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ヘイトスピーチやめよう 差別反対訴え新宿でデモ

2013-09-29 21:13:48 | 時評
ヘイトスピーチと言って報道するのは、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、時事通信などである。
反韓国デモをヘイトスピーチといい、人種差別反対を唱えて、1年程が過ぎた。
ネットでは、報道の正体も意図も見切られているのに、しつこく言い続けるのは遂には何かしらの
目的に適うからか、ヘイトスピーチとして、事実を隠蔽する事に目的があるのか、判然としない。

報道の息の長いのに引き比べ、事実認識は変化した様相は見えない。


ヘイトスピーチやめよう 差別反対訴え新宿でデモ
朝日新聞デジタル 9月22日(日)21時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130922-00000026-asahi-soci

横断幕やプラカードを掲げ、差別撤廃を訴えながら行進する参加者たち。黒いスーツ姿は、50年前に人種差別撤廃を求めた米国のキング牧師の演説で知られる「ワシントン大行進」に対する尊敬の念を表しているという=22日午後1時36分、東京都新宿区、仙波理撮影
 差別はやめよう、仲良くしようぜ――。特定の人種や民族への憎しみをあおり立てる「ヘイトスピーチ」など差別的な動きへの反対を訴えるデモ行進が東京・新宿で22日に行われた。ツイッターなどでの呼びかけに呼応した約1200人が参加した。

【写真】プラカードを手に一人抗議する女性(手前右)を避け、行進を続ける「差別撤廃東京大行進」の参加者たち=22日午後1時35分、東京都新宿区、仙波理撮影

 「東京大行進」と題したデモ隊の先頭は、黒のスーツ姿で「一緒に生きよう」などと書かれたプラカードを掲げた。1963年に米国でキング牧師らが人種差別撤廃を訴えた「ワシントン大行進」がモデルだ。新宿中央公園を出発し、職安通りや歌舞伎町など約4キロを歩いた。
朝日新聞社

東京大行進:「差別やめ一緒に生きよう」…新宿で訴え
毎日新聞 2013年09月22日 20時16分(最終更新 09月22日 23時58分)
http://mainichi.jp/select/news/20130923k0000m040028000c.html

差別撤廃を訴え、デモ行進する大勢の人たち=東京都新宿区で2013年9月22日、森田剛史撮影
拡大写真
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)をはじめ、人種、国籍などあらゆる差別に反対するデモ「差別撤廃 東京大行進」が22日、東京・新宿で開かれた。約2000人が「差別をやめよう 一緒に生きよう」と声を上げ、新宿駅周辺や新大久保など約4キロを練り歩いた。
 社会問題化したヘイトスピーチデモに対し、抗議活動を続けてきた市民有志が企画。50年前に故キング牧師が「私には夢がある」と演説したワシントン大行進を意識し、出発前の集会では人種差別撤廃条約の「誠実な履行」を日本政府に求めることを決議した。
 デモには性的マイノリティーや障害者、差別の問題に取り組む人たちも参加。実行委員の一人で在日韓国人3世の金展克(のぶかつ)さん(38)は「さまざまな差別を考えるきっかけとなれば」と話した。【小泉大士】


堺市長選、維新敗れる=都構想参加に「ノー」

2013-09-29 20:55:13 | 時評
都構想にNOのサインがでた。

堺市長選、維新敗れる=都構想参加に「ノー」―現職竹山氏が再選
時事通信 9月29日(日)20時7分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130929-00000088-jij-pol
 任期満了に伴う堺市長選は29日投開票され、無所属現職の竹山修身氏(63)=自民支持、民主推薦=が、地域政党「大阪維新の会」公認の新人で元堺市議 の西林克敏氏(43)を破り、再選を確実にした。最大の争点だった「大阪都」構想への堺市の参加の是非については「ノー」が突き付けられた形だ。維新の公 認候補が政令市以上の首長選で敗れるのは初めて。
 維新にとっては、党設立のきっかけとなった政策を地元大阪で否定されたことになり、日本維新の会の国政での影響力や、同党共同代表の橋下徹大阪市長の求心力低下につながるのは必至だ。また、来秋に予定される大阪市での住民投票にも影響が出るとみられる。
 都構想による堺市の特別区への分割に反対する竹山氏は「堺は一つ。堺はなくさない」と主張。今年2月に早々に出馬を表明して以来、駅前での演説や市民向 けのミニ集会などを重ね、支持拡大を図った。選挙戦では自民、民主両党に加え、共産党、社民党の自主的な支援も受けて、幅広い層に浸透した。
 一方、西林氏は「今こそ堺で大改革をしなければならない。(府と政令市を統合し)ワン大阪で堺を元気にしていく」と強調。橋下氏が連日堺入りして支持を呼び掛けたほか、所属の国会議員や府内選出の地方議員を総動員して臨んだが、及ばなかった。


安倍首相が米国で演説、「私を軍国主義者と呼びたければどうぞ」

2013-09-27 22:53:10 | 時評
安倍首相が米国で演説、「私を軍国主義者と呼びたければどうぞ」「日本の“すぐ隣”の国は毎年10%以上の軍備増強」―中国紙
XINHUA.JP 9月27日(金)11時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130927-00000012-xinhua-cn


中国紙・環球時報は27日、安倍晋三首相が現地時間の25日に米ニューヨークで演説した際、憲法解釈を見直し、集団的自衛権の行使容認を目指す目的について、「世界の平和と安定に、より積極的に貢献する国になる」ためだと述べたと報じた。

「私 を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞお呼びいただきたい」。安倍首相はまるで気にしないといった態度で、外部からの「右翼」扱いに NOを突きつけた。その理由として、「日本のすぐ隣」に、「毎年10%を超える軍備増強を続けている国がある」と説明。それに対し、日本の毎年の増加幅は わずか0.8%だと強調した。

安倍首相は名指しこそしなかったものの、中国を指しているのは明らか。首相のこうした弁解の目的は、自らの誤った評価を正すことのほか、集団的自衛権の行使は日本を「積極的平和主義の旗手」にするためだと吹聴するためだといえる。

日本はメディアはこれに対し、「安倍首相の『右翼と呼びたければどうぞ』発言は、中国に対する逆批判」と指摘。中国と韓国が日本に対し、「20世紀の軍国主義に対する反省が足りない」と批判していることに反論したものとみられる。

これを受け、韓国紙・中央日報は25日、「日本の集団的自衛権行使は、新たな冷戦の前奏」と警告。中国外交部の洪磊報道官も26日の記者会見で、「日本側は人為的に緊張を作り出し、かき立て、軍備拡張や軍事政策を調整するための口実にするべきではない」と非難している。

(編集翻訳 小豆沢紀子)

