道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

整理と整頓

2019年07月19日 | 随想
ン十年も連れ添い、何の不満も不足もなく共に白髪になったつれあいでも、ひとつだけ我慢のならないことがある。
  
それは、彼女が片付け整頓のマニアで、モノが乱雑に散らかっている状態を極度に嫌い、亭主の私物を本人の知らない間に勝手に整頓してしまうことだ。
 
一見乱雑に見えても、本人なりに系統だてて整理し、積んだり展開して検索が容易にしてあるモノを、当人の随意で勝手に片付け収納されてしまうと、本人にはもうまったく手がかりが絶え、当人に聴かなくては在処がわからない。推理のしようもない。
 
発想が違う者が整頓したものは、悪魔の発想とでもいうべきもので、収納場所の意外性は驚くばかり。故意に隠そうとしているのではないかとの疑念さえ湧く。再び快適な配置を復元するのは容易でなく、苛立つことこの上ない。そのへんのところが、モノの利用目的を知らない者には、なかなか理解してもらえない。時には、互いの先祖が、遠い昔には不倶戴天の仇同士ではなかったかと思ったりもする。
 
整理と整頓とは違う。整理は体系的かつ合理的な分類の基準に従って、常に検索の便宜を考えて然るべき場所に収納する。整頓は、無秩序で乱雑に散らかったモノを見た目スッキリと秩序だて、清潔感を高めるべく、同類ごとに纏め収納する。それぞれのモノ同士の関係性は一切顧慮しない。とにかく、綺麗に片付いていれば好いのが整頓である。
 
したがって、整頓では、役目を終えたり、不要になったモノの廃棄はどうしても等閑になる。その結果、収納場所は必ず狭くなる。狭いところに大量に収めるから、廃棄すべきモノなど何処にあるかわからなくなる。元々検索という考えがなくて収納しているのだから、頼りは薄れる一方の記憶のみ。
 
一方整理は常に廃棄を伴った概念で、無用になったモノは廃棄できるよう、予め検索表を用意している。企業や役所では当たり前の整理だが、家庭の中のこととなると、手を抜いてしまう。整理は言うは易く行うは難しいものだ。
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