「痛かったフライパン」
最近皇室の話題がマスコミに頻繁に登場する。お目出度い話や必ずしもそうでない話題も豊富に書き立てられている。特に週刊誌の記事のなかには世が世ならば不敬罪(もはや死語であるが)に問われ出版差し止めの憂き目をみるは必定と思われるものがある、と考える私は相当な昔人間か?
ともあれ皇室のニュースに接するたびに痛い思い出が私にはある。
それは今から三十有余年前のことでである。
当時私はシカゴ市サウスサイドにあったある日系二世の営むボーディング ハウスに 数ヶ月滞在していた。
ボーディングハウスー下宿屋といってもご主人は修理主体のあまり繁盛しない時計屋さんで、もっぱら奥さん(おばさん)とおばさんの母のおばーちゃんが家計の足しにと切り盛りしていた素人下宿屋である。
二十五才前後の長女を頭に娘4人、息子二人の大家族に加え、カルフォニア生まれ、 ハワイ生まれの日系二世、三世のシカゴ周辺の大学生、海兵隊員等5~6人に私のような日本からの短期滞在者 数人が加わった大所帯である。
この家族はもともとカルフォニア・サクラメント付近で農業を営んでいたのだが 大戦中はご他分にもれず強制収容所で過ごしたそうである。
戦後は新天地を求めてシカゴに移住してきたのである。
そんなボーディングハウスでのある日、多分日曜日だった?私はダイニングルームでのんびりとテレビを見ていた。 丁度その時、皇太子殿下(現天皇陛下)の御成婚のパレードが映しだされた。 それを見ていた学生気分のまだ抜けない私はふとあることを口走しった。 それは終戦前ならばまさしく不敬罪 で留置場に2~3日はぶち込まれるたぐいの言葉だったと思う。(覚えているけれども敢えてかきません)
まさにその時である。後頭部にガツンと衝撃を受け、一瞬目先が真っ暗 になつた。瞬間何が起こったのか分からなかった。
後ろを振り向くと、なんとオバーちゃんがフライパンを持って、涙を流しながら 私を睨んでるいるではないか。そう、オバーちゃんにこっぴどく叩かれたのだ。
「オバーちゃん、何をしてかね」と私。
「アンディ(私は便宜上アンディと呼ばれていました)、お前はジャパン生まれの ジャパンボーイじゃないか?なんちゅう耐えがたいことをいうのか」とオバーちゃん。
私はハットした。戦後の日本人に希薄になった皇室尊崇の気持ちをこの明治生まれの オバーちゃんは牢固として持っているのだと気付いた。
私は心から、理屈抜きに謝まった。ともあれ明治生まれの純粋な気持ちの前に下手な 理屈や言い訳は通らないと思ったのだ。
機嫌を少し直してくれたオバーちゃんは言いました。
「アンディ、もう一度同じことを言ったら、ランチを作ってあげんけーね!」 (作ってあげないからね!)これには参りました。私にとってはフライパンの打撃以 上です。
そう、毎日、毎日のサンドイッチのランチにうんざりし、折角のサンドイッチを食べずに捨てていたのが、いつしかバレて、そんな私のために特におにぎりランチを作ってくれるようになっていた。
言葉からお分かりのように、オバーちゃんは山口県大島町の出身である。
おばさんは同じ大島でで小学校教育を受けた帰米二世。おじさんの両親は広島出身。 私も同じく山口県生まれなので同郷ということもあって特に可愛がってくれてい たのである。
そんなわけで皇室ニュース に接するたびに30余年前に受けたフライパン打撃を鮮烈に思い出すのである。
最近皇室の話題がマスコミに頻繁に登場する。お目出度い話や必ずしもそうでない話題も豊富に書き立てられている。特に週刊誌の記事のなかには世が世ならば不敬罪(もはや死語であるが)に問われ出版差し止めの憂き目をみるは必定と思われるものがある、と考える私は相当な昔人間か?
ともあれ皇室のニュースに接するたびに痛い思い出が私にはある。
それは今から三十有余年前のことでである。
当時私はシカゴ市サウスサイドにあったある日系二世の営むボーディング ハウスに 数ヶ月滞在していた。
ボーディングハウスー下宿屋といってもご主人は修理主体のあまり繁盛しない時計屋さんで、もっぱら奥さん(おばさん)とおばさんの母のおばーちゃんが家計の足しにと切り盛りしていた素人下宿屋である。
二十五才前後の長女を頭に娘4人、息子二人の大家族に加え、カルフォニア生まれ、 ハワイ生まれの日系二世、三世のシカゴ周辺の大学生、海兵隊員等5~6人に私のような日本からの短期滞在者 数人が加わった大所帯である。
この家族はもともとカルフォニア・サクラメント付近で農業を営んでいたのだが 大戦中はご他分にもれず強制収容所で過ごしたそうである。
戦後は新天地を求めてシカゴに移住してきたのである。
そんなボーディングハウスでのある日、多分日曜日だった?私はダイニングルームでのんびりとテレビを見ていた。 丁度その時、皇太子殿下(現天皇陛下)の御成婚のパレードが映しだされた。 それを見ていた学生気分のまだ抜けない私はふとあることを口走しった。 それは終戦前ならばまさしく不敬罪 で留置場に2~3日はぶち込まれるたぐいの言葉だったと思う。(覚えているけれども敢えてかきません)
まさにその時である。後頭部にガツンと衝撃を受け、一瞬目先が真っ暗 になつた。瞬間何が起こったのか分からなかった。
後ろを振り向くと、なんとオバーちゃんがフライパンを持って、涙を流しながら 私を睨んでるいるではないか。そう、オバーちゃんにこっぴどく叩かれたのだ。
「オバーちゃん、何をしてかね」と私。
「アンディ(私は便宜上アンディと呼ばれていました)、お前はジャパン生まれの ジャパンボーイじゃないか?なんちゅう耐えがたいことをいうのか」とオバーちゃん。
私はハットした。戦後の日本人に希薄になった皇室尊崇の気持ちをこの明治生まれの オバーちゃんは牢固として持っているのだと気付いた。
私は心から、理屈抜きに謝まった。ともあれ明治生まれの純粋な気持ちの前に下手な 理屈や言い訳は通らないと思ったのだ。
機嫌を少し直してくれたオバーちゃんは言いました。
「アンディ、もう一度同じことを言ったら、ランチを作ってあげんけーね!」 (作ってあげないからね!)これには参りました。私にとってはフライパンの打撃以 上です。
そう、毎日、毎日のサンドイッチのランチにうんざりし、折角のサンドイッチを食べずに捨てていたのが、いつしかバレて、そんな私のために特におにぎりランチを作ってくれるようになっていた。
言葉からお分かりのように、オバーちゃんは山口県大島町の出身である。
おばさんは同じ大島でで小学校教育を受けた帰米二世。おじさんの両親は広島出身。 私も同じく山口県生まれなので同郷ということもあって特に可愛がってくれてい たのである。
そんなわけで皇室ニュース に接するたびに30余年前に受けたフライパン打撃を鮮烈に思い出すのである。
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