憂国のZ旗

日本の優れた事を様々話したい。

韓国が「もんじゅ」に不正アクセス

2014-01-08 05:04:18 | 時評
もんじゆへのアクセスは大きな問題と感じる。
韓国の原発技術は、東芝の事件と関係がある風です。
なぜかしら、東芝は次世代RAMを韓国で生産すると言う様に、
発信源は韓国の要望に添った事態を予感できる。

脱原発とは、国のエネルギー政策を震撼させる。
そこに、外国勢力の関与が有れば、内政干渉といった時点を越えて
侵略の意図を強く感じる。

韓国と言えば、海軍力を増強し、空軍力に食指を伸ばしている。
日本国を公然と仮想的国視して、第一に朝鮮半島の統一を目指すとしている。
北朝鮮による公算が大きいと私的には見ている。
韓国が今後も自立するにはアメリカと日本との支援をはがして見るのが、
妥当な見方である。韓国政府は容易に国を売り払うと見るが、
適切な見方と評してもよいだろうか。

朴槿恵大統領の言いつけ外交の土台には、国を守ると言う心は無いと
感じる。(常識があれば)人外の対応には周辺の中共、ロシア、アメリカ
など、何処の国にも組する姿勢がちらつく。

日本が駄目なのは、平和憲法を持ち、憲法9条で侵略の意図を有しないからというのは、
皮肉な話である。集団的自衛権 も絡んでくる。
だから、対外政策で日本国批難を続けると言うのは言い訳にもならない。

ただし、中共やロシアに比べて、垂涎のものを所持しているのは、
日本国に他ならない。韓国の姿は、幹に絡みつく寄生植物の姿に他ならない。


万国時事周覧
http://blog.goo.ne.jp/kuranishimasako/e/3651c90e0dace5dfc54ffee7551d5b66

日本国の反原発運動の黒幕はやはり韓国?

2014-01-07 17:41:36 | アジア
「もんじゅ」パソコン、韓国に33回情報送信か(読売新聞) - goo ニュース
 2011年3月に発生した福島第一原発の事故以来、日本国では、マスコミをも巻き込む形で激しい反・脱原発運動が繰り広 げられてきました。当時から、黒幕として韓国の名が挙がっていましたが、本日報じられた「もんじゅ」情報不正漏洩事件は、この説を裏付けることになるかも しれません。

 2012年に韓国がUAEの原発を受注した時、韓国の技術レベルの急速な向上に驚いたのですが、その背景には、2010年に東芝から原子炉制御技術に関 するハード・ディスクが盗まれた事件との関連が噂されていました。韓国は、原子力産業を将来の有望産業と位置付けており、従来型の軽水炉のみならず、次世 代原子炉の高速増殖炉の研究・開発にも取り組んでいると報じられています。ところが、この分野においても日本国の後塵を拝しているため、日本国の「もん じゅ」の技術は、喉から手が出るほど入手を強く望んでいると推測されます。そして、福一の原発事故は、韓国にとりましては、又とないチャンスとなりまし た。何故ならば、日本国が反原発政策に舵を切れば、日本国の原子力技術と産業を潰し、職を失った原発技術者を自国に引き抜けると共に、日本国というライバ ルを国際競争から脱落させることができるからです。高速増殖炉の技術をも含めて…。反原発デモでは、太鼓や鉦が激しく打ち鳴らされ、どこか大陸風なところ がありましたが(ハングル文字も見られたとも…)、韓国には、日本国内の反原発運動を後押しする強い動機があるのです。

 「もんじゅ」情報の漏洩先は韓国のサイトと報じられてはいるものの、確定されてはいませんが、誰もが韓国を疑う状況にあります(日本国の政策転換に失敗 したので、デモ動員からスパイ作戦に変更?)。反原発運動の背後を明らかにするためにも、日本国政府や警察には、背後関係を含めた徹底した調査をお願いし たいと思うのです。


首相による靖国参拝の意義

2014-01-08 01:40:18 | 時評
靖国神社参拝の意義は今後も大いに論議するべきである。
メデイアの立場は悪かったと言う立場から発せられる。意義を語る人はこれからも現れると信じている。

外交に於ける一面では、物事の本質を言い当てているとは言い難い。

朝日新聞の論説は極めて偏狭に過ぎる。

安倍首相の靖国参拝は中韓見限り 「配慮に意味がないことに安倍首相は気づいた」
2013年12月27日
http://www.watch2chan.com/archives/35952633.html

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1388067975/

1: スパイダージャーマン(やわらか銀行) 2013/12/26(木) 23:26:15.66 ID:ZrPbCGJd0
安倍首相の靖国参拝で中韓大騒ぎ 屋山太郎氏「首相は中韓見限った」

内閣発足から1年となった26日、靖国神社を電撃参拝した安倍晋三首相。国際社会は即座に反応し、反日姿勢を強める中国、韓国は激しく動揺。現地メディアが一斉に速報を流すなど大揺れ模様だった。

