『カサノバ』(76)(1981.1.12.有楽町スバル座)
何ともフェリーニらしく、ひっちゃかめっちゃかで退廃的で支離滅裂なのに最後はちゃんと余韻を残す。『甘い生活』(60)や『サテリコン』(69)のさらに上を行った感じがした。
全編にわたって、主人公カサノバ(ドナルド・サザーランド)の女性遍歴を描いているのだが、まずセットの豪華さが目を引く。冒頭の祭りのシーン、貴族の館、劇場、シャンデリア…。そして次から次へと登場する女性たちも、貴族、大道芸人、女優、そして人形と、実に多彩でこちらにも目を奪われる。
その中で、カサノバが時には滑稽に見えたり、哀れに見えたりもするのだが、それを見ている自分もとりとめが付かなくなり、何本も映画を見たような疲れを感じた。
ラスト近くで急に老けて惨めな姿をさらすカサノバ。若い頃の彼があまりにも華やかだっただけに、この落差の大きさが切ない。しわだらけで目が充血した彼の心に宿るのは、若き日に出会ったさまざまな女たち、故郷の祭りのシンボル像…。だが、老いた彼の自由になるのは美しい人形だけだったという皮肉。
人間の宿命である老いが希代のプレーボーイの身にも訪れたのだ。ここで初めてカサノバもわれわれと同じ人間だったと感じて、彼に同情することができるのだ。それが、酒池肉林ともいうべきすさまじい狂態が映る映画の結論としてフェリーニが言いたかったことなのか。人生とは、かくのごとく空しいものである。老いは誰にでも容赦なくやって来るものなのだと。サザーランドの演技がすごかった。
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