道々の枝折

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カルト団体と宗教

2022年08月22日 | 人文考察
武力を使わないで、人を意のままに支配しようとするなら、宗教の力を利用するのが手っ取り早いのだろう。
弱者救済を表看板に、個人の窮状につけこみ、情動に訴え自己愛を揺り動かし、入信させ洗脳する。
入信しないのが一番だが、勧誘とも布教ともつかない形で会員(信者)を増やすカルト団体の巧妙な手口に乗せられ、うっかり入会・入信してしまう人が多い。勧誘に対抗するのは、個人単独では難しいだろう。相手は組織である。対抗組織の支援が必要である。

カルト団体は、八百万の神が存在する宗教観の甘い日本社会に、戦後、雨後の筍のように現れた。昔はカルトの言葉を知らず、新興宗教と呼んだ。
旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)という宗教法人も、新興宗教のひとつとして発足したが、教祖が潜在的に反日、顕在的に反共の思想をもった韓国人であったところに特異性がある。この団体の活動の核心に反日感情があることを、看過してはいけない。

宗教すなわち信仰は、魂の救済という点で、人間には無くてはならないものであるが、正しい宗教(真理の信仰)と似て非なる宗教(虚構の信仰)とがあることを、私たちは客観的に確かめ、厳しく峻別しなければならない。

監督官庁が与える宗教法人のお墨付きは、国家がその宗教を保証したということでなく、単なる税法上の課税対象としての要件を満たしているというに過ぎない。何ら宗教としての正当性を保証するものではない。

宗教は本質的に信者が増え集団化するもので、その宗教団体の内部は必然的に信者の獲得数と献金の額の多寡という極めて単純な評価基準によって②階層化する。階層が巨大化すると、階層トップの教祖の権力を押し上げ、その側近たちの③官僚化を招く。彼らの教団経営は財務に偏り、信仰の希薄化が避けられないので、教祖を④神格化することで教団組織の強化を図る。
「オーム真理教」は、教祖のカリスマ性が極めて強い宗教団体だったが、その教団組織は上記模式を絵に描いたようなカルト集団だった。

教祖無くして宗教は成立しない。したがってあらゆる新興宗教は、教祖の神格化に向かう。それは教祖自身が求めたり企図しなくても、その組織の構成員である信者がそれを求めるからである。教祖の神格化は偶像崇拝に繋がり、偶像は信仰と不可分のものなる。

ユダヤ教の影響を受けたイスラム教もキリスト教も、偶像崇拝を忌避したが、今日のプロテスタントでも、十字架だけはなくせなかった。
偶像は、信者が神と共に在ることを常に実感するに必須のものである。神を物質的に実感させる神の代用物、ある意味依代であるから、偶像が多い宗教の信仰性は形而下に留まり、宗教としての質が低いと見做して差し支えない。教団が信徒に販売する偶像の種類が多様なほど、価格が高いほど、宗教としての正当性に疑問符が付く。

カルトはその特徴として偶像崇拝拝金主義を必ずセットで伴うもので、この2点セットに注目していれば、カルトかどうかの見分けは容易である。しかし、様々に偶像の形や集金システムを変えて偽装する団体もあるから、健全な生活者は注意が肝要である。

私ごとで恐縮だが、かつて30代のはじめの頃、アメリカに本拠を置き世界中に支部を拡げていたキリスト教系の宗教団体の勧誘を受け、半年のうちに入信寸前まで行ったことがある。
極めて理論的な聖書の解釈を展開し、触れるものは聖書と教団発行の廉価な文書だけ、寄付の強制などなく、偶像は一切否定する教団だった。私はたった一つ、納得できない教理があって入信しなかった。
次に同じくアメリカで興ったキリスト教系の宗教団体と昵懇になった。大病の後で、宗教に関心を強く抱いていた頃のことである。