中国の国営新華社は、共同通信を引用する形で、安倍首相の靖国参拝を速報し、強い関心を示した。他の現地メディアは外務省高官の話として「中国人にとって絶対に受け入れられない。アジアの人々の感情を傷付けるものだ」と伝えた。

毛沢東主席の生誕120年の記念日だったこともあり、中国は「安倍氏が首相である限り、中日関係の改善は難しくなった」 (中国共産党関係者)と猛反発。新たな反日デモが起きないか懸念する声も出ている。

韓国の聯合ニュース(電子版)は、「安倍首相、靖国神社電撃参拝」という見出しの東京特派員電を掲載。「歴史問題や尖閣問題などで対立してきた日韓、日中 関係がさらに凍りつくことが予想される」「日韓首脳会談の開催なども今のところ期待しにくくなった」 「とてつもない(日韓関係への)悪影響」などと報じた。

米ABCはNHKのニュースを引用する形で、安倍首相の参拝を報道。AP通信も速報し、「中国と韓国を激怒させるのは間違いない」 と伝えた。

(続く)

2: スパイダージャーマン(やわらか銀行) 2013/12/26(木) 23:26:45.96 ID:ZrPbCGJd0
◆政治評論家の屋山太郎氏

「安倍首相には「今年中にお参りしたい」という強い思いがあったのだろう。形を整えて、精神が宿るというのが神道の神髄だ。 就任1年を機に英霊に尊崇の念を表わすというのは、伝統にのっとったいい決断だ。

参拝を自粛していたのは、中韓関係に配慮してのことだ。だが、この1年、韓国は反日外交を続け、中国は武力を背景にした 覇権主義を止めようとしなかった。これだけ日本が譲歩しているのに中韓両国の敵対的な姿勢は変わらない。
配慮に意味がないことに安倍首相は気づいたのだろう。

ある意味で、安倍首相は中韓を見限った。ここで、彼らに断固たる姿勢を見せられたのは非常にタイミングがいい」(談)

◆高崎経済大学の八木秀次教授

「安倍首相はずっと参拝のタイミングをはかり、環境が整ったと判断したのだろう。

米国の理解を得たことで参拝を決断したのではないか。米国からの日韓関係改善の提案にも、韓国の朴槿恵大統領は日本の 悪口で返した。さらに、安倍首相が、秋の例大祭で参拝を見送った後に、中国は防空識別圏を設定した。米国は中韓両国との 関係がこじれているのは日本側に問題があると思っていたフシがあったが、こうした中韓の動向をみて米国も判断を改めたはずだ。

また、懸案だった、日本版NSC『国家安全保障会議』の創設や、沖縄の普天間基地返還問題も解決のメドがついた。 一区切りをつける意味合いもあったのだろう」(談)

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20131226/plt1312261820005-n1.htm

