今年も無事にスキーツアーが終了した。初日は何年かぶりの快晴でうれしかったが、滑走量は天候不順の日とほとんど変わらない。自堕落になったもんだと笑いつつも充実した時間を過ごすことができた。
スキー場で休憩する際にいつも訪れる山小屋でビールと共に今日の一品料理を頼むのであるが、今年はイナゴの佃煮であった。しかし、慣例になっていたので友人はためらうことなく注文し、しばらくすると小鉢に入ったイナゴの佃煮と野沢菜付けとビールがテーブルに届いた。僕たちはビールを注ぎあい、一年ぶりの再会に乾杯した。そして「イナゴだよぉ」と言いながらイナゴの足を掴み、恐る恐る口にすると意外といけることに気づいた。
「あれ、意外とうまいね。」と、口をそろえる。しかもビールと合うので食が進む。友人は変な格好をした状態で佃煮化されたイナゴを手に取り「これ変な格好してるなぁ」とまじまじと眺めながら口にほうり込むものだから、思わず笑ってしまう。
長野県ではイナゴを食すのは普通であると情報番組で見たことがあり、お土産屋さんでも瓶詰で売られているのを見かけていたので存在は知っていたが、その姿をみると食べる気にはなれずにいたが、大人になるとこういった機会に恵まれる。
何匹か食しているうちに、何かに似ている感じがしてきたので、味をかみしめながら思いを巡らせていると、ふと思い出した。そこで、「この味って、たつくりに似てない? 」と、言ってみると、友人は「そんなん佃煮やで、同じ味にきまっとるやろ。」と、一刀両断され、僕も「確かにそりゃそうだ。」と、納得した。
また、蕎麦屋で美味い蕎麦を頂いた時、だされたお茶が蕎麦茶というもので大変美味しいかったが、これもまたどこかで味わったことがある気がしてきたので思いを巡らせながらお茶を口に含んで味を確かめていると、遠い記憶の底からその味が蘇ってきた。そこで、「この味って、あられのお茶漬けのときの残ったお茶の味に似てない? 」と、口にしてみると今度は、「おおっ。確かに。こんな味やったな。」と、賛同される。
三重県では(地域限定的)田舎あられにお茶をかけて食す習慣があった。昔は今ほど食べ物の種類も、お店もなかったので、農業を営んでいる家庭は、お米と同時にもち米も生産し、内米として残しておいたもち米で年末にお餅とあられを作った。餅は一月ほどでカビが生えてしまうが、あられは一年を通しての保存食とお茶請けの役割もになっていて、食べ方のバリエーションの一つとしてあられのお茶漬けという食べ方があった。
お茶碗に入れた田舎あられにお茶を注ぎ、ふやける寸前のあられを一気に食べるのであるが、それでも、ふやけてしまったあられがお茶のなかで「だし」になり、緑茶の香りが香ばしい香に代わるのである。それが、蕎麦茶の味、香りによく似ていたのだった。
もやもやしていたものがスキッとしたおかげで、お蕎麦も大変美味しく戴けたのであった。
スキー場で休憩する際にいつも訪れる山小屋でビールと共に今日の一品料理を頼むのであるが、今年はイナゴの佃煮であった。しかし、慣例になっていたので友人はためらうことなく注文し、しばらくすると小鉢に入ったイナゴの佃煮と野沢菜付けとビールがテーブルに届いた。僕たちはビールを注ぎあい、一年ぶりの再会に乾杯した。そして「イナゴだよぉ」と言いながらイナゴの足を掴み、恐る恐る口にすると意外といけることに気づいた。
「あれ、意外とうまいね。」と、口をそろえる。しかもビールと合うので食が進む。友人は変な格好をした状態で佃煮化されたイナゴを手に取り「これ変な格好してるなぁ」とまじまじと眺めながら口にほうり込むものだから、思わず笑ってしまう。
長野県ではイナゴを食すのは普通であると情報番組で見たことがあり、お土産屋さんでも瓶詰で売られているのを見かけていたので存在は知っていたが、その姿をみると食べる気にはなれずにいたが、大人になるとこういった機会に恵まれる。
何匹か食しているうちに、何かに似ている感じがしてきたので、味をかみしめながら思いを巡らせていると、ふと思い出した。そこで、「この味って、たつくりに似てない? 」と、言ってみると、友人は「そんなん佃煮やで、同じ味にきまっとるやろ。」と、一刀両断され、僕も「確かにそりゃそうだ。」と、納得した。
また、蕎麦屋で美味い蕎麦を頂いた時、だされたお茶が蕎麦茶というもので大変美味しいかったが、これもまたどこかで味わったことがある気がしてきたので思いを巡らせながらお茶を口に含んで味を確かめていると、遠い記憶の底からその味が蘇ってきた。そこで、「この味って、あられのお茶漬けのときの残ったお茶の味に似てない? 」と、口にしてみると今度は、「おおっ。確かに。こんな味やったな。」と、賛同される。
三重県では(地域限定的)田舎あられにお茶をかけて食す習慣があった。昔は今ほど食べ物の種類も、お店もなかったので、農業を営んでいる家庭は、お米と同時にもち米も生産し、内米として残しておいたもち米で年末にお餅とあられを作った。餅は一月ほどでカビが生えてしまうが、あられは一年を通しての保存食とお茶請けの役割もになっていて、食べ方のバリエーションの一つとしてあられのお茶漬けという食べ方があった。
お茶碗に入れた田舎あられにお茶を注ぎ、ふやける寸前のあられを一気に食べるのであるが、それでも、ふやけてしまったあられがお茶のなかで「だし」になり、緑茶の香りが香ばしい香に代わるのである。それが、蕎麦茶の味、香りによく似ていたのだった。
もやもやしていたものがスキッとしたおかげで、お蕎麦も大変美味しく戴けたのであった。