道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

彼岸を過ぎて

2014年09月27日 | 随想
秋分の日を過ぎてアサガオの葉も黄ばみ、花より種子が目立つようになった。一方、キクの成長が著しい。
 

植物には長日性と短日性の違いがあるとかで、秋に咲く花は日照時間が短くなったことを感知して初めて花蕾を形成するらしい。キクやコスモスは短日性植物の代表のような草花だという。

そのコスモスが、毎年苗を植えてもいっこうに咲かない。よくよく調べてみたら、街路灯のせいだとわかった。居宅の周りには街路灯が幾つかあり、なかにはナトリウム灯もある。夜の間も植物は光に晒されていたのだった。

早速アルミ箔のシートで、コスモスを照明から遮蔽する袋をつくり、夜はこれを被せることにした。

街路灯が整備されていることは、郊外住宅地の必須要件で、かつては行政への要望の上位にランクされていた。その願いが達成され、夜も明るく住み好い町になってみると、反面、前述のような些末ながら予期しなかった不具合が発生する。大げさに言えば、文明の必然というものだろう。

ある面で有益なことが、別の面の障害となることはよく起る。世の中は複雑で流動的な系の絡み合いで成り立っているから、人間が案出する事柄は、どんなに画期的で優れて見えることでも、万全を期すことができない。周到に計画し実行して万一問題が発生したら、速やかに改善するより外はない。

それが速いか遅いかは、問題をどのように認識するかによる。これには改善を担う組織の要路の人物の識見とセンス、判断力に負うところが大きい。

あらゆる問題のネックや失敗の真因をたどれば、最後は人事に帰着する。適材適所という、ごく単純な人材配置の合理性が貫かれているかどうかに、事の成否が懸かっている。

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