日々、子供を叱りつけずに
心に寄り添うことを心がけてきている。
何を考え、何に共感するのか、
嫌いなことは何か、好きなことは何か、と、
見守りつつ真剣に子供目線で向き合っている。
時々、危険なこと、悪いこともしがちで
そんな時は、強い口調で叱ることもあるが、
あくまでも、悪を意識したいがためで
放任主義とは言わないでほしい。
まだまだ、始まったばかりの子育てであるが
素直な心を育み、周りのことに潤いをあたえられる
男の子へと育てる義務があると強く感じている。
そんな子供と一緒にいるとき、
少しずつではあるが、聞き分けが良くなってきたと感じることが
増えてきた。
親のエゴでもなく、単純にそう感じてきた。
時々、店先でコレ欲し〜とか言ってみたり、
こんなことしたい、とダダをこねてみたりするが、
「今は、それをしに来たのではないので、また今度ねー」と
親が諭す。
以前は、床に寝っ転がって怒り出したが
最近は子供本人も自分自身に言い聞かせるような仕草で、
「そうだねー、今は我慢する、今度、買いにこよう!」と
自分自身に言い聞かせるシチュエーションが増えてきた。
と、ありつつも、日々、聞き分けが悪いこともあったりする。
そして、いわゆる「我慢」させることも悪だと私は考えるので
子供と話をして、買うときには一気にいろんな物を
買い与えるようにしている。
教育方針として、我慢のしすぎは「悪」と考え
適度に発散させようという感じ、時期とタイミングを考える感じですね。
子供と冷静に向き合っていると、
子供の良きなこと、やりたい事も自然とわかるので面白い。
客観的に見ていて、「次はこんな事をするんだろうなー、と、思っている」と
間違いなく、ソレをするので面白い。
子供の将来は、今があるから未来があるといった感じである。
これから益々、自我が強くなると思うので
小さい時からの習慣としておきたいのが親の立場としての本音である。
今年8月1日で5歳になる。
数も100までカウントできるし、簡単な足し算もできるようになった。
恐竜にも興味がある。
益々、親として、子供に触れさせなければならない事も増えるし
教えなければならない事も多い中、
いい意味での個性を磨き、伸ばすのは親の務めだと強く感じる。
「カメラ」を持たせると、相変わらずお尻を撮りたがるのは
間違った教育方針だったかもしれなし。
心に寄り添うことを心がけてきている。
何を考え、何に共感するのか、
嫌いなことは何か、好きなことは何か、と、
見守りつつ真剣に子供目線で向き合っている。
時々、危険なこと、悪いこともしがちで
そんな時は、強い口調で叱ることもあるが、
あくまでも、悪を意識したいがためで
放任主義とは言わないでほしい。
まだまだ、始まったばかりの子育てであるが
素直な心を育み、周りのことに潤いをあたえられる
男の子へと育てる義務があると強く感じている。
そんな子供と一緒にいるとき、
少しずつではあるが、聞き分けが良くなってきたと感じることが
増えてきた。
親のエゴでもなく、単純にそう感じてきた。
時々、店先でコレ欲し〜とか言ってみたり、
こんなことしたい、とダダをこねてみたりするが、
「今は、それをしに来たのではないので、また今度ねー」と
親が諭す。
以前は、床に寝っ転がって怒り出したが
最近は子供本人も自分自身に言い聞かせるような仕草で、
「そうだねー、今は我慢する、今度、買いにこよう!」と
自分自身に言い聞かせるシチュエーションが増えてきた。
と、ありつつも、日々、聞き分けが悪いこともあったりする。
そして、いわゆる「我慢」させることも悪だと私は考えるので
子供と話をして、買うときには一気にいろんな物を
買い与えるようにしている。
教育方針として、我慢のしすぎは「悪」と考え
適度に発散させようという感じ、時期とタイミングを考える感じですね。
子供と冷静に向き合っていると、
子供の良きなこと、やりたい事も自然とわかるので面白い。
客観的に見ていて、「次はこんな事をするんだろうなー、と、思っている」と
間違いなく、ソレをするので面白い。
子供の将来は、今があるから未来があるといった感じである。
これから益々、自我が強くなると思うので
小さい時からの習慣としておきたいのが親の立場としての本音である。
今年8月1日で5歳になる。
数も100までカウントできるし、簡単な足し算もできるようになった。
恐竜にも興味がある。
益々、親として、子供に触れさせなければならない事も増えるし
教えなければならない事も多い中、
いい意味での個性を磨き、伸ばすのは親の務めだと強く感じる。
「カメラ」を持たせると、相変わらずお尻を撮りたがるのは
間違った教育方針だったかもしれなし。