靖国の神学・私論 ~安倍総理の参拝が意味するもの~〔1〕

2013年12月27日 公開
http://shuchi.php.co.jp/article/1748
小川榮太郎(文藝評論家)
 戦は好戦派といふ様な人間が居るから起るのではない。人生がもともと戦だから起るのである。
(小林秀雄「戦争と平和」)
国民の総意による安倍首相の参拝を
 安倍政権は姑息であつてはならない、絶対に。靖国神社参拝に関する最終的な態度決定に当たつては。
 何故か。端的に言ひませう。靖国神社は近代日本における国柄の中核的価値だからです。
 安倍政権は、アベノミクスによる日本経済の応急処置に成功し、安倍ドクトリンとも言ふべき独自の外交――日米同盟、対中包囲網、資源外交を基軸にしつ つ、アメリカからの自立に向けて徐々に重心を置き換へる――により、崩壊寸前だつた日本の土台の補修に成功しました。たつた半年です。その上で、今般は参 議院選挙にも大勝し、衆参のねじれを解消した。これだけでも既に、安倍首相は戦後でも稀有な名宰相と言つていい。
 しかし、安倍政権の掲げる「日本を取り戻す」は、単なる経済の復活ではありません。目先の日本復活だけではないはずだ。安倍首相が、状況を見つつ、発言 を微妙に修正しつつも、従来のどんな首相も敢へて語らなかつた歴史認識問題や憲法改正を、タブー視せずに語り続けてきた事から明らかなやうに、安倍氏にと つて、この取り戻すべき「日本」の本丸が、第一次安倍政権時の「戦後レジームからの脱却」であるのは明らかでせう。
 であるならば、これからが戦ひの正念場です。
 安倍首相がこの半年で稀にみる政治的勝利を収めたのは、経済にせよ、外交にせよ、しなやかな現実感覚を持ちつつも、根本は絶対にぶれないといふ自信と信 念とメッセージ性に裏打ちされてゐたからです。だが、靖国参拝では、今のところ首相は、「政治問題になる可能性がある以上、行くとも行かないとも言はな い。前回の政権時に参拝しなかつたことは痛恨の極みだ。」として、それ以上を語らうとはしません。私も、今の段階で、これ以上の発言をされない方がいいと 思つてゐる。
 とにかく在任中に一度でも参拝すれば形がつく、といふやうな発想が一番いけない。絶対にいけない。さらに靖国参拝自体を公約にした小泉元首相の二の舞に なつてはいけない。靖国とは何かといふ国民的理解の深まりがないまま、外交的配慮の名の下に、日をコロコロ変へて、とにかく参拝し続ける、これでは政治的 パフォーマンスだ。祀られてゐる英霊がこれをどう見るか。
 私は、何はともあれさつさと8月15日に参拝してくれなどと安倍氏に注文するつもりはない。総理の靖国参拝は昭和51(1975)年三木首相以後、40 年近くにわたつて極めて面倒な状況下で、翻弄され続けてきた。そんなもの気にせずに、粛々と参拝すればいいぢやないか。さう、その通りと言ひたいが、これ から論じるやうに、総理の靖国参拝は、司法の知的暴挙、マスコミのアンチ靖国報道、歴代首相の腰砕け、それに乗じた近年の中国・韓国の外交圧力が輻輳し て、殆ど解き難い迷宮と化してゐる。さうした中、ろくな準備もせずに、単発での総理参拝は問題の解決にはならないと私は思ふ。安倍総理には、以後歴代首相 が、ごく当り前に毎年静かに公式参拝できる環境を作つてもらひたいし、それを土台に天皇陛下の御親拝までも実現して頂きたい。だからこそ中途半端な蛮勇は 禁物なのである。
 まづ、肚を据ゑることです。靖国参拝は我が国の精神的価値の中核にある。政治・外交イシューではない。安倍首相はこのことを理解してゐる極めて稀な政治 家だと私は信じてゐる。だからこそ、この問題は、まづ第一に、首相の内心における英霊への真摯な祈りと問ひかけにかかつてゐると思ふ。
 今の日本の崩れは容易ならざるものです。経済や安全保障の危機はいはば表面的な症状に過ぎない。内側に病気の原因があるからかうした症状が出る。この内 なる病因をこれ以上放置すると、日本はある日突然死しかねない、それほど、内側からの崩れは深刻だ。その内側の病因と靖国問題は深く関係してゐる。一言で 言へば、自分の国を先の大戦で敗れた相手に守つてもらつて、自分たちは金儲けにうつつを抜かしてきた。人々は口を揃へて平和と繁栄が尊いと言ふ。しかし、 道徳的腐敗の上に永続的な平和も繁栄もあり得まい。こんなことをちらとも恥ぢと思はないで70年もやつてゐれば、国民の心はばらばらに荒廃し、国家として の求心力はどんどん失はれるに決まつてゐる。