早くも野党共闘に足並み乱れ 維新、共同会見に欠席

2013-09-25 19:05:51 | 時評
早くも野党共闘に足並み乱れ 維新、共同会見に欠席
配信元:2013/09/24 21:44更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/686278/
記事本文
 10月15日召集予定の臨時国会前から、野党各党の足並みが乱れている。野党各党の幹事長・書記局長は24日、国会内で共同で記者会見を開き、臨時国会召集の前倒しを要求した。だが、そこに日本維新の会の姿はなし。各党は政策の違いが顕著なことから、民主党などは共闘できる点に絞って連携を深めたい考えだが、この体たらくでは、野党にとって前途は多難だ。
 共同会見に臨んだのは民主党、みんなの党、共産党、社民党、生活の党の野党5党。民主党の大畠章宏幹事長は維新不在を「大変残念だ」と嘆いた。
 5党に新党改革を加えた6党は、衆参いずれかの4分の1以上の要求があれば内閣が召集を決定しなければならないと定めた憲法53条に基づき、数の上で条件を満たす参院で開会要求の署名集めを開始。署名は25日にも山崎正昭参院議長に提出する。だが、条文に期限の規定はなく、政府は要求に応じない方針だ。
 記者会見に維新がいなかったのはなぜか。24日朝の都内のホテル。野党各党の幹事長・書記局長は臨時国会召集の前倒しを求める安倍晋三首相宛ての文書を作成した。だが、これに条件をつけたのが維新の松野頼久国会議員団幹事長だった。
 「『首相の外交日程を縛るものではない』という一文を入れてほしい」
10月上旬にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議が開催されることを考慮しての発言だが、政府側がこの一文を盾にすることを警戒した他の野党は、この提案を拒否。維新は文書に名を連ねなかった。
 そもそも政府と維新は、菅義偉(すがよしひで)官房長官-松井一郎幹事長(大 阪府知事)ラインを軸に「地下水脈でつながっている」(維新幹部)。加えて「現実路線」をとることで、「対決路線」をひた走る他の野党との違いを鮮明にし たい-。松野氏にはそんな思惑がちらつく。堺市長選で維新候補の劣勢が伝えられる中、首相を敵に回したくないとの計算が働いた可能性もある。
 臨時国会で足並みはより乱れるに違いない。兆候はさっそく表れた。論戦の焦点となる消費税では増税容認の民主党に対し、みんなは凍結を主張。まさに「水と油」だ。みんなの浅尾慶一郎幹事長は24日、増税凍結と早期の召集を求める要請書を別途、官邸に提出、スタンドプレーに出た。
 つまずき気味の野党共闘に展望は見えてこない。

集団的自衛権論議 政府解釈は変遷していた

2013-09-24 12:23:46 | 時評
筆坂 秀世氏の憲法解釈を見ると、政府解釈は変遷が有ったと知れる。
それを、前提にして、以下の記事を見ると景色が変わるのを感じる。

>信濃毎日新聞社説
>集団的自衛権 平和憲法が空文になる 09月24日(火)
http://www.shinmai.co.jp/news/20130924/KT130921ETI090010000.php

>集団的自衛権 運用解釈で行使可と磯崎氏私見
>エコノミックニュース 2013年9月23日 22時48分 (2013年9月24日 11時45分 更新
http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20130923/Economic_27302.html


多くの論者は、メデイアも含めて、政府解釈の変更などは報道しないとの観点がある。
日曜日のそこまで委員会で、竹田氏も言及していたが、政府解釈は変遷していたのである。





岸信介の憲法解釈を変えた田中角栄内閣
これでいいのか?集団的自衛権論議(その1)
2013.08.26(月)
筆坂 秀世:
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38538

安倍晋三首相の悲願の1つに集団的自衛権の行使が可能になるように憲法解釈を変更することがある。新しい内閣法制局長官に前駐仏大使の小松一郎氏を起用したのも、そのためだと言われている。
 これまでの内閣法制局の見解は、「日本は集団的自衛権を保持しているが、憲法9条の下では行使できない」というものだった。これを「行使できる」ように憲法解釈を改めようというわけである。
 新聞の世論調査では、憲法解釈を改めることに反対の方が多いようだ。ただ、そもそも集団的自衛権とは何か、これまでの憲法解釈はどのように構築さ れてきたのか、おそらく多くの国民は知らないことであろう。それも無理からぬことで、国会議員でさえ、この問題を正しく理解しているものはごく少数と思わ れる。それぐらい曲芸のような、そして欺瞞的な憲法解釈が横行してきたからである。
 そこで、この問題を少し整理しながら論じてみたい。
かつては集団的自衛権の行使を容認していた
 現在は、先に述べたように「集団的自衛権保持、行使は不可」というのが政府見解である。だが、安倍首相の祖父、岸信介内閣では違っていた。いくつか当時の国会答弁を紹介しておこう。
 「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは、私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして 自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っ ている」(1960年3月31日、参院予算委、岸首相)
 「基地の提供あるいは経済援助というものは、日本の憲法上禁止されておるところではない。仮にこれを集団的自衛権と呼ぼうとも、そういうものは禁 止されておらない。集団的自衛権という言葉によって憲法違反だとか、憲法違反でないという問題ではない」(1960年4月20日、衆院安保特別委、林修三 内閣法制局長官)
 旧日米安保条約を現在の安保条約に改定する真っただ中での国会論戦であり、基地提供など安保条約上の日本の義務を否定することなどあり得なかった。そして岸内閣では、それを「集団的自衛権の行使」だと認めていたのである。
つまり日米安保条約を締結し、米軍に日本の基地を提供した時点から、日本は集団的自衛権行使の道に踏み入っていたということである。
日本の集団的自衛権は「制限」されたもの
 岸内閣は、集団的自衛権について、広義の意味と、狭義の意味を厳格に区別していた。これも当時の国会答弁を紹介しておく。
 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な 問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこ れを防衛するということが、集団的自衛権の中心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことができないことはこれは当然」 (1960年2月10日、参院本会議、岸首相)
 「日本が集団的自衛権を持つといっても集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。例えばアメリカが侵略された というときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそ ういうものは持っていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集団的自衛権というものは日本の憲法の第9条において非常に制 限されている」(1960年5月16日、衆院内閣委、赤城宗徳防衛庁長官)
 アメリカ本土にまで出かけていくなどということは、現実的にはあり得ないことではあったが、ともかくも集団的自衛権の行使が憲法第9条の下で無制限ではないという縛りはかけていた。
 岸が言う「広義」というのは、基地提供や経済援助のことである。「狭義」というのは、他国(アメリカ)のために海外にまで出かけていって武力の行使を行う、ということである。岸が言う「集団的自衛権の中心的な問題」である。
田中角栄内閣で変更された「政府資料」
 岸内閣では「広狭の差」を設けて論じていた集団的自衛権が、田中角栄内閣になって変更される。それが1972年10月14日、参院決算委に提出された「政府資料」である。
そこでは次のようにその見解を述べていた。
 「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている」
 「我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」
 この見解では、岸内閣時代にはあった「広狭の差」、あるいは憲法第9条の「制限」という考え方は、考慮されていない。
 この「政府資料」の立場が、その後の「国際法上保有、憲法上行使不可」という政府見解の原点となっていくことになる。
 この背景には、ベトナム戦争があった。1964年以来、アメリカは自らの傀儡政権であった南ベトナム政権が北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線の 攻勢によって危機に陥っていたため、南ベトナム政権を助けるために「集団的自衛権を行使する」として、ベトナム戦争に踏み切っていた。しかし、企図したよ うな成果が上がらないばかりか、戦況は泥沼化し、アメリカ国内ばかりか、日本をはじめ世界でベトナム戦争反対の世論が高揚していった。アメリカは泥沼化か ら抜け出すため、今度はアメリカを助けるためにオーストラリアや韓国に集団的自衛権を行使して、ベトナムに派兵するよう求める始末であった。
 この結果、韓国は32万人を超える兵力を派兵し、5000人以上の戦死者を出すことになった。しかもベトナム戦争は、アメリカの無残な敗北に終わった。
 集団的自衛権には、こうしたダーティなイメージがつきまとっていた。こうした事情も「政府資料」の見解には、反映されていた。
1981年の政府見解で今日の憲法解釈が確立
 1980年代に入り、日本とアメリカの同盟関係をより強固なものにするため、シーレーン防衛や日米共同統合実動演習などが行われるようになった。 こうした下で、政府は集団的自衛権について、より明確な見解を示すこととなった。それが81年5月29日付の稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する答弁 書である。
「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもっ て阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法 第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使す ることは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」
「ゼロ」と言いながらなし崩し的憲法解釈の道へ
 この政府見解は、岸内閣当時とは大きく変貌したものである。他方で、日米安保条約という軍事同盟を結び、日米共同演習を強化しながら、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と言うのだから、何をかいわんや、である。
 当時の角田禮次郎内閣法制局長官は、「個別的自衛権についても、海外派兵はできないとか必要最小限度の行使というように、一般にほかの国が認めて いるような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られている。そういう意味では個別的自衛権は持っているが、実際に行使するに当たっては、非 常に幅が狭い。ところが、集団的自衛権については、全然行使できないのでゼロである」(1981年6月3日、衆院法務委)と答弁している。
 この答弁を字面だけ見れば、極めて明瞭である。なにしろ集団的自衛権の行使は「ゼロ」だというのだから。
 だが現実はまったく違った方向に向かっていった。集団的自衛権の行使を岸内閣時代よりもはるかに狭い範囲に限定することによって、日本は着々と集団的自衛権の行使を拡大することになっていったのである。81年の政権見解は、なし崩し的憲法解釈の出発点でもあったのだ。
 次回は、どのようになし崩し的に憲法解釈がなされてきたのか、を論じたい。
(つづく)

