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Untrue Love(117)

2013年02月23日 | Untrue Love
Untrue Love(117)

 期間があまりにも開き過ぎてしまったので、仕事帰りにユミと会うことになった。何も変わっていないと思っていたが、待ち合わせの場所に小走りにやってくるユミの自然な姿を見て、ぼくの姿や格好は、社会に組み込まれた人間のように映った。制服をまとった自分は、個人というより企業の利益が優先されるのだ。

 ぼくらは店に入って夕飯を食べる。

「給料、もらったんだ。それに、髪も切ったんだ」彼女は逃げ出してしまったペットを見るような目付きで、ぼくの頭部を眺めた。「でも、いいよ。一度、離れて、また、あのひとが良かったなと思えば、戻ればいいんだから」
「何か、重大な真理についてのことを知ってる口調だね」
「だって、そうじゃない?」
「そうだよ」ぼくは自分のことは棚に置き、世の中はそうは簡単に行かないものだとも思っていた。咲子と早間はいずれ別れるのだろう。この瞬間にもその岐路は訪れているのかもしれない。また、免れて先延ばしにされたかもしれなかった。しかし、戻りたければ戻ればいいという段階が、悠然と待ってくれているとは考えにくい。機会を逃したものは、ただ、歯噛みをしながら後悔をひとしれずするべきなのだった。

「理由を言うとね」と、ぼくは髪の問題に話を移した。それは、こうだ。外回りに先輩に連れて行かれる前日、ぼくの伸び過ぎた髪を彼は不快に感じ、「金がないなら、立て替えてやるよ」と言って札入れを出す仕草まで先輩はした。それで、会社のそばにある店に飛び込みで入って、ひとが不快にならない程度に切ってもらった。そういう経緯があったのだ。
「なんだ、それなら、やっぱりわたしの腕の確かさに戻ってくる余地がたくさんあるんじゃない」と、誇らしげに彼女は言った。「でもね、こうして会う関係だけでも、もちろん、満足してるよ」とも、付け加えた。返事や同意を要求する顔もしたが、ぼくは、自分の髪型を彼女はどのぐらいに採点しているのかが気になった。

 ぼくらは春の夜の町を歩く。仕事というものが普段の自分の脳を占有する度合いをまったく知らなかった自分が帰って来る。ぼくは陽気な彼女に伝染される。だが、それもわざと演じているような自分自身への偽りの気持ちもあった。すべてに対してしっくりこなかったものが、彼女の一部を遠ざける結果にもなった。

「わたし、明日休みなんだ。前みたいに家に行ってもいい?」
「いいけど、ぼく、明日早いよ」
「朝、いっしょに出るよ」

 ビールとつまみを途中の店で買って、家に着いた。ぼくはスーツをハンガーにかけ、シャワーを浴びた。そこから出てタオルで身体を拭いていると、案の定、彼女は机のうえの写真立てを発見していた。
「このひとたちは?」
「咲子がバイトしてたところ」正直に言ったが、すべての情報を開示したわけでもない。「辞めるから、ぼくも行ったんだろう」
「お店のひとなのかな、服が違うよ」それは別の日であるという意味だ。「まだ、ここ、あるの? 咲子ちゃんが辞めたけど・・・」
「あるよ。その大柄な男性が、女性に興味のないひと」
「今度、いっしょに行かない?」
「そうだね」彼女たちの軌道は違っているので、ぶつかる可能性は皆無なのだとぼくは単純に信じていた。「シャワーでも浴びたら、疲れただろう?」
「そうする」

 彼女が居ない間に写真を隠してもわざとらしいので、ぼくは一度手に取り、またそれを元の場所に戻した。でも、やましいところもないし、疑われる情報もそこからだけでは汲み取れなかった。だが、ぼくは状況を客観的に判断できる才能もない。しらみつぶしに見れば、微小な証拠の品の採取ができ、犯人に仕立て上げるのも簡単だろう。

 ビールを飲みはじめる。ユミはぼくの服を着た。ぼくと会わない間に、彼女は誰かと会ったりしなかったのだろうか? 疑問があれば訊ねればいい。独占したければ、宣言すればよかっただけだ。だが、そうはしない。ぼくらはビールの軽い酔いの力によって、ボーダーラインを消していく。この状態はベストではないが、悪い要素は決して含まれていない。底に澱みはもしかしたらあるのかもしれないが、強く、より強引に掻き回さなければ濁りは表面に浮かんでこない。こうしたためらいなのか不誠実なのか分からないが耐えられないほどに思うほどには、澱みもないのかもしれない。

 ぼくらは、すべてを忘れる力があることを信じてお互いに強く抱き合った。言葉にしないものの代わりに身体を用いた。ぼくは企業の利益など心中になく、ただ自分の利益だけを優先させる存在だった。その結果のユミの顔も見ることができた。輝けるひととき。春の夜。そして、夜中。

 翌朝、ぼくらは駅に向かっている。彼女の今日の一日はどうなるのだろう。前なら、一日を無駄にしたとも思わずにいっしょに過ごした。時間という計量の目盛りは変わっていないが、体内のものは手抜きの利かない会社での生活に乗っ取られ、水没してしまっているようだ。その分、増量時の川の水位のように橋げたを埋め尽くそうとしていた。駅で、反対側の電車に乗り込むため、ぼくらは改札を通過したところで別れた。ぼくの顔は備え付けの鏡に一瞬だけ写った。それは、どこか険しい顔をしていた。振り返っても、ユミはもういない。彼女といる間も、この表情をもし浮かべていたとしたら、それは可哀想なことをしたなといささかの後悔を感じた。それも、もっともっと短い一瞬のことだった。


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