 靖国はこれから論じるやうに、さうした荒廃から私たちが立ち直る上での中核価値です。だからこそ安倍首相に直言したい、政治・外交の桎梏や周囲の専門家 の助言から一度自由になり、真つ白な心で靖国問題を熟思していただきたい。英霊の声を静かに聴いていただきたい。英霊は間違ひなく安倍首相にならば分かつ てもらへると信じて、本当の声を届けたいと切望してゐる。安倍氏ほどの政治家だ、その時、必ず見えてくる国柄と解決の方途があるはずだ。
 勿論、政治家である安倍氏は最終的な行動については慎重であらねばならない。だが、逆に我々国民は傍観者であつてはなりません。心ある国民は、国辱に対 してもつと激しく強く怒らねばならない。そもそも我が国の為に戦場に散つた功労者への鎮魂・顕彰を、諸外国に遠慮して自粛するといふ国辱を許す位なら、も う一度一億玉砕した方がずつとましではないか。230万人もの方々が日本の為に命を捧げたのが、たつた70年前のことです。その人たちが命を捨てて国を守 つてくれた御蔭で、今日の日本がある。その230万人もの御霊を日陰者にしてまで、マスコミの反応がどうの、外国の顔色がどうのと、事なかれを期する国が あれば、そんな国は腰抜けどころか、精神の腐りきつたドブだ。
 かういふ常識をまづ日本国民全体で取り戻さなくて、アベノミクスで「日本を取り戻す」もへつたくれもない。日本国民が、国論として、靖国神社の深い意義 を理解し、守り、外国からの不当な干渉を断乎許さぬと言ふ強い共同意志を持たねばならない。安倍首相が堂々と公式参拝をできるだけの、強力な国民の総意を 形成する努力をしなければならぬ。外国の不当な干渉といふ戦場に、安倍政権を裸で放り出してどうするか。我々一人一人の愛国心、国の安寧を祈る深い祈り、 それが安倍政権を正しい選択に向けて動かす。安倍政権を外側から論評するのではなく、我々の祈りで安倍氏が本来なすべきことをなせるやう、支へ、押し上げ ねばならない。
靖国神社創建の意義
 ところで、ここまで何度か、靖国神社が日本の中核価値だと書いてきたが、どういふ意味か。少し整理して論じてみませう。議論は三段に分かれます。靖国神 社は明治維新、新政府発足とほぼ同時に創建されましたが、この靖国創建にはどのやうな意義があつたのかが第一の論点。次に、靖国が、日本人にとつて、ある 絶対的な場になつたのは大東亜戦争を通じてである。「靖国で会はう」を合言葉に無数の先人が戦場で散つた。このことを通じて靖国は近代日本の中核価値とし ての本質を顕はにしたといふのが私の考へです。これが第二の論点。そして三つ目、かうして余りにも大きな犠牲と引き換へに靖国神社の本質が現れたといふの に、戦後、それは言語に絶するひどい侮辱に汚され続けてきた。つまり、第三の論点は、この靖国の現状と、その克服方針の私案です。
 まづ第一の論点、靖国神社創建の意義とは何だつたのか。
 靖国神社創建は明治維新に遡る。東京招魂社といふ名での仮宮での最初の祭祀は明治2(1869)年6月、社殿の正式な落成が明治5年5月、靖国神社と改 称されたのは明治12年6月の事だ。しかし、明治天皇による創建御意向の表明は新政府発足の直後に遡る。慶應3(1867)年12月9日に王政復古の大号 令、翌年36月14日に五ヶ条の御誓文が公示され、新政府の政治方針が明らかにされた。その直後の5月10日、太政官府から発せられた「癸丑以来殉難者ノ 霊ヲ東山ニ祭祀ノ件」との布告に、既に明治天皇の御意向が示されてゐるのです。「唱義精忠天下に魁して国事に斃れ候諸子及草莽有志の輩」を幕府側による 「冤枉罹禍」から名誉回復し、「国家に大いに勲労ある者」の名が「湮滅」せぬやう、これら死者の「志操を天下に表し、其忠魂を慰められたく、今般東山の佳 域に祠宇を設け、右等の霊魂を永く合祀致さるべき旨仰せ出され」た。
 癸丑は嘉永6(1853)年、黒船来航の年だ。それまで遡つての慰霊となれば、「国事」が、列強からの日本防衛の意味を当初から帯びてゐたのは明らかで す。また「草莽有志」といふ表現から、元々は正式な皇軍のみならず、在野で志に斃れた人々をも祀らうとされた事、また、志操の顕彰と慰霊といふ二つの目的 も当初から明示されてゐる。そして、実際に各藩に戦死者の名簿提出を求め、それに基づき、合祀と慰霊が始まります。
