WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

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「代議員制」ってホントに民主主義?

2012年10月08日 | このごろ思うこと

市民団体が約16万人分の県民署名とともに請求した「浜岡原発再稼動を問う住民投票条例案」が、「静岡県議会総務委員会」で全会一致で“否決”されたそうだ(10月5日)。

“全会一致”ということで共産党までも反対したのかと思ったが、静岡県議会に共産党は議席が無いようだ。もっとも共産党も「憲法改正国民投票法」には反対していたが。
県民が判断するに足る情報が不足している(それは議員さん、アンタの怠慢でしょうが)だとか、投票年齢資格(原案は18歳)や成立要件、投票実務を担う市町村の協力などの不備が指摘され、民主系会派は修正案を提出予定で、本会議での審議は残されているらしいが、絶対反対の自民系会派が過半数を制する県議会で可決の見込みはない。

ちなみに2007年、自民党政府は憲法9条改正を目的に「憲法改正国民投票改正案」を国会で強行採決している。時の首相は、つい先日再度自民党総裁になった、「ハラ痛政権投げ出し」の安倍ちゃんだった。右翼評論家らは「憲法改正国民投票改正案」成立は安倍ちゃんの成果だと持ち上げ庇ってやっているが。
そんなことはともかく、「憲法9条改正」を問う国民投票制度はゴリ押しするのに、「原発再稼動」の賛否を問う「住民投票条例案」には絶対反対という矛盾した態度には、あまりに露骨過ぎて笑うしかない。
今の国民のレベルでは、次の総選挙ではおそらく再度安倍内閣誕生となるだろう。そしてその初仕事は「憲法9条改正」国民投票となるのは間違いない。

今さらながら「代議制民主主義」の劣化のひどさを痛感させられる。「代議制」を隠れ蓑にやりたい放題。こんな制度のもとだからこそ、第3極などとまたまたゴマカシの上塗りで「維新の会」などのようなわけの分からん有象無象達が台頭してくる。
民主主義は死に体寸前だ。「代議制民主主義」は歴史の中で練り上げられてきた制度として無批判に信奉されているが考え直してみる時期に来ていると思う。私自身は何らかの形での直接民主主義制度が必要だと思っている。インターネットが普及した今、不可能ではないと思う。もちろんネットでは情報操作の危険性は必ずある。そのあたりのクリアがこれからの課題だ。
「今の国民レベルでは..云々」と小バカにしながら「直接民主主義」を主張することに矛盾を感じられる向きもあるだろう。確かに「国民投票」が必ずしも良い結果を選択するとは限らない。しかし明確な国民の選択(民意)という意味では受け入れなければならない。痛い目にあって初めて目が覚めるのは人間の性。それが民主主義というものだ。今の代議制度では何度痛い目にあったところで議員・政治家のせいにして目も覚めない。現に街角インタビューでの「政治が悪い」「~してほしい」といった態度がそれを証明している(そんな市民インタビューだけタレ流しているという見方もできるが)。


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