、現在のキャッチャー像の始祖ともいえる偉大な選手である。
そのベンチ、選手生活晩年は1塁や3塁を守る事が多くなった。
酷使した足腰はもはやホームベースを守る事が
出来なくなっていたのである。
83年、引退するが、ゴールド・グラブ10回受賞が証明する
強肩も含めたその守備力と、いわずもがなの打撃力。
甘いマスクで高い人気をはくし、
オールスター出場は14回にものぼった。
若かりし折、かのテッド・ウィリアムスに
『将来の殿堂選手』と、その才能を買われていたベンチ。
その予言通り、89年に殿堂入りを果たしている。