 武家政権から天皇に権力が「奉還」されるのは700年振り、天皇ご自身が政治権力を握つてゐた時となると更に500年遡らねばならず、近代的な王政復古 の先例はない。だから、正統性の根拠を求めるために、王政復古の大号令は「神武創業」まで戻つて語られねばならなかつた。その上、明治天皇は17歳の幼 帝、おまけに政府中枢は公家と西郷や大久保ら下級武士です。天皇の権威に国家が帰趨するか、全く分からぬ極端に不安定な状況だつたと言ふべきでせう。新政 府のやる事は、当初、全てが博打だつたと言つていい。
 そんな状況下で、明治国家は、政権掌握と同時に無名戦士たちの慰霊の社を創ると発想し、それを天皇の御心として布告した。しかも大きな労の掛かる慰霊・ 神社創建を、当事者らが必要を全く疑ふこともなく着々と進めた。戦死者の顕彰は古今東西見られるが、懇ろな神事としての慰霊から国肇めをする例は余りない のではないでせうか。
 そして、それが仏式でもなく、国家による無宗教の慰霊でもなく、神社の形をとつたこと。新政権発足時におけるこの判断は、恐らく、当事者が考へてゐた以 上に近代日本といふ新しい国のその後の形を暗示してゐる。祭政一致を理念とする御皇室の民を思ふ祈りと、亡くなられた御霊を神祀る日本人の心の習俗と、近 代的な意味での政府による無名戦士追悼とが、期せずして合一したのが靖国神社だと言へるからです。如何にも日本らしい重層的な場なのです。様々な慰霊の伝 統と近代国家としての兵士顕彰とが混然と一つになつて違和感を生じないところに、日本の国柄がよく表れてゐる。
空想的な国立追悼施設の議論
 梅原猛氏などは「靖国神道は自国の犠牲者のみ祀り、敵を祀ろうとしない。これは靖国神道が欧米の国家主義に影響された、伝統を大きく逸脱する新しい神 道」だからだ。怪しからんと言ふ。そんな簡単な話ではない。伝統的な習俗となつてゐた自然神道、神社神道は勿論素晴らしい。だが、それらの信仰、世界観だ けではあの時、日本は持たなかつた。天皇の為に死ぬ、この気魄を直接に受け止める場が必要だつた。さうした神道が「伝統を大きく逸脱する」かは記紀万葉を ひもとけば大いに疑問としなければならないが、仮にさうだとしても、それも無理はなかつた。「伝統を大きく逸脱した」恐ろしい現実が海の向かふからやつて きてゐた、新しい信仰、新しい力、新しい求心力が必要だつたのです。それがもし歪みならば、さうした近代日本の定めの悲しみや歪みを含めての靖国神社だ。 何故それをこの人は居丈高に断罪しようとするのか。
 また、小泉首相の参拝が問題になつてゐた頃書かれた高橋哲哉氏の『靖国問題』、私には元々「靖国問題」は存在しないので、今回初めて読んだが、いや、驚 きました。紙幅の都合で氏の詐欺論法の数々をご紹介できないのが残念だが、結論だけ言へば、氏は、靖国神社は戦死者顕彰=再度国民を戦争に駆り出すシステ ムである。そのやうなものは戦後の平和憲法の趣旨に反するから、国家とは完全に切り離すべきである。その上で「非戦の意志と戦争責任を明示した国立追悼施 設が、真に戦争との回路を断つことができるためには、日本の場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法9条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄する必要 がある」といふ。靖国といふ怪しからん追悼施設の代はりに、氏の理想とする国立追悼施設を作るために、日本は軍事力を廃棄せよといふ訳だ。倒錯しきつてゐ る。「国立追悼施設が、真に戦争との回路を断つことができるためには」、世界中の国と人類の思考の中の「戦争との回路を断つ」以外、一つも方法はありませ ん。「追悼施設」が「戦争との回路」になるのは、施設がシステムに力を与へてゐるからではない。日本が第9条通りの完全軍備撤廃をしないからでもない。エ ピグラフに出した小林秀雄の言ふ通り「戦は好戦派といふ様な人間が居るから起るのではない。人生がもともと戦だから起るのである。」
 両氏に共通するのは、靖国を断罪し、無い物ねだりしながら、文体や論法に、靖国の祭神のみならず、戦死者全般への慰霊の心情が、嫌になるほど感じられな いことです。高橋氏の追悼施設の議論が、ここまで空想的になるのは、そんなものには本来氏が何の関心もないからに他なるまい。事実氏は本書の中でポロリと こんなことを書いてゐる。「集団的な追悼や哀悼の行為が、それ自体として『悪いこと』だとは私は思わない。」こんな文章を平気で書ける人間が、靖国に限ら ず、戦争や戦死者について論じる事自体猥褻だと私は思ふ。

