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拒絶の歴史(79)

2010年06月19日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(79)

 雪代から第一陣の荷物が届き、ぼくはそれを宅配業者から受け取り、代わりに判子を押した。ぼくはそれを翌日、大学に通う前に担いで、倉庫にしまってからいつもの通学路に戻った。この後、何回かこの作業を繰り返せば、雪代の理想の店舗のイメージに着実に近付いていくのだろう。

 段々と会社が軌道に乗り、その分大きくなっていく過程で人手が足りなくなっていった上田さんの父の会社は、従業員も増やしていったが、臨時で誰かを雇う必要もあった。

「誰か優秀な子を知らないかね?」と彼はぼくに先日のこと投げかけた。ぼくは探してみると答え、何人かに声をかけた。

「こういう話があるんだ、斉藤さん。会計のこまごまとした整理をしたり、図面とかもひくのかな?」

 定期的に働く必要もない彼女は、即答はしなかったが、ある週末を利用して、ぼくとふたりでそこでバイトをした。引き出しや段ボールには未整理の書類やら、請求書の原案やら契約書の閉じられていないものがぞくぞくと出てきた。ぼくらは、それを手際よく分類し、ファイルにしたり、書類をつくったり、できたものを封筒に入れて誰かの確認を待つだけの状態にした。

 建築とは実際に関係ない仕事だったが、その裏面に入らないことには、何事も見えてこないものがあるのだろう。それは、雪代の洋服を並べたお店も同じことかもしれない。忙しくなれば従業員も雇わなければならないし、会計や税金の計算の話もでてくるのだろう。父の電気屋でもそうした問題があり、ある時期がくるといつもバタバタしていた。それを遠めに見ながらも自分も影響を受けていたのだろう。

 昼は豪華な弁当が用意され、また午後も同じようなテンポで働いた。ぼくらは最小限でしか無駄口をたたかなかった。少し休憩を挟めばコーヒーや菓子が準備されていて、6時過ぎまで働いた。普段使わない筋肉が痛み、なれないためか肩も凝った。目もしばしばした。それでも、なにごとかの達成感が自分にまとわりつく子どものように付きまとっていた。

「次の日も同じ感じで頼むよ」と上田さんの父が言った。「また、あそこ行こうよ。君も飲めるんだろう?」と斉藤さんに向かって言った。彼女は、「大丈夫です」とだけ答えた。

 ぼくらは、初夏のような陽気のなかで暮れていく町並みを歩いた。店内はいつも落ち着いていて年上のきれいな女性が手際よくビールを運んだり、料理をだしてくれた。皿の上には、それにちょうど合っただけの分量の料理がのっていた。それを多少は、物足りないと思っていた若い胃袋を持っていた自分だったが、斉藤さんは感嘆していた。そして、その女性となにやら数語言葉を交わしていた。

 ぼくは冷たいビールを飲み干した。疲れた肩や目がほぐされていくような感覚があった。ぼくらは大学の授業のことを話したりもしたが、大体は上田さんが仕事の話をしてその場をしきっていた。ぼくらは目に見えない仕事の難しさや、それを乗り越えた喜びなどをいくらかだが理解する。このような場面に出会えることには、ぼくらの町がそもそも小さなものだったし、またぼくや息子のラグビーを応援してくれ、頑張りを見届けてくれた彼の存在が大きかった。大都会で、自分の力の未熟さを常に感じることが多かったならば、また違った存在に自分もなったのだろうと思った。その都会で雪代は暮らし、またそれも自分の実現すべき目標があるゆえだった。

「明日もはやくから頑張ってもらわないと困るので」と言って、上田さんの父は席を立った。会計を済ませ、ひとりで店をふらっと出てしまった。ぼくは、斉藤さんとまだ座っていて、残された料理を平らげていた。店はもう誰もおらず、店主である女性とつかの間だが楽しく歓談した。

「近藤くんの学校ラグビー強くなったよね。近藤君が頑張ったからでしょう?」
「彼は、そのことを訊かれるのが嫌いなのよ」と斉藤さんが言った。
「そうなの? ごめんね」
「嫌いでもないですけど、自分にチャンスを掴む能力が欠けていたのかがずっと心残りでもあるし・・・」うまくその気持ちを言えない自分をもどかしく感じていた。
「でも、まだまだこれからだし」と言って、その女性はにっこりと笑った。


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