藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

化学工場炎上、劣化ウラン本当に大丈夫?

2012-04-24 20:10:52 | 社会・経済

劣化ウラン200トン 化学メーカー4工場に眠る
 8月27日付けの日本経済新聞によると、1960年代後半から70年代前半にかけ、化学メーカーで触媒として用いられた劣化ウラン約200トンが、今も国内の大手4社の敷地内に、貯蔵されたままになっているという。
 劣化ウランは、原子炉等規正法に基づき厳重に管理されており、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けている。これまでに放射能漏れなどの事故は起きていない。
 約68.8トンを貯蔵している住友化学工業は、「工場内に占める管理区域はごくわずかで、保管状況のチェック費用も年間数万円から数十万円程度」というが、「核燃料物質なだけに、早く処分したい」と、三井化学(約71.1トン)、昭和電工(約44.5トン)、旭化成工業(約8.5トン)とともに口をそろえる。
 国の原子力委員会は今年3月、ようやく触媒用劣化ウランの処分方法の検討に入り、年内には基本方針をまとめたいとしているが、処分を始める時期のめどはたっていない。

劣化ウラン研究会ニュースレター 第3号(2000年10月発行)
からの抜粋です。

22日未明、三井化学大竹工場(山口県和木町、島県大竹市)火後、二日間爆発と炎上を繰り返しました。の事故について、面上で皆さんにどの様に報告する事が一番良いか考えていました。回の事故で、皆さんと共に考えていかなくてはならない事が、点あります。点目は工場に使われていた、綿製のスレートや、温材や耐火材として使われたアスベストが、発により広範囲に飛散したことです。点目は、化ウランが大量に保管されていた事です。口県は劣化ウランの飛散は無かったと言っているようですが、式な事実表明ではありません。去に劣化ウランを触媒として使用してきたことさえ公表されてきませんでした。回、従業員の証言から検証を始めた民間組織によって、めてその事実を知った市民の方が多いのです。化ウランもWHOや、LOの指摘を受けその使用を中止しましたが、さか今日までドラム缶で保存されていようとは。えても背筋が寒くなる思いです。物質に対する感覚の麻痺を疑わざるを得ません。こに登場した社はいづれも、発ファミリー企業です。説では、発マフィアとも呼ぶようですが、らの言い分は「く処理したかったが、国が針を示してくれ無かった。」の一言だったようです。分たちの利益追求のために利用した危険物を、らの手で処理しようとする姿勢など微塵も感じられません。日広島市内では、者の間でこんな会話が交わされていました。茶店での事ですが。

「原発は即時停止破棄すべき、しろ核爆弾を保有しろ」瞬耳を疑いましたが、れまで核爆弾の事故は無かった。」「が無いから中国と対等に外交が出来ない。」核の惨状の中から今日の広島を築き上げた先人たちが聞いたらどんな顔をするだろうかと考え込みました。化ウラン200トンが無防備で、本の工場内敷地に放置されている事実。の施設を、の地震が襲ったらと、うと今更ながら国の無策を感じます。


深山スミレが満開

2012-04-22 14:13:11 | 社会・経済

024

深山スミレが満開となったが、年は不思議な現象に戸惑っています。ツバチもこのところ姿をみせません。思議な現象です。えて津和ぶきの成長が遅いようです。年ならこの時期、度は津和ぶきの、煮しめをわうのですが、長が遅れている為、み取れません。

て昨日画面上で報告した「ーボンナノチューブ」健康に関する報告が、科学専門誌「atureNanotechnology」に載された論文で、石綿と同じ健康被害が発生する研究結果を発表したそうです。の研究結果を発表したのは、ジンバラ大学のケネス・ノナルドソン教授の研究班で、の論文の中で、スベストと同じ程度の発がん性を有すると結論付けたそうです。

「カーボンナノチューブ」は、でに日本では嘗ての石綿(スベスト)代替素材として嘗て石綿が使用されていた商品に使用されているそうです。うもこの世の中、じような性能を持つ物質は同じような毒性を持っているようです。農林省の古い資料の中に、農地のほじょう整備事業の中で、000Kmに及ぶ農業用水の配管に石綿管が使用されたことを見つけました。た、道管としても使用されていますが、れらは飲料しても健康に被害はないとしてこられましたが、がん患者や、腸癌患者など消化器系のがん患者の病巣から、々と石綿が発見され報告され始めているようです。の検証機関がいかにいい加減な検証と報告をしてきたのかが見えてきました。れらの事が、民の生活にいかに甚大な健康被害を及ぼすか本気で考えてくれる政治家を、てる事が必要だと痛感しています。

私も十数年前、じょう整備に使われた石綿管の補修工事を行った事がありましたが、の時異常な事に気が付いていました。通樹木は、分のあるほうへ根を伸ばし、にはそうした人工的に作られた送水装置の中までも、を伸ばしてくるのですが、綿管の周りはむしろ樹木の根が避けるように一定の間隔を保ち平行に伸びていた光景が忘れられません。