徐々に強まっていた英霊への意識
 維新の後、近代日本は戦争に継ぐ戦争でした。靖国神社も、この後、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦など、内外での戦争の度に、戦死者を祀つていきます。
 そして、天皇の御親拝も度々のこととなる。その祈りの御心は、例へば次のやうな御製に示されてゐると言へるでせう。
 招魂社にもうづる時よめる
 わが國の ためをつくせる ひとびとの 名を武蔵野に とむる玉垣(明治7年)
 たたかひに身をすつる人多きかな 老いたる親を 家にのこして(明治37年)
 暁寝覚
 あかつきのねざめねざめに思ふかな 國に盡くしし人のいさをを(明治44年)
 しかし、この間、慰霊と顕彰の場として、特に国民に広く靖国神社が浸透してゐたかといふと、必ずしもさういふわけではないやうです。寧ろ靖国は、長らく 招魂社といふ、当初付けられた名前で東京の庶民に親しまれる公園の側面が強かつたやうだ。明治期の各種の東京名所案内にも、境内の木々花々の美しさが繰り 返し紹介されてゐる。祭りの賑はひも大変なものだつたらしい。川端康成の文壇的処女作と言へる『招魂祭一景』は靖国神社秋の例大祭での境内の祭りを描いて ゐますが、曲馬団による馬の火潜り、八木節の小屋、魔術小屋などが並び、「靖国神社の境内だけが気違ひじみて騒がし」いといふ程の賑はひだつたといふ。ち なみにこれは大正10(1921)年の作品です。
 勿論、日露戦争では8万人の戦死者が出、川端の作品の数年前に終結した第一次世界大戦でも5000人近い戦死者が出てゐます。さうした中、靖国の英霊へ の国民の意識が徐々に強まつてゆくのは自然なことでせう。田山花袋の『東京の30年』には「九段の公園」の章があつて、青春の思ひ出がロマンティックに語 られる一方、次のやうな文章も見受けられる。
 「今に豪くなるぞ、豪くならずには置かないぞ」かういふ声が常に私の内部から起つた。私はその石階を伝つて歩きながら、いつも英雄や豪傑のことを思つた。国のために身を捨てた父親の魂は、其処を通ると、近く私に迫つて来るやうな気がした。
 花袋は自然主義文学流行のきつかけとなつた『蒲団』の作者だ。下宿に来てゐた姪に恋して、最後は姪の蒲団の移り香をかぎながら泣いたといふ、まあ情けな い話だが、要するに恥づべき「告白」をする花袋の「勇気」が新しい文学の季節の到来を告げたといふのが文学史の通説です。儒教モラル、旧家の重圧、近代国 家の急成長――その狭間に零れ落ちてしまふ私情にこそ人間の真実があると花袋は考へた。ところが、その花袋でさへ、一方では西南戦争で戦死した父を靖国と 重ねる、こんな強い国家的な心情を自然に持ち合はせてゐた、それが明治日本だつたのです。
 だが、靖国神社を靖国神社たらしめる強い求心力はまだ発生してゐません。
 では、靖国神社が、大きく変質し始めるのはいつ、どのやうにしてか。それは、支那事変を通じて戦局が泥沼化し、戦死者数が急増する過程、そして何と言つ ても大東亜戦争を通じてでした。戦地に行くだけで命を捨てる覚悟をせねばならない、そしてまた、それが国運と日本の国柄を賭けた戦ひだといふ自覚が国民に 浸透してゆく。徐々に「皇軍兵は散華したら靖国に戻り、天皇を始めとして生き残つた者はその英霊を祀り、顕彰する」といふ「靖国の思想」が、国民の間に強 く共有されてゆく。
 この過程を、先にご紹介した高橋氏の議論のやうに、戦争に国民を駆り立てるシステムと見て、当時の大仰な慰霊祭や軍国教育やマスコミの軍国プロパガンダ から、その「証拠」を集めてくることは容易です。戦意高揚も軍国教育も、あの厳しい国際環境の中での日本の異常な孤独を考へれば、必然だつたらう。私は後 知恵で、それを軽蔑したり裁いたりするつもりはない。だが、どんな時代も、その時代の最も深い精神が、さうしたプロパガンダに宿つてゐることは決してな い。「靖国の思想」の中核は、そんなところには全くない。
国民の側が身を捧げて応答した言葉
 残念ながら、今の私には、この難問を解くだけの準備も力量もありません。しかし、これを解く鍵がどこにあるかだけは分かつてゐる。靖国神社が発行してゐ る『英霊の言乃葉』つまり英霊たちの遺書がそれだ。今、九集を数へるこの本を静かに通読してゆくと、どの頁にも、現代日本人よりもずつとしなやかで多様な 精神の自由、国と己の運命への批評の自由を確保した人達の言葉を見出して驚かざるを得ない。自由な精神をちつとも失つてゐないのに、一様に、自然に静かに 清らに、国のための死を受容してゐるその言葉の佇まひに打たれざるを得ない。
 政府とマスコミ挙げての戦意高揚と、これらの遺書に見られる静かな調子とは、寧ろ、対極にあると言つていい。これら英霊のどの遺書も、肩肘ばつたあの硬 直を微塵も示してゐない。そこには一貫して、全く不思議なほど、自由な精神、温かい人間性、正直な言葉だけが並んでゐる。
 この『言乃葉』を読むと人は泣くでせう。私も涙なくして読めた例がない。しかし、何故我々はこんなにも心打たれるのか。古来世界中には、無数の戦争文学 が存在する。しかし、こんなに胸から溢れる共感と嗚咽で、我々を満たし続ける戦争文学など、『オデュッセイア』であれ『平家物語』であれ、実際にあるもの ではない。
 この力は何なのか。死にゆく者の実際の言葉だからといふこともあるが、単にそれだけで、勿論人はこんな風に心打たれるものではありません。
 英霊の遺書は、多く、国の為に死ぬといふことは、天皇の為に死ぬことであり、それは大義の為だと語つてゐる。が、天皇の為といふのが洗脳の結果としての 個人崇拝であるやうな遺書は見られない。狂信的なものはない。なさ過ぎると言へるほどだ。矯激な、我一人真理を告げんと言はんばかりの調子のものも全くな い。