中嶋 隆一 · トップコメント投稿者 · 群馬大学8月26日 20:53
集団的自衛権の本来の意味を示す必要があります。決して同盟国に共同防衛義務があって、義務の行使のために同盟国の防衛行動に出ることが集団的自衛権の意味ではありません。侵略国がいずれ自国に対して侵略を行うことが自明の場合、自国への侵略を待ち、自国を戦場にすることによる多大な損害を避けるために、自国以前の侵略行為に対して阻止行動に出ることが自国の被害を最も少なくする防衛行動であるということです。同盟関係に有ろうとも、自国に侵略の要素のない地域戦闘に集団的自衛権を行使することはできないし必要はありません。日露戦争時に日英同盟によって英国がやったように、敵戦力の自国内通過を拒否したり、武器・エネルギー等の製品・原料の流通停止、対象国の行動情報提供、メディアによる非難などで同盟の義務は十分果たせるでしょう。集団的自衛権は国の自衛権の行使そのものであり、同盟関係とは無関係ではないでしょうか。
米国は基本的に本土を戦場にする可能性をゼロにするため、全ての軍事行動は集団的自衛権によっています。朝鮮とベトナムはソ連が両国侵略の後にカリブを経て米国本土に拡大すること、イラクはイスラム過激派が米国に核攻撃による侵略を企図しているということによります。
日米安保にも「いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し」という条文があり、日本が米国の立場と反することは想定していません。もし、中米関係が良好である場合、日中の戦闘は米国の集団的自衛権に当たらないので、非難や間接的支援は有るでしょうが、直接参戦は決断できないのではないでしょうか。







信濃毎日新聞社説
集団的自衛権 平和憲法が空文になる 09月24日(火)

http://www.shinmai.co.jp/news/20130924/KT130921ETI090010000.php


 憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使をめぐり、有識者懇談会が議論を再開した。年内をめどに報告書をまとめ、安倍晋三首相に提出する。

 同盟国など密接な関係にある国が武力攻撃を受けたとき、自国への攻撃と見なして反撃できる権利だ。懇談会は行使を認める方向で検討を進める。安倍政権は、報告書を踏まえて憲法解釈を変えることを目指している。

 戦後日本の安全保障政策を大きく転じようというものだ。自衛隊の活動に制約がなくなり、海外で武力行使することにもなりかねない。平和憲法が空文化する。解釈の変更は認められない。

   <初めに結論ありき>

 権利はあるけれど、行使できない―。集団的自衛権について政府は歴代、この憲法解釈を維持してきた。戦争放棄、戦力不保持を定めた9条が許す「国を防衛するための必要最小限度の範囲」を超えるとの考えからだ。

 懇談会は、これを見直すために安倍首相が第1次政権で発足させた。退陣後の2008年に行使容認の報告書を出したものの、棚上げされた経緯がある。現政権で再始動した。顔触れは重なる。容認を打ち出すのは既定路線だ。

 議論再開の17日、解釈見直しの方針をあらためて確認した。今後は、集団的自衛権を共に行使する対象国をどうするか、自衛隊の派遣地域に制約を設けるかといった点を話し合うとみられる。

 提言がまとまっても、解釈を変える根拠にはならない。集団的自衛権の行使について賛否双方の立場から意見を出し、是非を判断する場ではないからだ。行使が必要なのか、解釈変更で認めていいのか。国会審議、国民的な議論を尽くさなくてはならない。

   <歯止めがなくなる>

 まず問いたいのは、何のために行使を容認するのかだ。

 第1次政権時、懇談会は首相が示した4類型を検討した。(1)公海上の米艦船の防護(2)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃(3)国連平和維持活動 (PKO)などでの武器使用(4)多国籍軍などの活動への後方支援―だ。報告書は(1)と(2)を集団的自衛権の行使として認めた。

 どちらも、これまで認められている「個別的自衛権」などで対応できるとの指摘がある。

 (1)は、米艦船と並走しているときに攻撃があれば、自衛隊の艦船への攻撃と見ることもできる。(2)は、そもそも技術的にできるのか疑わしい。措置を取る場合は国民の生命・財産に危険が及ぶのを防ぐ「警察権」の行使として可能といった考え方がある。

 備える必要があるなら、集団的自衛権に踏み込む前に、現状でできる方法を吟味すべきだ。

 憲法解釈を変えると、どうなるか。行使容認がはらむ危うさに目を向けなくてはならない。

 PKO参加など自衛隊の活動範囲はこれまでも広がってきた。それでも9条の制約の下、「非戦闘地域」に限定するなど、ぎりぎりの判断を重ねている。

 憲法解釈を変更すれば、一気にハードルが下がる。歯止めがなくなる恐れがある。

 懇談会の座長らは今回、全面的に認めるよう提言すると表明している。議論では「中東からの石油輸送のためのシーレーン(海上交通路)の防衛は、日本の安全に密接に影響が及ぶため対応が必要」との発言もあった。

 集団的自衛権に加え、国連による「集団安全保障」への参加も合憲とする考えだ。4類型では(3)と(4)が関連する。安保理決議を前提に戦闘地域へ自衛隊を派遣することの是非などが検討される。

 政府は「米国と一緒に地球の裏側で自衛隊が行動を起こすということではない」とするものの、その根拠ははっきりしない。

 安倍政権で安全保障・危機管理を担当する官房副長官補が、自民党の会合で「地球の裏側であれば日本に全く関係がないかというと一概に言えない」と発言したことも明らかになっている。

   <安定に資するのか>

 沖縄県・尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返す中国の海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発など安全保障環境は厳しくなっている。首相には、日米同盟を強化することで備えを固めたい意向があるのだろう。

 集団的自衛権の行使容認が日本や周辺地域の安定に資するか、疑問がある。近隣諸国との緊張が高まるようでは本末転倒になる。

 自民党は、憲法改正草案で自衛隊を国防軍とすることを打ち出している。しかし、改憲については改正要件を緩和する96条改正への批判が続出し、トーンダウンさせた。正面突破ではなく、解釈改憲で自衛隊を軍隊に近づける―。そんな思惑も感じさせる。

 集団的自衛権の行使を必要ないと考える国民は多い。最近の全国世論調査でも「行使できないままでよい」との回答が半数近くを占め、容認すべきだとする回答を上回っている。政府は、国民の声にしっかり耳を傾けるべきだ。