物は自己保身に優れた機能を持っているようです。

因みに、フリカ系人種と欧米系人種の癌発生率は8~人に人の割合で、本人を含むモンゴール系人種、ヌイット系人種(黄色人種)の癌発生率は15~人に人の割合であることが判明しているそうです。のことが色々な厚生行政の中で基礎数字となり、治療薬をはじめ他の病気の治療薬の認証に大きな影響を及ぼしてきた事を日初めて知りました。種により基礎的遺伝子の違いが、気の発生に大きく影響しているとは思いませんでしたが、れらのことは、類の進化の過程で、然条件の厳しい北極圏に近いほど免疫力が強い事を示しているようです。化の過程で得た折角の免疫力を、発や、工的物質により失う事の大きさを今こそ肝に銘じるべきときがたように思います


例年顔をみせるモンシロチョウがまだ姿をみせない。

2012-04-21 20:50:58 | 社会・経済

例年なら四月の中旬には、我が家の小さな庭に姿を見せるモンシロチョウが、姿をみせない。

どうした現象なのか不思議である。

連日の石綿患者の救済の為の、広島県下の地方自治体の、議員連盟の発足の目鼻が付き始めるとともに、私の体が悲鳴を上げ始めた。オーバーワークならぬオーバーヒート。しかし、体を誤魔化しながら、今日も一組の御夫婦と面談した。御主人が、両肺のセンガンと診断を受け、胸膜肥厚の傾向が見られ、過去に20年を超える建設関係、特にリホーム関係の仕事をされてこられたそうである。診察を受けた宇土医師からの紹介で健康管理手帳」(石綿取得のお手伝いをする事になったのである。いずれ我が身のたどる先を見ているようであった。それが年先なのか、はたまた10年先なのかは神のみぞ知るである。それまでは、人でも多くの石綿曝露患者の掘り起こしをして行く気力の継続が出来る事を望むばかりである。体の自由が利かないときこそチャンスだ今日実感した。WEBサイトでついに、戦前ドイツですでに発がん性について研究され、石綿の使用禁止が準備されつつあった事が判明した。しかし、第二次世界大戦後の混乱の中で、この問題は置き去りとなり、ドイツの戦後の経済活動の中で省みられなくなったが、1960年台の初頭、WHOが石綿の発がん性を認定し、その後アメリカでは、石綿企業が健康被害賠償訴訟の対象となり、石綿企業が賠償に応じ切れなくなり、次々に破綻していったことも分かってきました。1986年国際労働機関(ILO)は、石綿条約を採択し、1986年発効されたが、ただただ日本だけが、2005月まで批准を引き伸ばし、被害を増大させた。ただしこの国際法のメンバーに、台湾や、中国、など当時の後進国は参加しておらず、このことが2010年トヨタ自動車の修理用ブレーキ部品の中に、台湾製のアスベストブレーキシューがあることが判明し、又、中国に進出した、自動車部品メーカーの中からも同じ事件が発生した事実を知る事が出来ました。

又、国会の審議記録の中に、石綿に関する多くの資料が眠っていました。国は、八田 貞義衆議院議員の質問の中で、石綿の発ガン性を認識していた事がはっきりと明記されていました。昭和31年21日火曜日午前1044分開議 予算委員会第分科会の中での質疑の中にはっきりと国の対応の遅れを認めています。これが後昭和45年、当時の社会党の石綿禁止法案提出準備へと続くのですが、この法案は、自由民主党と社会党との話し合いの中で、提出されづその後被害が拡大して往ったのです。しかし資料を追求する中で、当時の公害対策特別委員会で、田中 昭二議員が厳しくアスベスト使用の自動車タイヤ粉塵が、年間30万トンに達している事を指摘し早急な対応を求めています。この様な国会の記録を読んで行くと、1987年横浜輸出用保管庫に大量のブリジストンタイヤが、年以上保管され問題となった記事に行き当たりました。つまり、前年発効した、石綿条約違反のブリジストンタイヤは、外国に輸出できなくなり、長きにわたり関税保管庫に居座っていたのです。国会の審議記録を読み進むと、ニューヨークの空気中には、検出されない石綿が東京ではすでに検出され、現在の規制値を大幅に超える量が検出された事が、国の調査機関から国会に報告されていました。

当時の自由民主党が、国民の健康よりも企業優先の政治を官僚と共に行って来たかがはっきりとしてきます。その結果が今日の肺癌患者の爆発的発生に繋がった事を皆さんで考えてみる必要があります。


