『今そこにある危機』(94)(1995.2.24.渋谷東急)
過去の『レッド・オクトーバーを追え!』(90)と『パトリオット・ゲーム』(92)、そしてこの映画、というシリーズ3作を通しで考えてみると、アメリカの、というよりも、大げさに言えば、世界情勢の緊張の流れの変化が見えてくる。
1作目はソ連崩壊間際の亡命、2作目は冷戦終了後の民族紛争やテロ、そして今回は、南米の麻薬戦争、といった具合に、主人公のジャック・ライアンが巻き込まれる事件の背景が、たかが数年の間に激変しているのだ。
もちろん、このシリーズはそうした背景が生む問題を声高に叫んでいるわけではないのだが、硬い社会派映画とは違い、初めから告発的な意図を持って作られてはいない娯楽映画だからこそ、かえって、その奥に潜む怖さが見えてくるところがある。気が付けば、描かれている事件がどんどん身近なものになってきているのだ。
ところで、前回の『パトリオット・ゲーム』の時は、ライアン役がハリソン・フォードに代わったことを歓迎していたのだが、今回は何だか嫌々やっているようなところが見え隠れして、見ていて少々つらかった。まあ、これは渋々上役の代わりをさせられるという、今回のライアン像に対する彼なりの計算の演技なのかもしれないが。
さて、トム・クランシーの原作はまだまだ続くようで、今回惜しくも殺されてしまったジェームズ・アール・ジョーンズに代わって、ウィレム・デフオーとその部下たちが、ライアンのボディガードとしてレギュラーに参入するらしい。正直なところ、ここらあたりでそろそろ打ち止めにしておいた方がいいような気もするのだが…。
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