今日の朝刊の記事に目を通していると、「鼻から食事 虐待認定」という見出しに目が留まった。
詳細を読んでゆくと、医療療育センターにて食事をうまく摂れない要介護者に対し、とろみをつけた食べ物や水分をスプーンで鼻から体内に送るという介助をおこなっていたという内容であった。
そして、その介護者はその事について「食べ物や水分をできるだけ摂らせようという意図だった」という理由を述べていた。
おそらく、経験による成功例によって経口摂取困難者には有効な介助方法だと思い込んでしまったことが、要介護者の人権や命に係わるリスクを軽んじる原因になったのではと思う。
しかし、そもそも、その介護者は、介助方法以前に「自分がその立場だったらどう感じるか」という基本的な思考が欠落している。
仮にドクターの指示と要介護者の家族の同意のもとで、カテーテルを用いて鼻腔からラコールなどの経腸栄養剤を注射器で流し込むというのであれば、「仕方のないことなのだ」と飲み込めるが、自分の経験のみで判断してしまう思考は理解に苦しむ。
また、経口摂取の困難な要介護者であるのなら、現場レベルで介助方法についてのカンファレンスも行われているはずであるから、なぜそのような手法がまかり通ってしまったのかが分からない。
要介護者の身体に回復の見込みがない障害が生じていて、緩やかに衰退が進んでいても、「食べなければ元気にならない」という幻想を信じて疑わず、無理矢理に食べさせる事が「正しい」のだと言い張る人が介護現場で幅を利かせている間は、このような事案はこれからも繰り返されていくのではないかと思う。
詳細を読んでゆくと、医療療育センターにて食事をうまく摂れない要介護者に対し、とろみをつけた食べ物や水分をスプーンで鼻から体内に送るという介助をおこなっていたという内容であった。
そして、その介護者はその事について「食べ物や水分をできるだけ摂らせようという意図だった」という理由を述べていた。
おそらく、経験による成功例によって経口摂取困難者には有効な介助方法だと思い込んでしまったことが、要介護者の人権や命に係わるリスクを軽んじる原因になったのではと思う。
しかし、そもそも、その介護者は、介助方法以前に「自分がその立場だったらどう感じるか」という基本的な思考が欠落している。
仮にドクターの指示と要介護者の家族の同意のもとで、カテーテルを用いて鼻腔からラコールなどの経腸栄養剤を注射器で流し込むというのであれば、「仕方のないことなのだ」と飲み込めるが、自分の経験のみで判断してしまう思考は理解に苦しむ。
また、経口摂取の困難な要介護者であるのなら、現場レベルで介助方法についてのカンファレンスも行われているはずであるから、なぜそのような手法がまかり通ってしまったのかが分からない。
要介護者の身体に回復の見込みがない障害が生じていて、緩やかに衰退が進んでいても、「食べなければ元気にならない」という幻想を信じて疑わず、無理矢理に食べさせる事が「正しい」のだと言い張る人が介護現場で幅を利かせている間は、このような事案はこれからも繰り返されていくのではないかと思う。