集団的自衛権 運用解釈で行使可と磯崎氏私見
エコノミックニュース 2013年9月23日 22時48分 (2013年9月24日 11時45分 更新

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20130923/Economic_27302.html

総理補佐官の磯崎陽輔 氏は「政府の公式見解ではない。私的見解」と断り書きのうえで「集団的自衛権は行使できないと限定的な考え方をしたのは内閣法制局の解釈ですから、それを 変更するのも、内閣法制局の解釈でいいはず」と憲法改正の手続きを経なくとも集団的自衛権の行使は解釈の変更によって可能だとする論理を自身のホームペー ジ(私の主張)で展開している。9月18日にアップした。
 歴代政府は「現行憲法下では集団的自衛権の行使は認められない」としてきた。時の政府によって憲法解釈が変われば法的安定性は大きく損なわれると危惧する声もある。解釈変更でなく「憲法改正が必要」と枝野幸男元官房長官は断言する。
 憲法は一般法令と違い「権力に向けられたルール」(枝野元官房長官)であり、憲法の意図するところに反する解釈が時の政府の所管官庁の責任で『運用解釈』という自由裁量で、ころころ変えられたのでは法的安定性は大きく損なわれる。
  法令解釈担当大臣でもあった枝野元官房長官は「内閣は憲法によって拘束されている当事者なので、恣意的な判断で解釈を勝手に変更できたのでは憲法によって 拘束している意味がなくなり、立憲主義を根本から破壊することになる」とし「安倍内閣はよもや、立憲主義に反することを最終的に行うとは思わないが」とけ ん制するが、磯崎氏の私的見解では歴代政府が堅持してきた『集団的自衛権の行使は現行憲法下ではできない』とする解釈も『運用解釈』の範疇だとして、改憲 を待たずに『行使』可能にできるとしている。
 磯崎氏は「解釈にも法令の規定の文字そのものに沿って一定の結論を導き出す『文理解 釈』と法令の運用上『かくあるべし』と所管官庁が判断する『運用解釈』がある」とし、「法文の意味において争いがあるときは、所管官庁は内閣法制局にお伺 いを立てなければならないことになっているが、運用解釈においては所管官庁において判断されている」としたうえで、「自衛権の行使が必要最小限度の範囲で なければならないというのは憲法9条の文理解釈だと考えるが、集団的自衛権は行使できないというのは運用解釈に属することではないかと考える」と所管官庁 の裁量で判断できる範疇に組み入れた私的見解を述べた。
 さらに、「仮に間違っていない解釈であっても、社会政治状況が変化してく れば、解釈を変更しなければならない場合も生じてくる」と論理を飛躍。現況に合わなくなったとすれば憲法改正であったり、法令の改正であったり、まさに国 会で審議し、国民の理解を得て、規定そのものの変更により、政権が変わっても、誰が解釈しても1通りにしか解釈できないものにすべきだろう。
枝野元官房長官は「我が国の平和と安全を確保する上で必要最小限の自衛権とはどのような範囲なのか、 現行の9条に続けて、より具体的かつ明確な新たな規定を追加することが必要」と加憲の考えを示し「そのことで、恣意的な解釈変更や拡大解釈を阻止すると同 時に、現実的な安全保障政策を推進することが可能になる」と提言している。どちらに一貫性があるかは読者の判断に委ねたい。(編集担当:森高龍二)



なぜ韓国は歴史を書き換えたのか――その動機と背景を考える(前半)

2013-09-23 06:50:47 | 時評
なぜ韓国は歴史を書き換えたのか――その動機と背景を考える(前半)
山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1559562.html

前回の「韓国の方々がなぜ日本を“戦犯国”と呼ぶのか、考えたことはありますか?」の続き。

正当な理由がないにも関わらず、なぜ韓国人は優越感を滲まながら「戦犯国」などと日本を嘲弄しているのだろうか。いったい彼らの頭の中はどうなっているのか。
答えは「史実をほとんど逆さまに認識しているか ら」だと思われる。たとえば、「日帝が韓国を強制併合して収奪と民族抹殺を始めると、独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。太平洋戦争が始まる と、臨時政府は日帝に宣戦布告し、連合国の一員になった。韓国の独立はこのようにして自力で勝ち取ったものだ。韓国人BC項戦犯については、あくまで強制 動員され、犯罪を強要された“被害者”にすぎない」…という具合に。

こんなでっち上げの「建国神話」のせいで、彼らは自分たちが連合国側に属するなどと錯覚している。一般に、韓国人は、政治的なプロパガンダにすぎない“歴史教育”により、近現代史において以下の「四つの大きな真実」から完全に隔離されている。

・第一、日韓併合の真実。
・第二、日本統治時代の真実。
・第三、戦後の独立と李承晩時代の真実。
・第四、朴正煕時代の「漢江の奇跡」の真実。

以上の四つの項目について、韓国人の頭には公然たる嘘やトリミングされた情報が詰まっており、その虚偽を「正しい歴史」などと呼んでいる。韓国の歴史教科 書を読んだことのある人なら分かると思うが、それを規定する国史編纂委員会はプロの贋作者集団であり、非常に手の込んだ捏造をやっている。ジャーナリスト の石井孝明氏が「一冊の本だけを読む人に気をつけよう」という格言を紹介していたが、何も知らない人が韓国人の書いた歴史の本や、その影響下にある日本人 の本だけを読めば、確実に騙される。それで罪悪感を持ち“良心”に目覚めてしまった厄介な日本人も少なくない(*それもまた彼らの手口なのだ)。幸い、今 では、その捏造箇所や事実関係の誤りの指摘にプロの歴史研究者の方々がたくさん参加しておられ、関連するサイトや本も増えてきた。

したがって、それについてアマチュアの私がここで懇切丁寧に解説する意味はない。それよりも、もっと根本的なことを考えてみたい。それは「彼らがなぜ歴史を書き換えたのか、又はなぜ捏造せざるをえなかったのか」という、原因・理由・動機などの究明である。治療(する機会があるとして)のためには、それを突き止めることが不可欠だ。

以下は、まったく私の個人的な推測だが、韓国人の皆さんにこそ是非とも読んでもらいたいと希望している。

元凶としての李承晩(イ・スンマン)
では、その理由とは何か。おそらく、初代大統領として「李承晩が独裁権力を握ったから」だと思う。それゆえ、彼自身と臨時政府を「正統」とする歴史をでっち上げねばならなくなったのだ。つまり、始まりは、ほとんど個人的な動機だったのではないか。

むろん、理由は複合的で、その他にもある。

第一に、歴史を“記録”する際の、東アジア文明圏の伝統的な手法が挙げられる。ちょうど司馬遷の『史記』で殷(商)の紂王が悪逆非道に描かれているように、彼らの社会では日帝という「前王朝」を冷酷無比な統治者に描けば描くほど、次の支配者の道徳的正当性が高まる。ましてや、独立戦争を通してその悪魔と戦い続けたと人々に信じさせることができれば、これ以上の正当性はなく、完全に人民のヒーローに収まれる。

第二に、もっと切実で現実的な理由もあった。終戦後、三年間はアメリカが直接軍政を敷いたように、連合国を結成したボスがすぐ韓国の目の前にいた。捕虜虐 待などでBC項戦犯として訴追されたように、韓国人は疑いを持たれていた。だから、保身上、戦犯の日本と同類に見られないよう、また自身の戦争犯罪があく まで強要されたものとの訴えが説得力を持つよう、徹底して「加害者と被害者の関係」に成りすます必要性があった。

