藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

原子爆弾と内閣総理大臣

2012-07-24 22:04:54 | 社会・経済

Photo_2 廣島平和記念式典は、正式には、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」という。

この式に初めて、内閣総理大臣として出席したのは、佐藤 栄作氏である。1971年 沖縄復帰交渉に成功した (安保条約延長と交換だとも言われているが、兎も角にも、返還を実現させてこと

は確かである) 年のことであったように記憶している。

政界の団十郎と言われた、長州(山口県)出身の内閣総理大臣であった。その後、歴代の内閣総理大臣が式典に出席するようになったが、平和公園周辺にその足跡が残っているのは、ただ一つである。

中曽根康弘内閣総理大臣が、式典の後読んだ句が句碑として、原爆ドームの下流200mの所に建てられている。

  悲しみの

               夏雲にむけ

                                        鳩放つ

                         康弘   御璽

この句碑は建設当時、市民から議論百出したが、いつの間にか市民権を得た。

句自体は一見平凡に思えるが、羽ばたく鳩に廣島市民の、平和を願う姿が重なり、私は好きである。

中曽根康弘氏は1945年8月6日 高松で「きのこ雲」を遠望したそうである。それだけに、原爆に対しての思い入れが歴代の総理大臣の中でも強かった。被爆建物の保存も支持する人であった。

歴代の内閣総理大臣の中では、竹下 登氏がまだ青年教師時代に廣島の地の青年と交流を持ち、その後政治家になるきっかけであっただけに、思い入れは人一倍強かった事は、確かである。

いずれにしても、佐藤 栄作氏が式典出席の先鞭をつけたことは、事実である。

因みに写真の句碑は、「人」という字を象っている。

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