石綿曝露はなぜ起きてきたのか。

2012-04-19 21:07:41 | 社会・経済

ゴム、イヤの製造にかかわる作業

」と思われるかも知れません。ムの中に石綿 かし現実にゴムの製造過程で石綿が使われえてきたのです。この事実を知ったのは最近のことです。学ゴムや、然ゴムの製造過程で石綿が増粘材として、磨耗材として利用されてきたのです。然ゴムは、オウを混入する事により、化すると共に、縮性を発揮し始めます。のゴムの硬さ調整の増粘材としてまた、摩耗性を向上させる為に石綿を利用してきました。のことにより、イヤの寿命が格段と延びたのです。路整備が進むにつれ、動車の一年間に走行する距離だ伸び、れに対応するタイヤが必要となったとき、綿が投入されたのです。いでに関連して、路工事従事者も康管理手帳綿対象者に指定されています。ぜなのかそうなのです。動車が行き交う道路上での作業は、さにタイヤ磨耗による石綿粉塵の中での作業と成ってきたからなのです。えて、海道を始めとする、冷地における道路舗装に使われたアスファルトの中に大量の石綿が使用されてきたことが判明し、サイクル利用する事による、綿の汚染範囲の拡大が問題に成ってきています。ぜ石綿がアスファルト舗装に使用されたか

二点理由があることが判明しました。れは昔の物語といっても、さんも御記憶があると思います。パイクタイヤそうなのです。てスパイクタイヤに対抗して舗装の強度を上げる必要があったのです。綿をアスファルトに添加することにより、とつ向上したことがありました。れは気温の変化に対する性能の向上でした。まり、に軟化するアスファルトの欠点を見事に解決したのです。まけに寒冷地における、スファルトのひび割れ現象までも解決したのです。の時以来、スファルト舗装は石綿とは、っても切れない状況と成ったのです。設省や、方自治体の担当者はこの事実を知っていたはずですが、場で施工していた職工の人たちには知らされませんでした。路上の白線もまた石綿を使用していましたが、止に成って短期間で白線が薄れるようになりました。替の物質が見つからないのです。のようにして我々は、綿被害をこうむってきたのです。れも、965年、はスエーデンからの造船の受注が石綿が原因で出来なくなったときから知っていたのです。970年まで、本の造船業界は無石綿技術を持っていませんでしたが、970IHIがスエーデンからの受注に成功しました。のとき発された技術はその後他国の船には利用されずにきました。綿の使用は、15年一部禁止、同18年全面禁止になるまで、使い続けられたのです。年度に入り、土交通省は、本に明治以来11箇所の石綿鉱山が存在した調査結果を公表しました。が以前から情報として入手していたのは、海道富良野と熊本県宇城市の二箇所だけであっただけに、の事実関係を確認するのに日かかりました。ずれこの画面で、さんにお知らせします。


どの様な職業が石綿曝露を引き起こしたか(12)

2012-04-17 06:58:22 | 社会・経済

建築物や建造物の解体作業

この項目は、略します。綿建材が大量に使用されている、和戦後に建設された建物の全てが石綿に汚染されている事実は明白で、の建物の解体破壊は、然に作業員や、辺住民に多大な石綿粉塵を浴びせてきます。うした現象については御理解いただけたと思いますので、った視点から想像も付かないものに石綿が使用されている例を今回は御紹介いたします。さんは嘗て魚を焼くときに炭火でコンロの上で焼かれたと思います。そのとき使用された、網に白い塗布物が存在していたのを、御記憶だとおもいます。のものこそ石綿なのです。の他に、院の病室の仕切りに使われたカーテン。炎不燃カーテンと呼びますが、れが、綿布によって作られた物で、月が経つにつれ、綿の飛散が始まり、者の皆さんを始めとして、護士など、療関係者の、発性肺癌や、皮腫の原因となったことは明らかですが、働基準局はこの事実を知りません。当然に発症者も知りませんから、れを原因として労災の申請をされた方は皆無です。しかし部の製造者や、院建設に携わった者はみが認識していますのほかにも消防士が着用した防火服も石綿で出来ていました。型劇場の緞帳もまた石綿を含む耐火性石綿布主流でしたが今日では使用されていません。テルのじゅうたんもまた石綿繊維を大量に混ぜ合わせ、摩耗性を高めたものが使用されていました。の様に日常生活で常に石綿粉塵にさらされてきた日本人は、界でも類の無い肺癌大国なのです。は早くから危険性を認識していたのですから、疾患の患者を救済する義務が存在すると思います。た、疾患の患者の皆さんも、連携し国の責任を追求していくべきと考えます。綿被害者救済のための地方議会議員連盟の結成に向けて準備に入りました。でに広島県下の地方議会の皆さんの中にこの趣旨に賛同いただき、同いただけた議員が十名を超えました。後も、人一人お会いして、力のお願いをしていきます。て、朝鮮における拉致事件に立ち向かわれた家族の皆さん方を手本として、国の地方議会からまず、綿被害者の救済を訴えてゆきたいと思います。