 そして、家族への感謝、先立つ親不孝への詫びの中に、しばしば「日本一の父上、母上だ」「君は僕にとつて日本一の妻だつた」といふ家族への誇りが語られる。
 無論、葛藤はある。時に赤裸々な葛藤がある。あるいは葛藤を克服した後の晴朗さだけを家族に語つてゐる者もたくさんゐる。どちらも本当の言葉だ。彼らは 死を前に、名誉を語らない。近代的な戦争遂行システムとしての「顕彰」を胸に死にゆく者はないやうである。力みもなく嘘もなく、彼らは一様に、素直に自分 を差し出す。殆ど自然な笑顔で死を迎へる彼ら。無限の慈しみ、無限の悲しみ……。どれ程後ろ髪引かれながらも、彼らは晴朗に死んでゆく。
 何故それができるのだらう。一つ確かなことがある。どの英霊の言葉からも共通して浮かび上がるのが、一言で言へば、日本への一杯の愛情だといふ事だ。そ れも私が今、冷房のきいた部屋で、完備された書籍と機械に取り囲まれながら「日本への一杯の愛情」などと書けばそれだけで汚してしまふやうな、言葉に置き 換へにくい、余りにも微妙で透明、死を見据ゑた人だけの智慧と力に溢れた、日本への愛情です。
 この迸る愛にこそ、おそらく人は打たれ、涙する。それは、「玉砕」とか「国威」、「神州の尊、神州の美」とか「悠久の大義」、「大君と愛する日本の山 河」などと、彼らが使ふ単語やフレーズだけ抜き出してしまへば、消えてしまふ。ところが、これらの言葉が、遺書の中に戻ると、何と確かな他に置き換へやう のない絶唱として響く事でせう。
 ある英霊は言ふ。
 玉砕してその事によつて祖国の人達が少しでも生を楽しむことが出来れば、母国の国威が少しでも強く輝く事ができればと切に祈るのみ。
 遠い祖国の若き男よ、強くたくましく朗らかであれ。
 なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。(言乃葉一、50頁)
 また、別の英霊は、特攻の出撃前の遺書に言ふ。
 この日本の国は、数多くの私達の尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、又今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。 私の母上はこの悲しみに立派に堪へて、日本の国を立派に栄えさせてゆく強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂ひもなしにこの光栄ある道を進み 取る事が出来ました。
 硫黄島玉砕の栗林忠道中将の最後の電報も引かう。
 ……特に本島を奪還せざるかぎり皇土永遠に安からざるを思ふ、たとへ魂魄となるも誓つて皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す。今や弾丸尽き、水涸れ、戦ひ残れる者全員愈々最後の敢闘を行はんとするに方り、熟々皇恩の忝さを思ひ粉骨砕身亦悔ゆる所あらず。
 英霊たちは皆、かういふ死を死んだ。しかし、何故かういふ死を、皆が皆、きつぱりと死ねたのか。それは、残された者が、生き残つた者としての全力で、日 本の国柄を、死力を尽くして守つてくれることを信じきつてゐたがゆゑではなかつたか。たとひ敗戦になつても――戦争末期の遺書は、その予感を強く感じさせ るものが多くなりますが――その後、光栄ある祖国の再建、東亜の解放といふ戦争の大義、そして何よりも日本人が引き続き立派な美しく強い日本人であり続け ることを、信じたからではなかつたか。「魂魄となつても」「護国の鬼と化さん」といふやうなことは、残つた生者らが、生者として、捲土重来を期すことを信 じ切つてゐなければ、書ける言葉ではありません。
 無数の遺書の自由な声が、共通してそのやうな調べを深く響かせてゐるとすれば、これは確かな一つの思想と呼ぶべきではないか。いや、思想といふよりも、神学と呼ぶべきではないか。
 客観的に見るならば、歴史過程におけるすべての戦争は、正しいのでも悪いのでもない、ただ端的な戦争である。すべての戦争は「普通の戦争」なのだと言つてもよい。
 しかし、その「普通の戦争」のただなかに、或る「絶対的なもの」がたちあらはれてくることがある。それは、おそらく世界の歴史を見わたしても、めつたに あることではない。また、それは、そこに居合はせたすべての人に見えるものでもない。むしろ、ほんの少数の人の目にしか映らないと言へるかも知れない。け れども、それは何らかの形で、その同時代の人々、あるいはその後の人々にまで感知されうるものであつて、大東亜戦争のうちには、確かに、さうした「絶対的 なもの」が含まれてゐたのである。(長谷川三千子『神やぶれたまはず 昭和20年8月15日正午』29頁)
 神学とは何か。端的に言つて、それはこの「絶対的なもの」のたちあらはれであり、言語化である。そして、無数の日本軍人が、戦死を前に、この「絶対的な もの」の気配に包まれて書いた最後の言葉が英霊の遺書だつたのではないでせうか。長谷川氏のこの名著は信じ難い力技で、「戦後」から遡つて、8月15日そ のものの意味を抉り出してゆきます。その「力技」が読者をどこに導くかは、原著に当たつて直接通読していただく他ありませんが、私は、逆に、今、その8月 15日に向かつて収斂してゆく230万の英霊の声に、神学の誕生を聞かうと耳を澄まし始めてゐるところです。
 明治初期、戦死した無名の民(おほみたから)を天皇政府が、神様としてお祀りしたのに対し、国民の側から進んで身を捧げて応答したのが、正にこれらの英 霊たちでした。近代日本創建時に顕かにされた国柄に、国民の側が死をもつて応答した時の言葉が英霊の遺文となつた、ここに、民族の魂の神話的な相聞が成立 する。靖国神社とは、このやうな相聞の場所である。大東亜戦争を通じて、靖国の本質が現れたと私が云ふのは、そのことを指してなのです。
※本稿は「Voice」2013年9月、10月号に掲載されたものを再掲したものです。