そして第三に、これがもっとも大きな理由だと思うが、李承晩はとんでもない悪政をやらかして国民を苦しめ、貧困のどん底へと叩き落した。どんな民族主義者 が見ても、日本時代より過酷で恐怖に満ちた社会であることは明らかだった。だから、李承晩は、独裁者として就任した時だけでなく、その後も歴史をでっち上げ続ける必要に迫られたの だ。少なくとも政権を握っている間、自分の時代よりも日帝時代をさらに悪虐非道に描かねば辻褄が合わなくなってしまった。それはまた内部矛盾から人々の目 を反らす意味でも有効な手法だった。だが、政治的に不可欠な作業とはいえ、自国民の大量虐殺をやった独裁政治よりも悪く見せるとなると、もはや悪魔でも 引っ張り出すしかない。だから韓国の歴史教育では、ほとんど悪魔として日本の姿が描写されるようになったと思われる。

独立運動家・臨時政府・独立軍の本当の姿
仮に、独立の指導者たちが本物の英雄であったなら、こんなでっち上げはする必要がなかった。そこがアジアの他の国との違いだ。インドでは、ガンジーやボー スの軌跡をわざわざでっち上げる必要はない。事実をありのままに伝えるだけでいい。それで十分、彼らは英雄であり後世の手本となる。アジアの各国にはミャ ンマーのアウンサン、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホー・チ・ミンなど、キラ星のごとく独立の英雄がいる。ところが韓国には、このような偉大な独立 の指導者が一人もいなかった。日本軍を打ち破った勇猛果敢な軍事指導者も、思想的人間的に偉大な文人指導者も、ついに現れなかった。

大韓民国臨時政府なるものを象徴するのが、中枢にいた三人の主要人物だ。一人は今挙げた李承晩。王朝に繋がる家系が自慢で、それゆえに民族主義者であり、 庶民を人間とは思っていなかった(だから大虐殺できた)傲岸な人物だ。もう一人は、強盗殺人犯で脱獄囚の金九(キム・グ)。生涯、政争を繰り返した人物 だ。こんな男が“警察本部長”に就いていたのだから、いかに怪しげな団体かが分かる。最後の一人は朴殷植(パク・ウンシク)で、嘘つき・でっち上げの天 才。『韓国独立運動之血史』という怪プロパガンダ文書を書いて、今日に至る韓国のトンデモ近代史の原型を作った人物だ。

彼らの設立した臨時政府なるものは、いかなる国家からも承認されず、設立から26年間、一度も日本軍と戦わなかった口先だけのヘタレ集団だ。 独立軍の中で同組織所属をとくに「光復軍」と呼んでいるが、日本軍と交戦したことはない。「人類史上最悪の植民地支配」などと糾弾するほど日帝の支配が過 酷なら一度くらいは銃をとって戦っても良さそうなものだが、結局、設立から終戦までの間やっていたことといえば、内輪でのポスト争いと中国政府へのタカ リ、市民社会に対する強盗略奪、政敵の同じ韓国人の暗殺くらいのもの。

一方、独立軍とか抗日パルチザンと称する集団の正体は、要するに満州の匪賊やソ連・中国共産党軍に所属していた韓国人のことである。「愛国心はならず者の なんとやら」とはよく言ったもので、強盗略奪が生業だった匪賊であっても「独立闘争」といえば名分が立ったのだろう。満州国軍官学校卒で朝鮮戦争の英雄で ある白善氏は当時を直に知る人物だ。元帥は「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」と呆れている。

もっと呆れるのは、韓国ではこの“独立軍”が日本軍に対して「青山里戦闘」なるもので大勝利したと信じられていることだ。実際には匪賊討伐の際に日本軍人に若干名の死者が出た事件だが、「日本軍に3千名以上の戦死者を出した」という嘘が定着している。驚くのは、この臨時政府の戦勝プロパガンダを韓国政府が未だに継承しており、毎年「戦勝記念行事」まで開催していることだ。虚しくないのかという疑問はさておき、この現実からも今の韓国政府が臨時政府の正統な後継者に他ならないことがよく分かる。

このように、独立運動家と称する連中が「ニセモノの英雄」であり、本人たちも十分それを承知していたから、歴史をでっち上げる必要に迫られたと思われる。

ちなみに、以上とは別個に、1905年の第二次日韓協約から併合初期まで、後に「反日義兵闘争」と呼ばれるものがあった。これは日本軍に計百名以上の死者 を出す規模であったことは確かだ。しかし、この闘争がすぐにピークアウトしたのは、韓国が未だ国民国家でなかったことが主因ではないかと私は思っている。 つまり、大多数の庶民にとって最大の関心事は己の暮らしであり、専制国家の運命などどうでもよかったのだ。

それどころか同時期、日韓合併を掲げる一進会が最大の政治勢力だった。当時、日本に敗北した清とロシアは威信を失い、滅亡寸前の帝国だった。対して、世界 の9割以上を欧米とその植民地が占める状況にあって、日本は全アジア、否、全有色人種の期待を担っていた。中世のレベルだった当時の韓国人からすると、日 本は何百年も文明の進んだ近代国家に等しい。そうすると、「対等合併」を望んだ一進会は非常にムシのよい主張をしていたことになる。反日・独立どころか、 案外、勝ち馬にタダ乗りして労せずに一等国民になろうとしていたのが政治意識のある韓国人の多数派だったというのが事の本質ではないか。

数字まででっち上げる韓国人の驚異の贋作力
やや本筋から反れるが、独立軍の話が出たついでに、韓国人は日本人が絶対やらないことを平気でやる事実を知っておくのも無駄ではないと思う。それは「実在の人物名を流用して、具体的な数字を創作し、記録をでっち上げる」という行為である。

たとえば、“独立戦争”の実態と称して、
「○月○日、日本軍がどこそこの村を襲い、○○戸を破壊し、○○名を殺害した。それに対して、誰々率いる独立軍○○名が戦い、日本軍○○名を殺害して撃退した」
などという話を次から次へと“歴史書”の中に書き加えていく。

ところが、これがまったくの創作なのである。「青山里戦闘」なるものも、この手法ででっち上げられた活躍のうちの一つだ。驚くべきことに、彼らは「実在の人物+具体的な数字」を使って、架空の詳細な“歴史記録”を作ってしまうのだ。目的が正義であれば手段は選ばなくてもよいとタカをくくっているのか、彼らは平気らしいのだ。

なぜそういうことをやるのかというと、科学性・客観性を装うことで、いかにも学術的な調査を経た公式の記録であるかのように見せかけることができるからである。そうやってニセの記録をたくさん作って、己の政治的主張や立場を固めるのだ。つまり、最初から世間を騙すため、欺くためにやるわけだから、詐欺の確信犯である。中国も含めての話だが、政治とアカデミズムが分離しておらず、政治的な真実のほうが客観的なそれより優先されるらしい。だから真理を畏れず、平然と歴史(事実)に手を加える罪を犯す。

彼らはこうして日本軍の“殺戮記録”や、独立軍の“戦勝記録”を次々とでっち上げていった。この手法で、臨時政府も「聖人君子の集まり」になり、独立軍も「各地で日本軍を撃退した勇猛果敢な部隊」に変えられた。何も知らない人が読めば、当然本物の記録であり、人々を次々と虐殺して回る悪逆非道な日本に対して正義の独立軍が不屈の精神で抵抗していた、と信じ込むだろう(実際これが韓国人の持つ日帝時代のイメージだ)。

