硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

性的欲求を満たす・・・。

2015-12-29 20:57:57 | 日記
昨日の続きをもう少しだけ述べておこうと思う。

人が一人ひとり違う以上、内在する性癖も異なり、相対する人が好意的で、どんな性癖を受け入れてくれる寛容な心の持ち主であれば性的な犯罪は起こらなくなるようにも思うが、相対する人が条件を満たせられる人ばかりではないし、いいなりになる相手であれば、思い上がった気持ちが、相対する人以外の人に欲望を向かわせるものである。
性的欲求の衝動は時に、自律を忘却させる力を持ち、支配欲が相対する人の心を平気で傷つけてしまう。

「濁った頭」の津田君がまさにそうである。しかし、彼がキリスト教に出会わず、愛する人と出会い、素晴らしさを知ることが出来ていたら、平凡であるかもしれないが幸福になっていたかもしれないと思う。

僕の例えで恐縮であるが、相手の気持ちを思いやり、優しく抱きしめあうと胸が暖かくなり、互いが我を忘れて貪る様に官能に溺れるとき、罪悪感を抱くのではなく、身心が充実し「生きているのだ」と感じ、それが明日への活力につながるように思う。 しかし、そのようなパートナーに出会うこと、気づく事が意外と難しいのが現実であるからもどかしいのである。

それが決定的な動機だとは言い切れないが、衝動を抑えきれず、罪する事に苦しまず、他者の気持ちに対して盲目になり、欲望の赴くまま法を踏み越えてゆく人が後を絶たないのではと考えつつも、問題の根源に「フェアネスな社会は、いつの世も、どこにも存在しない」という言葉が浮かんでくるのです。