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拒絶の歴史(81)

2010年06月22日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(81)

 ぼくは高校時代の友人の家に電話をかけた。彼に取り次いだのはそこの家のまだ小さな子どもだった。彼はたどたどしい言葉でぼくの名前を告げ、その父親と電話をかわった。

「ごめんね、いつもあいつが電話に出たがるもんで」彼は子どもの対応を詫びていた。
「気にしてないよ。それより、今日代わりに練習に出てくれてありがとう」
「いや、こっちこそ楽しかったよ。やっぱり集団で身体を動かすって楽しいよな」
「だったら、もう少しだけ回数を増やしてみないか? ぼくも、ちょっと他のことで忙しくなってきたし、また勉強もそろそろ本腰をいれないといけない時期にもなってきた」
「そうだよな。まだ学生だもんな」
「ごめん、社会人だって当然のように忙しいよな。だけど、たまには身体を動かしたって、デメリットなんかないと思うけど」

「うん、嫁と相談してみるよ」ぼくは、その言葉にちょっとだけ愕然としている。自分の未来を切り開くのに誰かに相談しなければならない事実などぼくにはまだなかった。そのぐらい自分が子どもであるということに驚いたのであろうか? もしくは羨望だろうか?
「まあ、その気になったら連絡くれよ。ぼくより本格的にサッカーに関わってきた時間も長いし、でも、ぼくもあの子どもたちとの時間をきっぱりなくす情の無さもさらさらないんだけど」

「うん、考えてみるよ」その口調には前向きな何かがあった。それから、シャワーを浴びビールを再び空けて、簡単な料理をつくった。食べ終わった皿を流しに運び、そのままゆっくりしてビデオを見ていると、また電話がかかってきた。何人かのことを頭に浮かべ、さきほどの返事がもうもらえるのかとも少しだけ考えていた。しかし声の持ち主は女性だった。
「さっきうちの子に会ったんだって?」
「うん、いつまでも練習を続ける様子だった」
「今日、なんか用事があったんだ? 練習に顔を見せなかったので」

「でも、別のひとが行ったでしょう? 彼、学生時代優秀なプレーヤーだったんだよ」
「子どもって、けっこう人見知りするじゃない? いくら上手くたって、いつものひとがいいものなのよ」

 ぼくは、そのことを考え自分の幼少時代に思いを馳せた。やはり、そのことは事実のようだった。ぼくらはいつもの方法や、いつもの仕方が好きなものだった。そこからずれていくものに怯えていた。段々と成長するにつれ、意外なことが起こってしまっても対処できるようになったが、子どものころには親の陰に隠れてしまえば済むようなこともたくさんあったしそれを経験した。

「また、来週には会えると思うよ、いつものお兄さんに」
「もう、わたしは、そこでしか会えなくなると思う」
「どうしたの? 急に?」
「主人の転勤が決まって、またこちらに戻ってくることになった」
「じゃあ、それ以外では会えなくなるんだ?」
「淋しい?」
「それは、もちろんだよ」
「でも、すぐ忘れちゃうでしょう?」

「そんなことないよ」ぼくらは、数年にわたり秘密の関係を築いていた。その終わりはいとも簡単にこのように訪れるとは思ってもいなかった。

「ごめん、あの子がお風呂から出てくるみたい。いままで、いろいろありがとう。じゃあ」と言って、唐突に電話は切れた。ぼくは喪失感を覚えている。それは自分にとって都合の良い能書きだったかもしれないが、失ったものがあるというのもまた両面から見れば事実だった。

 こうして始まるものもあるし、終わり行くものもあった。また、当然のように途中のものは数え切れないほど山ほどあった。その途中に置き去りにされているものを自分はとてつもなく愛おしく感じていた。それはどこにも行ってはいけなかった。ただ、そこにあるだけで正しいものもあるのだ。しかし、この日はぼくにとって象徴的な一日だったかもしれない。手から漏れていくものがあり、手に入れたばかりのものがあった。昔にさかのぼって友情がいくらか違った形で復活していくときでもあった。変化しないものなどないと今の自分はしっているが、その当時の自分はまだ受け入れられず、それに両手でしがみついていたのかもしれない。