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file.067 Jackie ROBINSON 04 【ジャッキー・ロビンソン 04】

2006-03-05 | 2013年映画『42』
【引退】
Jackie ROBINSON

1951年、ブランチ・リッキーに変わり、ウォルター・オマリーが
ドジャースのオーナーに就任した。
最大の理解者リッキーと違い、オマリーは
ジャッキーを「ブランチ・リッキーのお姫さま」と呼び、毛嫌いしていた。
当然、ジャッキーとオマリーは衝突した。
例えば、チーム全員で審判に悪態をついた時
オマリーに呼び出され注意を受けたのはジャッキー一人だった。

また、1954年に監督がチャーリー・ドレッセンから
ジャッキーを嫌うウォルター・オルストンに変わると、
ジャッキーと球団との関係はますます悪くなるのだった。
オルストンとジャッキーは起用法などを巡って
殴り合い寸前の口論をしばしば起こした。
55年にはワールド・チャンピオンになる至福の瞬間もあったが
この頃には、ジャッキーの心は野球ではなく
その他の仕事や運動に向けられていた。
自分の野球選手としての能力が衰えている事にも気付いていた。

56年のオフ、ドジャースは、ジャッキーをジャイアンツにトレードすると宣告した。
ジャッキーは多くのファンの声に応え、プレーを続ける事も考えたが、
結果、引退した。

ジャッキー・ロビンソンが引退後に選んだ仕事は
製菓会社への役員就任であった。