その教団は肉食を禁じ、聖書の安息日を土曜日と解釈する宗教だった。信者は子どもを土曜日に登校させない。
これも、生活との相違が大きく障壁になって入信に至らなかった。
その後プロテスタントの日本基督教会で4年近く求道させていただいたが、受洗に至らなかった。宗教的猜疑心(信仰を妨げる最大のもの)が極めて強く、自分は信仰に向かないと悟った。

一神教の国アメリカの新興宗教は、キリスト教の原理の解釈に対する批判から出発しているものが多い。統一教会もキリスト教系であるのは、プロテスタントやカトリックのキリスト教批判者を、教団に勧誘する為である。
李氏によって仏教が廃された元儒教国家の韓国は、日本と違って宗教不在(儒教は宗教ではない)の地、戦後キリスト教布教が盛んであったため、キリスト教徒が人口の30%を占める。
アメリカの宗教社会と韓国人が親和性が高いのは、たかだか人口の1%未満しかキリスト教徒が居ない日本とは、大きな違いである。

信仰心の強弱を測る尺度として、教団への寄付とか献金という形が推奨され、そこに拝金主義が宿るようになる。これには巧妙に任意性・自発性を装う方法が用意されている。
拝金主義は、カルト団体の一貫した布教動機である。それは信者への物品(偶像や文献)販売や、寄付納入システムを発展させる。

原始時代の信仰には、自然崇拝・祖霊崇拝・性崇拝の三つの信仰があり、それぞれが偶像崇拝を伴っていたと思われる。
今日の世界宗教といわれるものは、永い年月をかけてこの3つの原始的崇拝から脱却しているが、カルト団体はその原始性ゆえに、性崇拝と無縁ではない。カルト団体の中には、性崇拝を利用して信者を増やそうとする手法が、歴史的に見受けられて来た。

性崇拝は曲者で、わが国の江戸時代には、淫祠邪教と目される宗教団体が跋扈し、幕府は取り締まりに苦労した。明治以後の新興宗教にも、風紀紊乱の罪で警察の取り締まりの対象となったものもある。

今日のカルト団体の中にも、性的な潜在意識を利用して、若い男女を信仰団体に誘い込んだり、信徒として定着させる手法は存在している。
サークル活動などを利用する現代のカルト団体の信者獲得には、性崇拝の心理につけ込む勧誘であると考えられているから、若い人たちは注意を要する。性と宗教との関係には、たとえ民主政治の国家であっても、治安当局の監視は必要だろう。

今日社会問題・政治問題になっている〈世界平和統一家庭連合(旧統一教会)〉は、かつて〈原理研究会〉の名称で各地大学内に浸透し、サークル活動などを通じて会員獲得を行なっていた。
その後〈統一教会〉を名乗り活動、強引な勧誘や寄付強制などが問題になり、被害者たちの相談に当たった法曹家の指弾を厳しく受け、社会問題になると〈世界平和統一家庭連合〉に名称を変えた。団体の本質は首尾一貫して変わっていない。
宗教(キリスト教の教理)の名を藉り、各国の政治に浸透を図り、世界を自分たちの考えで統一し制覇することが目的政治団体である。ここのところが、カルトのカルトたる所以であろう。

目下自民党と旧統一協会との濃密な関係が取り沙汰されているが、中核は故安倍総理が会長をしていた清和会であった。現在関係のあったことが知られている国会議員は、故安倍人脈に連なる人たちが多い。
安倍氏の祖父岸信介氏と北朝鮮生まれの韓国人文鮮明という統一教会教祖との個人的かつ政治的関係に発した絆の根は深く広い。

安倍一強政治の謎とカラクリ今初めて国民の目の前に明らかになりつつある。すなわち小選挙区制度のもとでの統一協会の強力な選挙支援が、故安倍氏の選挙の強さの源泉で、それが、旧安倍内閣の独断専横政治を可能にしていたのだった。当然その見返りはあった筈で、それは追々明らかになるだろう。






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