『友よ、風に抱かれて』(87)(1991.3.21.ビデオ)
ベトナム戦争真っただ中の68年。戦死した兵士たちが眠るアーリントン墓地に、葬儀を行う儀仗兵士としてやってきたウィロー(D・B・スウィーニー)は、その部隊の曹長で歴戦の勇士クレル(ジェームズ・カーン)と出会う。
先の『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)の余韻が残り、フランシス・フォード・コッポラ監督作で唯一未見だったこの映画を見てみた。この映画の頃のコッポラは不調だったので、見逃していたのだ。
ベトナム戦争関連では、すでに超大作『地獄の黙示録』(79)を撮っているコッポラだが、この映画は本当に同じ監督が撮ったのかと思うほど、淡々としていた。
そして、その分『地獄の黙示録』の支離滅裂さが影を潜め、ひしひしと心に迫ってくるような、説得力を持った映画に仕上がっていたのである。それは、恐らくコッポラが、いやアメリカ自体が、ベトナム戦争の本質に気が付き始めたからではないか。
実際、この映画で描かれた最前線の戦場に行きたがる血気盛んな若者の姿は、ジョン・フォードの『ミスター・ロバーツ』(55)に通じるし、それを見守るカーンとジェームズ・アール・ジョーンズの姿は『長い灰色の線』(55)に通じる。
だから、この映画は、表向きはアメリカの古くからの戦争映画の伝統を引き継いでいるのだが、両作に見られたユーモアのかけらもない。否、描けないところに、アメリカにとってのベトナム戦争の苦さが、嫌と言うほど感じられるのである。
劇中に吐かれる「戦っている者たちが、一番戦争を憎んでいる」という一言が、この映画の全てを表していると言っても過言ではない。
だが、こうしてさまざまな形でベトナムの反省ができるようになった矢先に湾岸戦争が勃発。しかも表向きにはアメリカが大勝してしまったから始末が悪い。高みの見物を決め込む日本人としては、タカ派のアメリカが復活しないことを願うのみである。
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