こうやって、驚くほど詳細で念の入った改ざんで「日帝の犯罪」が創られ、韓国では今でも事実として流通している。日韓関係史ではこの種の「偽の記録」が膨 大に紛れ込んでいる。不幸にして、このような卑怯な手法は、大多数の日本人にとって長らく常識外のことだったため、信じてしまう人が続出した。そして罪悪 感、良心の呵責、贖罪意識から、謝罪するだけではすまず、相手側の手先となり、結果的に嘘の片棒を担ぐ人も現れた。

しかし、今では「具体的な数字を挙げてまで嘘をつく」という彼らの手口は、日本だけでなく世界に広く知れ渡りつつある。なにしろ、一国の政府や自治体、政 治家、大企業や科学者までもが公然とそれをやり、しばしば顰蹙を買う。従軍慰安婦も同類だと、気づく欧米人も現れ始めたようだ。彼らは以前のように容易に 人々を騙せなくなった。

ただし、公正を期すなら、まったく逆の韓国人も少なからずいる。たとえば、『親日派のための弁明』を記した金完燮(キム・ワンソプ)氏のよ うに、逮捕・暴行・脅迫されても決して真実の主張を曲げない人もいる。集団の空気に抗い、迫害にもめげずに真実を訴えている韓国の本物の知識人に対して は、心底、尊敬の念を覚えざるをえない。韓国ではすでに“親日派”は殺される時代に入った。命と引き換えても真実に忠実であらんとする…正直、私にはそこ までの覚悟はない。彼らこそ真に日本の友人になれる人たちだと思う。

(後半に続く)


なぜ韓国は歴史を書き換えたのか――その動機と背景を考える(後半)
山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1559563.html

韓国の本当の不幸の始まりとなった李承晩時代
さて、話を本筋に戻そう。

日本の敗戦により、総督府からアメリカへと韓国の統治権が引き継がれた。当初は建国をめぐって諸派がゴタゴタし、ソ連はいち早く傀儡を立てた。臨時政府と 独立軍自体は承認されなかったが、同政府出の李承晩個人はアメリカ留学組であり同国でロビー活動もしていたことから、結局、反共傀儡政権の首班に祭り上げ られた。ただし、「韓国を連合国に加えてほしい」という身勝手な要求は退けられた。戦って血を流したわけでもない者たちがでしゃばる権利などないと考えら れたからだ。だから、韓国人が“戦勝国民”だの“連合国民”だのと自称することは単純に事実に反する。
この人物が初代大統領として独裁権力を握ったこ とに関しては、同情を禁じえない。李が帰国してから亡命するまでの期間は「暗黒時代」であり、現代韓国人にその記憶が欠落しているのは異常なことだ。いろ んな意味で、この李承晩こそ諸悪の根源であり、彼の時代こそ、まさに韓国の歴史教育で描かれる“日帝”そのままなのだ。

李承晩が最初にやらかした悪事が「済州島事件」で、要するに共産主義者とその疑いをかけられた島民に対する大虐殺である。その結果、数万の市民が殺され、 別の何万人かが日本に逃れ、そのまま居ついた。虐殺はその後も継続的に行われ、島民は激減した。規模は小さいが、似たような虐殺はその他の地域でも行われ た。

李承晩による対日戦争犯罪といえば、日本領・竹島の侵略強奪と日本人漁民の虐殺が有名だが、実はそれ以前に対馬を侵略しようとした。そのために韓国の南端 に兵力を集結させていたところ、北朝鮮の電撃侵攻に合ったのである。自国民さえ平気で虐殺するほどだから、韓国軍が対馬で大虐殺をやらかしていたことは想 像に難くない。

朝鮮戦争が勃発すると、李承晩は内部の敵に対する被害妄想を加速させ、共産主義者とその家族を教化する組織「国民保導連盟」に登録していた人たちを大量に 処刑した。軍や警察によって虐殺された人の数は、正確には分からないが、百万以上とも言われる。戦争でうやむやになっただけでなく、その後の軍事政権下で も隠蔽され続けた。

当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、アメリカ軍の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の鴨緑江に達した。しかし、北朝鮮の滅亡によって終戦とな るはずが、中国軍の参戦によって再び38度線まで押し戻され、戦争は結局3年間も続いた。これにより数百万の軍民が犠牲になり、朝鮮半島の大半が荒廃し た。ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。

その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続けた。李は共産主義者だけでなく自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底 的に弾圧した。日本時代を知る韓国人は当時、「いったいどこか“解放”なのか。日帝支配下よりもはるかに酷い社会じゃないか」と憤った。李承晩はこの動き を思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まった。こうして、懐日思想や言動を監視抑圧し、日本時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていった。

太平洋戦争当時、韓国は爆撃も受けず、実質徴兵もなく(*若干の徴兵者は戦線投入前に終戦)、物資の徴発と労務の強制だけという、“植民地”としては破格の待遇を受けた。結果、終戦時、内地は大量の戦死者を出して灰燼に帰したが、韓国はほぼ無傷の状態だった。つまり、戦後、日本と韓国の経済社会状態は完全に逆転していたのである。ところが、李承晩が去った時には、韓国は最貧国へと転落しており、両者の状態は再逆転していた。

結局、李承晩は、韓国社会と経済の発展には何一つ貢献せず、ただ単に独裁権力を振り回して圧政を敷き、自国民を大量虐殺し、貧困化させただけだった。ちな みに、韓国政府は未だにこの恥部を隠蔽し、逆に日本軍によるありもしない虐殺はでっち上げて、子供たちに嘘の歴史を教えているのだから、半ば共犯者みたい なものではないか。

なぜ嘘の国史が継承されていったのか?
李承晩亡命の後、韓国はしばし混乱したが、最終的に権力を掌握したのが朴正煕だった。周知の通り、彼は旧軍将校の出であり、日韓基本条約の締結によって両 国関係を正常化させ、日本から莫大な資金を獲得した。朴は鉄鋼や石油化学などの重工業の育成と社会インフラの拡充を行い、「漢江の奇跡」と称される高度経 済成長を実現した。

もっとも、国家予算の倍以上に及ぶ日本の資金と、使命感をもって手取り足取り技術やノウハウを教えてくれる隣人がいれば、勤勉な韓国人ならば「奇跡」を起こすことはそれほど難しいとは思えない。こうして韓国は、一度ならず二度までも、日本の援助と協力によって、貧困から脱することができたのである。

だが、朴正煕大統領もまた、日本を絶対悪とするプロパガンダを修正することはなかった。彼は反政府的なデモや運動を徹底的に弾圧したため、一部の市民から は怨嗟の的になった。必然的に内部の軋轢を生む軍事独裁政治にとって、人々の憎しみや不満の矛先を反らせる対象は不可欠である。北朝鮮とか共産主義者では 役不足だった。だいたい反政府的な者はそのシンパが多かったのだ。思想の区分に関係ない「人民の敵」を必要とした。

そういった政治的な思惑からか、朴正煕は日本悪魔化教育をそのまま引き継いだ。さらに日本の経済援助による成果もすべて自分の功績にしてしまったのだか ら、日本で一般に信じられている人物像とは違い、あまりフェアな人物だったとは言い難い。いや、それどころか、どうやら余計なものを公教育に付け足したら しい。それが「わが民族は昔から偉大だった」式のプライドの醸成である。つまり、自尊史観を強化したらしいのである(*ただし、これに関しては手元に資料 がなく、あくまで伝聞である点をお断りしておく)。

しかし、それは裏を返せば日本を「文化後進国」と貶めることでもあった。というのも、他者との比較によって自民族の優秀さが浮かび上がるわけだが、その対 象は当然、中国ではありえず、古代・中世の日本だからである。韓国の子供たちは、「先祖が日本人に○○を教えてあげた」とか「昔は日本よりも進んでいた」 と教えられる。韓国が伝えた先進文化として挙げられるのが、古代には稲作・織物・建築・仏教・紙・文字、秀吉の侵略時には陶器の製作技術、江戸時代には朝 鮮通信使による医学・儒学・書画などだ。

