藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

一人暮らしを支えるには(8)

2020-10-21 07:28:30 | 日記・エッセイ・コラム

 私が通っている病院は、広島市立の病院だ。 毎朝この病院の玄関は、病人を送迎する車で大渋滞になる。 このことが問題化して、移転することになった。 この病院の移転のために、JRが全国で初めて廃止した路線を復活させた。 もっともこの裏には、この路線を復活させたい、ある政党の姿が見え隠れしている。 わざわざ電車を走らせて果たして患者が電車でやってくるとは思えない。 この病院は、個人病院からの照会がなければ診察を受けられないし、救急患者でも生死にかかわる患者しかやってこない。 となると、高齢者で一人暮らしの者は、タクシー以外は利用できないのだ。 何のために、広島市が負担金を出して路線を復活させたのか、いささか疑問を持っている。 今やこの路線の周辺は、アパートの建設ラッシュである。 相続した土地活用に困っていた人たちが、一斉にアパート経営に乗り出したのだ。 広島駅まで一時間未満で行けることは確かだが、捕らぬ狸の皮算用になりはしないのだろうかと心配している。 嘗て25年前、国道54号線のバイパスが出来た時、沿線に競って貸店舗が建ったが、家賃収入より金利が大きくなって破産した事があった。 その処分で随分儲けさしていただいた事がある。 そんな気配がするが、他人事なので・・・・。 ただこの病院が移転することで、今まで数本しかなかったバスの本数が、数倍以上になることは間違いない。 これは一人暮らしの地元民には良い知らせである。 半面、土地の税金が跳ね上がってくること間違いない。 年金生活者の一人暮らしには応えるだろう。 ところで、私が一日三回服用している薬なのだが、

        

心臓と腎臓関係の薬が5錠半。 その他痛み止めが四錠。 毎食後である。 加えて、痛み止めは深夜に二回飲んでいる。 ボケが始まって一人暮らしになったら、果たして薬の管理ができるだろうか・・・・。 もっとも、私の方が先に、あの世とやらへ行く事に成るだろうから、あまり心配していない。

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一人暮らしを支えるには(7)

2020-10-20 10:34:43 | 日記・エッセイ・コラム

 後期高齢者の生活にもいろいろある。 私の知っていたお医者さんは、一人息子で、その奥さんも一人娘だった。 双方の親が結婚に大反対。 その奥さんがすごい美人で、お医者さんは家を出て、過疎地と広島市の接点で開業された。 その開業時、場所を探していた時、あるお寺の前が大きな屋敷で、国道に面しており駐車場が十分あった建物を見て、この土地を借りて是非とも開業したいと思い始めた。 この地主さんは、名門家の出で毛利家につながるお方だったが、先生の熱意に負けて、自分の隠居場を別に立てて格安でこの土地を譲られた。 隣は、元地主の長男ご夫婦の家があった。 この病院は、地元に大変喜ばれた。 それまで地元に医者がなかったのだ。 ずいぶん繁盛したが、跡取りに恵まれず、その上奥様が50代半ばに白血病で亡くなられた。 がその後、先生は再婚されず、病院を続けられた。 その一人暮らしを支えたのが、隣の元地主の息子夫婦で、食事の世話から、掃除洗濯はたまた病院の片づけまで世話をされた。77歳で医者を引退されてから87歳で亡くなられるまで、実に自分の親以上に世話をされたのだ。 結局葬式も町内と、この夫婦が執り行った。 其の後、弁護士からこの土地、財産一切が元の地主の子供夫婦に、送られる遺言書が存在することが告げられた。 こんな一人暮らしの一生もある。 さてさて、財産一切を送られた夫婦がとった行動がこれまた素晴らしい。 その跡地は、地元の集会所となり、現金はその集会所の維持管理費として積み立てられている。 私の住む家から、丁度一里。 集会所に改修する工事をさせていただいた。 一生の内で、一番浮き浮きして工事をした。 その門には、今でも病院の名前が彫り込んである。

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一人暮らしを支えるには(6)

2020-10-19 05:04:25 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も買い出しから帰りかけると、団地の一人住まいの方がリュックサックを背負って長い上り坂を帰っていた。 以前、「車に乗りませんか」と、声をかけたことがあるが、遠慮して断られた。 一度断られると、再び声を掛けにくくなる。 バス停から標高差200m、団地の道は五度曲がって登っている。 直線距離はたいした事はないが、曲がりくねって歩く距離は、五倍位になるだろうか。 二十分間の格闘である。 歩ける間はよいが、それが出来なくなると、宅配に頼った生活になる。 誘い合わせて買い物されるなら、タクシーという手もあるが、どうもそれは嫌だそうだ。 生活の一部が丸見えになるからだ。 いずれ私も同じ穴の狢となる身なのだが・・・。 外の社会と接するのが、買い物だけ・・・・・、これもまた問題ではある。 解決策はなかなか見つからない。

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一人暮らしを支えるには(5)

2020-10-18 05:18:26 | 日記・エッセイ・コラム

 私が住む町内は、20軒を基準に区割りしてある。 理由は簡単で、20軒位なら、配布物が手短にできるからだ。 隣の区を見渡すと、23軒の内5件が空き家である。 一軒は、80代の男性の一人住まい、5軒が70から80代の女性の一人住まいである。 ただ、特筆すべきは、20代の女性の一人住まいがおいでである。 彼女は、耳に障害をお持ちである。 手話か筆談以外、コミニケーションがとれない。 玄関の呼び鈴も役に立たないのだが、緊急時にどのように伝えるべきか方法を考えているが、思いつかないでいる。 5人の独身女性は互いに行き来されているようだが、いずれの方も自家用車を持っていない。 80代の男性が頼りだが、そうした意識はお持ちでないようだ。 残りは若い世代であるが、家族が多く他人まで面倒などできそうにない状態だ。 その中で一軒は引きこもりの方がおいでだそうだが、詳しくはわからない。 確かに災害が発生した時、救助隊が一番困るのが、被害にあった建物に、誰がどのように住んでいたか解らない事だそうだ。 特に困るのがその家の間取り不明で、その間取りの何処に寝ていたかなどが解ると、救助活動に大変助かるそうだが。 ここでもプライバシーがはだかってくる。

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一人暮らしを支えるには(4)

2020-10-17 01:26:30 | 日記・エッセイ・コラム

 90歳間際の主人、80歳台半ばの奥さん、子供が40歳台後半の娘さんが二人。 問題は誰も自動車免許を持っていないし、車もない。 指定避難所の中学校までは直線で1.4km。 距離は少ないように思うだろうが、住んでいる場所は標高270mの所。 学校は標高260mの丘の上。 いったん下って、また昇り。 町の中心部の標高は70m。 この一家が避難するには、・・・・誰かの手助けがない限り無理である。 この事は自覚済みだそうだが、誰のお世話になればよいか、・・・・。 避難所に準備されているのは、毛布が一人当たり二枚だけ。 床にひくダンボウルが、今年導入されたが仕切りはまだ導入されていない。 こんな状況の家庭は、一人暮らしが四組同居と変わらない状況なのだ。 加えてこの団地は、土砂災害多発地帯で、避難勧告地に指定されている。 こうした家庭の救済方法を、町内会で検討し始めたが、今は個人的に対応する以外にないのだ。

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