廣島平和記念式典は、正式には、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」という。
この式に初めて、内閣総理大臣として出席したのは、佐藤 栄作氏である。1971年 沖縄復帰交渉に成功した (安保条約延長と交換だとも言われているが、兎も角にも、返還を実現させてこと
は確かである) 年のことであったように記憶している。
政界の団十郎と言われた、長州(山口県)出身の内閣総理大臣であった。その後、歴代の内閣総理大臣が式典に出席するようになったが、平和公園周辺にその足跡が残っているのは、ただ一つである。
中曽根康弘内閣総理大臣が、式典の後読んだ句が句碑として、原爆ドームの下流200mの所に建てられている。
悲しみの
夏雲にむけ
鳩放つ
康弘 御璽
この句碑は建設当時、市民から議論百出したが、いつの間にか市民権を得た。
句自体は一見平凡に思えるが、羽ばたく鳩に廣島市民の、平和を願う姿が重なり、私は好きである。
中曽根康弘氏は1945年8月6日 高松で「きのこ雲」を遠望したそうである。それだけに、原爆に対しての思い入れが歴代の総理大臣の中でも強かった。被爆建物の保存も支持する人であった。
歴代の内閣総理大臣の中では、竹下 登氏がまだ青年教師時代に廣島の地の青年と交流を持ち、その後政治家になるきっかけであっただけに、思い入れは人一倍強かった事は、確かである。
いずれにしても、佐藤 栄作氏が式典出席の先鞭をつけたことは、事実である。
因みに写真の句碑は、「人」という字を象っている。