こうして、日本との相対化によって「明治維新までは韓国のほうが文化先進国だった」とか、「わが先祖は野蛮な日本人を文明化させた先生である」というふう に、民族的な優越感を持つようになる。そこへ秀吉の侵略や近代日本の侵略を大きく取り上げるわけだから、当然、「恩を仇で返された」と憤慨するようにな る。こうして、現代にいたる、日本に対する優越感と被害者意識の両方を育むような「おかしな歴史教育」の基礎が完成する。

その後に大統領になった全斗煥・盧泰愚も、朴と同じ陸士系列であり、反日教育を引き継いでいった。理由はやはり上と同じようなものだろう。軍事政権はどう しても人々の憎しみを引き受けてくれる対象を必要とする。ましてや全斗煥は、いきなり光州事件のような市民の弾圧を行った人物である。また彼は、朴のよう な奇跡をやりたくて、日本から巨額の経済援助を引き出そうとした。そのための手段として、教科書問題で因縁をつけにかかった――そういう男がなんで反日教 育を修正するだろうか。

1988年、韓国はようやく民主体制に移行した。建前では、思想言論の自由もほぼ保障された。しかし、40年にわたる対内プロパガンダによって「偽の記 憶」が完全に既成事実化しており、もはや手遅れになっていた。韓国人はすっかり「建国の父」と精神的に一体化していたのである。今や独立運動家たちが韓民 族のアイデンティティなのだ。つまり、一般国民が「われわれは日帝という悪魔と勇敢に戦って勝利した」と思い込んでおり、その神話の守護者なので、覆すの は容易ではなくなっているのだ。

初めから存在しない“日韓友好”
さて、私にも韓国人との個人的な付き合いがなかったわけではない。その時の経験を言うと「とても他人とは思えない」というものだ。私の周りには、韓国人と ビジネスをして騙された、パクられた、代金を踏み倒されたという人がいるが、幸い私は一度も嫌な思いをしたことがない。だから、個人的には、知人の韓国人 は今でも親戚のように思っている。

おそらく、百年前の日本人が、いささか常軌を逸した善意と使命感をもって韓国社会の近代化に身を捧げたのも、こういう感情からではなかったか。「他人とは思えない」とか「生き別れた兄弟が惨めな境遇にあるように見えた」というのが、案外真相だと思う。

ただ、そういう個人の付き合いの中で、聡明で温厚な韓国人でさえ、ふと何かの拍子で歴史に話題が及ぶと、顔色が変わる点については奇異に思っていた。それはあたかも子供の頃に虐待を受けた人が、フラッシュバックで苦しめられる様に似ていた。

私がその理由を知ったのは今から十五年前、翻訳された韓国の歴史教科書を読んでからである。日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれていた。近代日本は朝 鮮に対して「殺戮と収奪のみ」をしたことにされていた。韓国政府の嘘と捏造はそこまで容赦がないのだ。すぐに危険だと直感した。子供たちは当然、それがす べて事実だと信じ込んで育つ。これは日本が戦時中に喧伝した鬼畜米英以上の“鬼畜日本”プロパガンダに等しい。

韓国の歴史教育が描く日韓関係とは、いわば「100%の加害者と100%の被害者」であり「絶対的な悪と絶対的な正義」のそれである。いかにもニセモノの 英雄が考えそうな安っぽい勧善懲悪のストーリーになっている。李承晩が初代大統領として独裁権力を手にしたため、こんなフィクションが本当に建国神話とな り、かつその洗脳が今日まで続いたことで、一般の韓国人までもがこのニセモノと精神的に一体化してしまった。

韓国とは、こういう特定の民族への憎悪と偏見を植え付ける洗脳教育を国家として65年間も続けてきたアブノーマルな国なのだ。しかも、事実 に反するまがい物を「正しい歴史認識」などと称して、日本人にも強制しようとしている。国を挙げて科学的・客観的に事実でないことを信じているわけだか ら、これはもう“信仰”の域である。つまり、この地球上には、キリスト教国・イスラム教国・仏教国のほかに、第四の「反日真理教国」が存在すると思ったほうがいい。韓国とは一個のカルト教団なのだ。

だから、韓国が友好国だとか、同じ価値観を共有するパートナーだとか真顔で言っている日本人は、よほどの無知か、馬鹿がつくお人好しか、手先系か、どれか である。事実はもっとも非友好的で、価値観の異なる国なのだ。彼ら親韓派(隷韓派?)は今、韓国の“突然の”反日にうろたえ、「日韓はこれまでうまくやっ てきたはずなのに」とか、「政治家や政府のレベルでやり合っているだけで、しばらくしたら元の友好関係に戻れるはずだ」などとオロオロしている。「馬鹿に つける薬はない」とはこのことだ。

韓国とは、もともと、こういう国なのであり、今や片っ端から因縁をつけ始めたのは、情勢の変化により本性を隠す必要がなくなっただけの話である。そもそ も、日本人の考える日韓友好と、韓国人の考えるそれとでは、大きな隔たりがある。日本人は文字通り「対等な友人関係」をイメージする。ところが、韓国人の 中では「100%の加害者と100%の被害者」という関係が前提になっていて、それゆえ彼らが「友好」とか「協力」を口にする場合、「日本人は加害者とし ての己の立場をよくわきまえろ」という意味が込められているのである。それは換言するなら「被害者に尽くせ」という意味だ。

よって、日韓が和解する必要性があるか否かはまた違う次元の問題として、それができると信じるのはナイーブにすぎる。日韓の個人的な交流と対話はぜひ推進 すべきだが、その効果に過大な期待は禁物である。それはちょうど後方でエイリアンの卵を次々と産み続ける母体を放置しながら、前線で襲ってくる固体だけを 倒すに等しい。それらが真に効果を発揮するには、まず母体(子供たちへの反日洗脳教育)を倒されねばならない。

しかし、極度に誤っているとはいえ、その国の教育は、あくまで内政問題である。改革できるとすれば、韓国人しかいない。その可能性については、私からは何 ともいえない。ただ、しょせんは、まがい物を「正当」とする非科学のオカルトである。真実の光が照射されるなら、虚偽は次第に溶解していく。ただ、それは ある意味、大韓民国の「国体崩壊」に等しい。だから、政府は、歴史の真実を恐れ、事実上、思想言論の自由を統制し、口封じまでやっている。それは見方を替 えれば「悪あがき」とも受け取れる。

一方、日本のとるべき態度ははっきりしていないだろうか。まず「歴史教科書を事実に沿って書き直せ」と要求していくべきだ。事ここに至っては内政問題もヘ チマもない。韓国はこれまで子供たちに日本に対する憎悪と偏見を植え付けながら、政治レベルでは友人やパートナーのフリをしてきた。そうやって二重人格的 な外交で日本を騙し、うまく利用してきたともいえる。おそらく、内心では「日本人をかつぐなんてチョロイもんよ」と舌を出していたのだろう。だが、これか らは、表面では「日韓は互いに協力し合うべきだ」とか「本当は日本が嫌いじゃない」などとごまかしながら、裏では公教育で日本を悪魔だと喧伝するような欺 瞞的な対日姿勢は通用しない。もうその手は食わない。

歴史の真実を直視しない韓国人に未来はない。まずは大本を正すべきだ。話はそれからだ。


(フリーランスライター 山田高明)

