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拒絶の歴史(75)

2010年06月10日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(75)

 何度味わっても春というものは楽しい季節である。

 子供たちのサッカー・リーグが始まり、ぼくも試合に同行している。熱心に毎回応援に来る親がいて、たまには祖父母や兄弟、また中にはませた子もいて、小さなガールフレンドが友達を連れて、ある男の子を夢中で応援していた。ぼくは春の日差しの下で、半分は本気で、半分は遊びの感覚でその試合を眺めている。真剣勝負しかしなかった自分は、やはりスポーツにたいしていびつな感情をもっていた。誰かを徹底的につぶさないことには、ぼくは勝ち残れなかった。それより、幼少期は身体を動かす楽しみを知り、健康に暮らせればそれで良かった。それゆえに、ぼくは自分が実際に動いた昔みたいには燃えなかったし、彼らにもあの気持ちを要求することはできなかった。簡単にいえば、挫折の気持ちが大きかったせいかもしれない。

 それでも、誰かがゴールを決めれば本人と同じように喜んだし、失点をしてしまえば自分の傷のようにこころが痛んだ。だが、彼らもそうした感情を繰り返すことによって大人への準備ができていくのだとも思う。いつも勝てるわけでもないし、毎回負けるわけでもなかった。自分より能力のある人間を目標にし、自分が持っていないものを所有している他者を見習うようにもなっていく。

 その日は、2対2で引き分けた。何回かはゴール・キーパーがボールをゴールに入れさせないために見事にはじき、何度かは簡単なパスの連携をしくじった。そして、試合が終わればそれぞれの家族や小さなガールフレンドのもとに走っていった。ぼくは、過去の自分の残影をそこに見ることになる。自分で頑張れば良いだけではなく、そこには誰かの視線へのお返しも含まれていく。

 それから、ぼくはコーチとビールを飲みに行くことになる。その日は、彼の交際相手もいた。ぼくらは自然と打ち解け合い、いっしょにいてくつろいだ気持ちになれた。
「今日の試合どうだった?」と、コーチが訊いた。
「そこそこ攻撃もまとまって、あの子も身体を入れて守れるようになったし・・・」
「両親たちはお前にももっと本気で応援してもらいたいらしいよ」
「そう見えてしまうんですよね」ぼくは、自分の熱の低下を責められるのを仕方がないことだと感じていた。だが、これ以上自分のスタンスを変える必要も感じられないでいた。「ぼくが、ラグビーをやってきたときのあの気持ちを誰かに期待できないことは理解できますかね?」

「それは、分かるよ。だけど絶叫しろと言っているわけでもないんだよ」
 ぼくは、ビールを飲み干した。誰かに期待をかけて、自分の周りにも、それが関係者ならとくに要求するのは自然なことだったかもしれない。ぼくも、自分の後輩たちにはよくそうした。しかし、未完成な身体やこころにそれを要求するのは酷な気がした。しかし、言葉では、「もう少し先頭に立って応援してみます」とだけ言った。

「それなら、良かった。全体的に二人で教えてるときの割り振りもうまくいっていることだし、お前以外を探すのもまた嫌だしな」

 また新しいグラスや料理が運ばれてきた。雰囲気を変えるためか、コーチの恋人は、いろいろなことを質問しだした。彼女はサッカーについてそう熱心なわけでもない。スポーツ全般に対してもそうだったが。それで、会社の仲間のことやテレビのドラマの話をした。雪代は普段そうした内容を話さないのでぼくは新鮮な感じを抱いた。そして、話がやんだり、自分が言いたいことを終えると、その代わりにおいしそうに料理を口に運んでいった。

 店を出てひとりになると少し肌寒かったが、それでも以前の冬の風に比べればそれは心地よいものに違いがなかった。家までの道を歩きながら少し頭が冷えていくと、人間関係のわずらわしさを少し感じた。彼らの息子はそこにいるだけで彼らの英雄なのかもしれないが、そこまで歴史に名前を残す存在にはならないかもしれない。自分の子供でも生まれればまた気持ちは変わったかもしれないが、その当時の自分にはそこが限界点だったかもしれない。

 しかし、ぼくは練習でも親身に接し、与えられるすべてを教えていたと思う。しかし、日曜に応援する親たちはそこでのぼくだけを判断した。彼らの考えも間違っていなければ、ぼくの態度もそう改める必要のないほど誤ったものではなかったかもしれない。だが、もうちょっと冷静になって考えようと、いまのもやもやとした気持ちを保留のままどこかに預けた。家に着くと、留守電の明かりが点滅していた。雪代からだったので、ぼくはそのまま電話をかけ直した。直ぐに彼女は出た。ぼくになにか異変とかしっくりしない気持ちがあると、彼女はいつも察するのか電話をかけてきた。


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