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拒絶の歴史(78)

2010年06月18日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(78)

 大学生活に戻るため東京を去った。そこでしか買えない本を購入し、それを長い電車内の慰みとした。ぼくらの地元では絶対的な数量がなにごとも足りず、趣味の範囲から漏れたものは、都会で買うしか方法がなかった。

 長い道中を終え、慣れ親しんだアパートに戻り、荷物を解いた。その後、上田さんの父に電話をかけ、週末に時間を作ってもらう約束をした。彼は、いつも行く居酒屋にぼくを誘い、我が子のように接してくれるはずだった。

「用件というのは?」せっかちである彼は遠回りというものを知らなかった。直ぐに問題点を見つけ、解決策を提示する。ぼくは、雪代に言われたことを要約し、簡単に説明した。彼はビールを飲み干し、その間に考えたのであろう言葉を発した。「あの美人といううわさの子だね?」
「そうです。丁度お店に陳列できるぐらいのものが入ればいいんです」
 上田さんの父はそのことには触れず、「智美ちゃんみたいな子のほうが愛嬌があって可愛いけどね」と自分の息子のガールフレンドのことを持ち出した。その子とはぼくも幼馴染みでもあったため知っていたが、彼の言い分も充分過ぎるほど理解できた。だからといって、ぼくは自分の気持ちを大切にすることを忘れなかった。

「まあ、それは抜きにしてそれぐらいなら用意するよ。近藤君からお金をもらうのはあまり良い気分ではないけど、ここはビジネスに徹して・・・」と言ってあれこれ算段したような表情を浮かべ、氷の入ったグラスを口に運んだ。

 それでも、その値段はあまりにも破格だった。しかし、彼の会社がいま建てている駅前のビルのテナントに、その店をいれるのはどうだろうかと、逆に提案された。その内容に対して即答できない自分は、家賃なり更新料などを聞いてメモし、それを雪代に伝える約束をした。

 その話が終われば、仮の父と息子のようにくつろいでお酒を飲んだ。最後には、簡単に書類にサインをするために会社に来て、その際に倉庫の鍵を渡すよ、と言われて別れた。人間関係の機微を感じ、楽しい一夜になった。「いろいろと手助けしてもらいたいこともあり、そこはギブ&テイクで」と慣れない横文字を上田さんの父は途中で使った。ぼくも上田さんからたくさんの恩恵をもらっていたので、それぐらいは手伝うつもりだったし、その覚悟もできていた。

 家に帰り、雪代に電話で報告した。「荷物はでき次第送ってもらっていいよ」と言い、さらに上田さんの父から提案されたことも彼女に告げた。具体的な店のイメージはまだ彼女の頭に完成されていなかったのか、それを思案している空白があった。しかし、「考えてみるね」と言い残し、電話を終えた。逆にぼくのイメージの中ではあの建築された間近のビルに彼女が立っている姿を容易に想像できた。また、そこからそう遠くないほころび始めた商店街のスポーツショップにいるぼくや店長の姿も実際のぬくもりとして実感できた。ぼくは、あの町並みも愛していたのだろう。

 数日たって上田建築という会社に行った。ぼくは前身でもあった材木を運ぶ会社に出入りしていたのでそこの事務員とも親しい関係が築けていた。彼らは社長の息子の友人ということでぼくに対していつも甘い応対をしてくれた。

「美人さんのために頑張る近藤くん」とあるひとりは言った。ぼくが行おうとしていることは彼女らにも筒抜けだった。ぼくは直ぐに鍵を受け取ることも出来ず、出された紅茶などを飲みながらしばし歓談した。「坊ちゃんももっとこっちに来てくれると嬉しいんだけどね」と言って会社の仕事と一線を置いている上田さんのことを少しだけなじった。だが、そのこと自体彼らの間に愛情が発酵されていることの証拠だった。

 結局、上田さんの父は突発的な仕事で現れず、まあ常に突発的な事柄で彼の生活は成り立っているわけだが、あらかじめ用意されていた書類が事務員さんの手によってうやうやしく引出しから取り出された。ぼくはそこにサインをして、書類の写しを受け取った。

「今度、その子もここに来てくれるといいんだけどな」と彼女らは自分で接したことでしか判断しないという確かな証拠や絆を求めたい性分の持ち主のようだった。

「どうですかね?」と言ってぼくは事務所のドアを開け、すがすがしい外気に触れるため外に出た。それから、鍵を持ってその場所まで歩いていって、中を確かめてみるためそこを開けた。当然のことだが中味は空っぽで、これから積まれていく荷物のことを想像した。これから彼女の夢の扉は開かれていくのであり、それと反対に自分の未来がまだまっさらである事実にも至った。そろそろ、土台としてのなにかを見つけないことには、自分の未来がただぼんやりと過ぎてしまうような不安も感じた。だが、そのまっさらなことを逆に考え、どうにでも変化できることを楽しもうと思っている。

 また鍵を閉め、そこをあとにする。上田さんの父の好意に感謝をし、その夜に彼に電話をかけてそのことを告げた。彼はいつものように照れくさそうに反応し、「また、あの店付き合えよ」と言って会話を締めくくった。