田中雄二の「映画の王様」

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ハリー・ディーン・スタントンと『パリ、テキサス』

2017-09-19 09:36:31 | 映画いろいろ

 『間違えられた男』(56)『西部開拓史』(62)『暴力脱獄』(67)『デリンジャー』(73)『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73)『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)『ブルージーンズ・ジャーニー』(75)『さらば愛しき女よ』(75)『ミズーリ・ブレイク』(76)『エイリアン』(79)『ローズ』(79)『ニューヨーク1997』(81)『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)『パリ、テキサス』(84)『若き勇者たち』(84)『対決』(90)『グリーンマイル』(99)『アベンジャーズ』(12)『ラストスタンド』(13)

 これは、ある俳優の主なフィルモグラフィー。その人の名は、先日91歳で亡くなったハリー・ディーン・スタントンである。1950~60年代はいわゆる端役だったが、70年代に入ると、役らしい役が付くようになり、名脇役へと出世。『パリ、テキサス』で遂に主役を張った時は、他人事ながら長年の苦労が報われたような気がして、見ているこちらまでうれしくなった。90年代からはさすがに客演的な役が増えたが、最近の『アベンジャーズ』や『ラストスタンド』で“一瞬”その顔を見た時は、健在ぶりを知って、またまたうれしくなったものだった。



 スタントンの主演作『パリ、テキサス』を見た際(1985.2.19.有楽シネマ)のメモを転載。

 ニューシネマの時代に、英国人であるジョン・シュレシンジャーが、『真夜中のカーボーイ』(69)で異邦人の目から見たアメリカの汚れを描いたが、それと同様に、この映画もヴィム・ベンダースというドイツ人の目から見た、乾き切ったアメリカの風景や心情を描いている。実際、これほどカサカサに乾いたアメリカの姿は、アメリカ人が撮った映画ではお目に掛かれないもの。似たような映画として思い出されるのは、ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』(70)だが、彼もまた、イタリア人である。

 そのカサカサした乾き感に加えて、この映画には、愛の不毛のやるせなさ、切なさ、悲しさが描き込まれているから、見ていてとても気が滅入る。ベンダースが、敬愛する小津安二郎の映画と比較して、自らのこの映画を「もはやつながりを失ってしまった家族像」と語っていたが、深過ぎる愛の果ては破滅しかない、という何とも苦い結末は、むしろニューシネマが好んで描いた、流浪のアウトロー的な主人公の生き方につながる気がする。

 こうした面は、脚本を書いたサム・シェパードの色が濃いのだろうと推測するが、そういえば、『砂丘』の脚本にもシェパードが参加していたことを思い出した。なるほど、時代を隔てた2作がつながる理由はここにあったのか。そう考えると、ベンダースとシェパードという、強烈な個性派同士のぶつかり合いが、この一種異様なラブストーリーを作り出したとも思えてくるのだ。

 ハリー・ディーン・スタントン、脇役からの叩き上げ。故ウォーレン・オーツをほうふつとさせる独特の風貌が、この映画の主人公トラヴィスと見事に同化し、彼なくしてはこの映画もここまでにはならなかったのでは…と思わされるほどだった。

 息子役の子役が、また何とうまいんだろうと感心したが、何とあの少年はカレン・ブラックの息子だという。驚きながらも、やはり血は争えないものだと納得。

 30数年前のメモ。そういえばサム・シェパードもつい最近亡くなったなあ。


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