2014年01月04日10:15
【朝日新聞】「靖国参拝の代償は高くつくだろう。それでも日本は、近隣国との対話が芽生えるよう努めることで挽回を図るしかない」
http://blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/68066627.html

1:有明省吾 ◆BAKA3V.XYI @有明省吾ρφ ★:2014/01/04(土) 03:07:34.37 ID:???0
★社説:日本の近隣外交―それでも対話を重ねよう

日本と中国、韓国で、いまの政権が相次いで発足してから、おおむね1年がたつ。

この間、日中、日韓の首脳会談は一度も開けなかった。2008年から毎年続いていた3国サミットも見送られた。

冷え切った関係は、年末の安倍首相の靖国神社参拝で決定的となった。北東アジアにとって実に寒々しい年が明けた。

大局をわきまえない政治指導者たちが、問題を解決するのではなく問題をつくる行動に走る。そのツケを経済や文化交流などへの悪影響で国民が被る。

そんな不毛な悪循環が日本と近隣国との間に起きている。無分別な拡張行動をとる中国と、かたくなな対日外交を崩さない韓国にも、責任はある。

だが、安倍首相の靖国参拝は独りよがりが過ぎた。首相が掲げる「積極的平和主義」には「国際協調にもとづく」の前置きがあったはずだが、自らその看板を否定したのである。

米国、欧州連合、国連からも懸念が示された事態をどう改善するか。どうすれば、近隣国と未来志向の関係が築けるのか。新年の外交課題はそこにある。

北東アジアは、世界の2、3位の経済大国と、有望な新興先進国が共生する世界有数のダイナミックな地域だ。
争いによる相互ダメージから、協調による利益拡大の好循環へ構造転換する責務が、各国政府にある。

■相手への配慮から

日中韓の間でいま、おもしろい取り組みが始まっている。

京都の立命館大、中国・広州の広東外語外貿大、韓国・釜山の東西大。その3校の学生28人が2年間、各国で講義を受ける「キャンパスアジア」だ。

言葉や文化、歴史をともに学び、「東アジア人」に育ってほしい――。そんな思いから3国サミットで合意された。(>>2へ続く)

朝日新聞デジタル 2014年1月4日(土)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

2:有明省吾ρφ ★:2014/01/04(土) 03:07:45.40 ID:???0
>>1(の続き)

すべての学生が共同生活を送る。広州、京都と移動し、昨年末に1年目のプログラムを釜山で終えた学生たちに会った。

ほとんどの学生が、この1年のうちに歴史や領土問題を議論したことがある、と語った。ただ、次第にそれらが話題になることはなくなったという。

理由を尋ねると、日中韓の学生の答えはほぼ一致した。「議論しても答えが出ない問題で相手を傷つけたくない、という気持ちがだんだん強くなった」

立命館大の庵●(点一つのしんにょうに、「谷」)(あんざこ)由香・准教授はコミュニケーション能力の発達ぶりに驚いたという。
「集団で生活し、対話する中で、なぜ自分はそう思うのだろうと内面を見つめることが相手への配慮につながるようだ」

京都で韓国人学生は自国では絶対に使わない「日本海」の呼称で研究発表した。中国人学生は「政治の対立を文化交流に波及させるな」と主張した。

1年目の最終日、東西大の張済国(チャンジェグク)総長は
「最前線にいる君たちだからこそ、ぜひ自国の政府に交流のありのままの姿を伝えてほしい」と呼びかけた。

■各国首脳が熟考を

人間同士では当たり前にできるはずの相手への配慮が、いまの政治には欠けている。

安倍首相の靖国参拝を受け、中国と韓国からは、さじを投げる声すら出始めている。

中国の外務省は「中国の指導者が彼と面会することはあり得ない」と表明した。
韓国政府内でも「安倍政権と日本を切り離して対処する必要がある」という声が強まっている。

もはや安倍政権が続く限り、交渉相手としては向き合えないという宣言とも受けとれる。(>>3へ続く)

朝日新聞デジタル 2014年1月4日(土)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

3:有明省吾ρφ ★:2014/01/04(土) 03:07:55.76 ID:???0
>>1
>>2
(の続き)

日中で軍拡競争の様相も見せている尖閣諸島問題をどう制御するのか。来年、国交正常化から50年という節目を迎える韓国との関係はどう描くのか。

安倍政権は「地球儀を俯瞰((ふかん))する外交」と言いながら、足元の近隣外交を放置している。
そのこじれを修復しないまま、戦後の日本の平和主義を一方的に変え、集団的自衛権の行使容認に突き進もうというのだろうか。

内向きな政治におぼれていては、自国の安全も地域の安定も危うくする。それはどの国の首脳も肝に銘じるべき問題だ。

■共通課題を突破口に

当面、首脳会談への壁は厚いだろう。だとしても、互いの関心が重なる部分から対話を積み重ねていくべきではないか。

原子力の安全や大気汚染、再生エネルギー開発、鳥インフルエンザ対策など、3国に共通する課題はいくらでもある。

本格的な3国対話がなかった昨年でさえ、環境や文化の分野では閣僚級の会合が実現した。
少しでも協力できる分野を見いだし、国民の実益を生むことで互いの信頼を高めたい。

北東アジアには、北朝鮮も含まれる。張成沢(チャンソンテク)氏の粛清で新体制の恐怖政治ぶりが鮮明になった。
その暴走を防ぐことは周辺国全体の安全策であり、もっと力を合わせるべき課題だ。

靖国参拝の代償は高くつくだろう。それでも日本は、近隣国との対話が芽生えるよう努めることで挽回(ばんかい)を図るしかない。(終)

朝日新聞デジタル 2014年1月4日(土)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html