襲撃の死者68人に=「大規模攻撃が進行中」―ケニア

2013-09-23 06:26:20 | 時評

襲撃の死者68人に=「大規模攻撃が進行中」―ケニア

時事通信 9月23日(月)6時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130923-00000007-jij-m_est

 【ロンドン時事】ケニアの首都ナイロビのショッピングモールを武装グループが襲撃、人質を取り立てこもった事件で、ケニア赤十字は22日夕、新たに9人の遺体がモールから運び出されたことを明らかにした。これにより、確認された死者は68人に達した。
 モール内にはまだ遺体が残されているとみられ、警察筋はAFP通信に「死者数はもっと増える」と語った。
 武装グループはモール内にあるスーパーマーケットにバリケードを築いて籠城している。人質の数はなお不明だが、30人との情報がある。
 ケニアの国家災害オペレーションセンターは22日夕、ツイッターで「2日間の包囲を終わらせる治安部隊による大規模な攻撃が進行中だ」と発表。「22日夜中に事件は終結するだろう」とも述べた。モール内からは銃声や爆発音が聞かれると伝えられるが、戦闘の状況は明らかではない。 

レール異常、97カ所で放置=「組織的問題」と社長謝罪―JR北海道

2013-09-23 01:20:54 | 時評

レール異常、97カ所で放置=「組織的問題」と社長謝罪―JR北海道

時事通信 9月23日(月)0時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130923-00000001-jij-soci
 北海道七飯町で起きたJR函館線の貨物列車脱線事故をめぐり線路幅の異常が放置された問題で、JR北海道の野島誠社長は22日夜、札幌市の本社で記者会見し、レールの幅や高さなどで規定を超えた異常を見つけながら、期限内に補修せず放置した場所が、同社管内で少なくとも計97カ所に上ることを明らかにした。社長はいずれも同日までに補修したと説明した。
 野島社長は「利用者をはじめ多くの皆さまに多大な迷惑を掛けたことをおわびします」と謝罪。「線路管理のルールが守られていない実態が判明した。組織の問題として捉えなければならない」と危機感を示した。ただ、自らの進退については「体制の立て直しに取り組みたい」と否定した。
 同社によると、レールに異常があった場所は、宗谷線や函館線などの本線で49カ所、駅構内などで擦れ違ったり一時待避したりする「副本線」では48カ所見つかった。レールの幅が広がったり、左右のレールの高さが基準以上にずれていたりしていた。
 同社の規定では、基準を超えた異常は発見から15日以内に補修するよう定めている。野島社長は放置された理由について「検査情報の整理と修繕計画の連携ができておらず、補修を先延ばしにしているうち失念してしまったとの声を聞いた」と述べた。 

消費税来春8%、脱デフレ、やり抜けるか

2013-09-23 01:07:26 | 時評
消費税来春8%、脱デフレ、やり抜けるか
配信元:2013/09/19 08:14更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/685066/
記事本文
 大型消費税増税は大きなデフレ圧力を呼び込む。政府内でこの懸念を最も強く抱いてきたのは、安倍晋三首相本人であり、最終的には消費税率上げ幅を2%に圧縮する案も考えた。ところが「その強大な指導力をもってしても予定通りの増税という政府や与党内の大勢を押し返せなかった」(首相周辺筋)。首相は逆境のもとで「脱デフレ」をやり遂げられるだろうか。
 デフレ下では、物価の下落を数倍も上回る速度で国民の賃金や所得が縮小する。平成9年度、消費税増税で物価は上がったが、翌年度は物価下落以上に賃金下落の基調が定着してしまい、デフレは慢性化した。その二の舞いを避けなければ、アベノミクスへの信頼は損なわれてしまう。
 日銀の試算によれば、3%の消費税率アップは消費者物価を2%押し上げる。日銀のインフレ目標2%を加えると、合計で4%物価が上がりそうだ。半面、4%ものインフレ分を補填(ほてん)する賃上げは雇用需給が逼迫(ひっぱく)しない限り望みは薄い。多くの一般家計は消費を切り詰めざるをえなくなる。
 政府は増税を受けた景気対策として大型補正予算を議論しているが、財源の制約から24年度末の真水5兆円の補正予算と同水準が限度で、前年度比でみる経済成長率押し上げ効果はゼロであり、増税デフレを相殺するには不十分だ。
 設備投資減税など法人税減税も検討されているが、来年度に間に合わせることが重要だ。そもそも、消費税増税で需要を減らすと、企業の設備投資意欲が萎える。その後で減税しても遅い。各種の規制緩和や「2020東京五輪開催」も有効に違いないが、脱デフレや成長にいつから、どこまで寄与できるか、不明な部分が多い。以上、消費税増税によるデフレ圧力を政府として解消させる決め手には欠けるのが現実だ。
 最後の頼みは日銀の追加金融緩和策だ。黒田東彦(はるひこ)日銀総裁はすでに、消費税増税に伴う需要減退に対し、金融政策で対応する用意を表明している。その場合、最も期待できるのは円安促進効果である。日銀の「異次元緩和」は今年前半、円安、株高を誘発した。金利と量の両面の緩和でもう一段の円安を期待できる。
 政府は日銀と歩調を合わせながら、短期、中長期で統合のとれた脱デフレ策を固める。そして首相自らその有効性を広く国民に訴えるべきだ。(編集委員 田村秀男)


「地球の裏側」論 本質をそらす言葉遊びだ

2013-09-22 05:27:09 | 時評
【主張】
「地球の裏側」論 本質をそらす言葉遊びだ
2013.9.22 03:15 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130922/plc13092203150002-n1.htm
 不毛な言葉遊びにエネルギーを費やしていては困る。
 集団的自衛権の行使容認問題で、自衛隊が「地球の裏側」まで行くか否かという、表現をめぐる論争が政府自民党などで起きている。
 自民党の高村正彦副総裁らは「地球の裏側に行くようなことは許されない」と主張している。これに対し、高見沢将林(のぶしげ)官房副長官補が自民党の会合で、地球の裏側に行くことも必ずしも否定されないとの見解を示した。
 高村、高見沢両氏は、集団的自衛権の行使が日本の国益や安全を守るために必要であることを前提に発言している。
 「地球の裏側」とは、日本の国益などに無関係の地域にまで自衛隊を送り、武力行使を行うものではないという、あくまでもたとえと考えるべきだろう。高見沢氏は「関係もないのに米国が行くからついて行くものではない」とも説明している。
 一方、行使容認に反対する側は「地球の裏側まで行って、日本は米軍に追従して世界で戦争するのか」などと懸念を提起している。避けなければならないのは、行使容認を否定、阻止するための宣伝にこの論争が使われ、問題の本質がすり替えられることだ。
 核・弾道ミサイル開発を強行する北朝鮮や、軍拡を進める中国の台頭によって、日本周辺の安全保障環境は急速に悪化している。集団的自衛権の行使容認は、日米同盟を強化し、抑止力を高めるために不可欠なものだ。
 だが、経済的な相互依存関係の深化や科学技術の発展で世界はますます狭くなっている。遠く離れた地域の出来事が、日本に大きな影響を与えることを考えておくのは当然だろう。
  政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」でも、中東などからのエネルギーの安定供給をにらみ、シーレーン(海上交通路)の安全 確保が論じられている。日本から約1万2千キロのソマリア沖アデン湾での自衛隊による海賊対処活動は、国益を守るために必要だからこそ続けられている。
 国民の理解を得るため、集団的自衛権の行使の条件、手続きなどをあらかじめ考えるのは当然だ。行使容認に慎重な側も、言葉遊びに熱中するのではなく、事の本質を論じてほしい。