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爪の先まで神経細やか

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Untrue Love(116)

2013年02月22日 | Untrue Love
Untrue Love(116)

 バイト先で咲子の忘れ物が残っているというので、いつみさんに手渡された。もう出向かない場所にも自分がいた痕跡があるのだ。風化する前の段階では、本人に戻る。博物館に陳列されているものたちには引き取る相手がいない。ガラクタでもないので、それらは第三者の目を奪う価値がたとえあったとしても。

 ぼくはいつみさんと会う約束があったので、咲子に連絡をとる手間を省き、ぼくに手っ取り早く頼む方法を彼女は選んだ。
「それで、何ですか?」
「お皿でも洗うときに外したのかな、華奢な指輪。あそこで指輪を外してお皿を洗うのは、わたしか、咲子ちゃんだけ。それに、このようにわたしはあまりしないから」

 いつみさんは指を空中に捧げた。爪も短く、指輪もなし。飾り気を除外しても、それは女性以外の何物でもないような繊細な指だった。
「そのうち、大きなものをはめますよ」
「ひとを殴るときにつかえるように」彼女は大口を開けて笑った。

 ぼくはポケットにティッシュでくるんだ指輪を放り込んだ。しかし、もしそれが大事なものであれば、そう簡単に忘れてしまうようなものなのだろうか。そこには意思や決意があるようにも思えた。敢えて、どこかに置いて来ようとしたのか。それとも、無意識の領域で、その物体を自分とは遠くに置きたがったのだろうか。ぼくは、多分、考えすぎているのだろう。咲子に手渡せば、ただ受け取り、「あそこに忘れてたんだ」と、ほっとした安堵の表情を浮かべる。そして、また指にはめる。それで完結する問題なのだ。

 ぼくは、いつみさんと話しながらもポケットのなかを意識している。自分で買ったものなのだろうか。それとも、誰かから貰ったものだろうか。くれるのは、早間からで、何かの記念にプレゼントされたのだろうか。だが、ぼくはそのもの自体が高価なのか、安っぽいものであるのかも分からない。ポケットに無雑作に入れるのをいつみさんが止めなかったので、それなりの値段なのだろう。しかし、彼女も普段から身近なものとして扱ってこないのであれば、価値を把握するのも難しいのだろう。ぼくはポケットの無機質なものが感情をもっているかのようにこころなしか恐れていた。

 そして、もう一度、ポケットから取り出し、中味を確認した。光線にあたり、かすかに輝いている。

「これって、どれぐらいの値段なんですかね?」と、つい口走った。
「質屋にでも売るつもり?」
「まさか。途中で失くしたら弁償できるぐらいの値段かどうか知りたかっただけ」
「じゃあ、帰りまで持っててやるよ。値段というか、思い出が含まれた値段もあるしね」
「プレゼントだと思う?」ぼくは、いつみさんに戻した。彼女はバッグにしまった。

「プレゼントって、定義だけどね」彼女はコーヒーを飲みながら、少し難しいことを考えているような表情をした。「こっそり買って、あっと驚かすように差し出すのもプレゼントだし、いっしょに買いに行って、ああでもない、こうでもないと言いながら店頭で選んで、男性が最終的にお金を払うのもプレゼントでしょう?」と言った。そのためにぼくは求めていた答えを導けなかった。
「いつみさんは、どっちが好き?」
「どっちだろう? 敬語、やめてくれたんだ。ありがとう」と、また本題からずれた。
「やめてないですよ」
「やめてたよ、さっきから、ずっと」
「そうですかね、先輩はずっと敬うようにしてたのに」

 いつみさんは、笑いながらも難しい顔はくずさずにいた。眉間には細いしわが寄っていた。それは日中に会っている証拠だとぼくには感じられただけだった。外は五月の陽気で、ここちよい光が窓のそとに見えている。
「いつか、わたしにも買ってくれるひとができるかな?」
「できますよ。ぼくも、買いますよ」
「また、敬語口調にわざと戻してるよ、順平くん」
「買ってやるよ。これで、いいですか?」
「それで、いい。ばっちり」と言いながらいつみさんは大きく頷いた。

 ぼくらはそれから外を歩いた。中古のカメラ屋のショー・ウインドウがあって、となりには時計の同じものを扱う店もあった。
「こういう誰が使ったものか分からないものに抵抗があるひとっているけど、順平くんはどっち?」
「大丈夫ですね。気にもならない。どうですか?」
「わたし、少しダメなんだ」
「新品じゃないとダメ?」

「それほどまで、潔癖じゃないけど、そうだよ、きれい汚いの話じゃなくて、大げさに言えば怨念みたいなものがありそうで」
「オカルトですね」
「違うよ。誰かが大事にしてきたものって、何だか、やっぱり気持ちが入って、詰まってそうじゃない」
「物にも記憶がある?」
「そう。年輪みたいなものがね」

 ぼくも十年前なら、このようにあごにひげなど生えなかった。いつみさんの顔も、もちろん十年前とは違うだろう。眉間にしわなどもなく、無傷のままの指先の持ち主だったはずだ。仕事がらか生活の一部としてか、その指に包丁やナイフが傷をのこす。揚げ物のやけど痕がつく。少し経てば消えるものもあり、永久に居場所を見つけることもあるのだ。それを確認しつづけることが男女の健全な営みのように思えた。ぼくはいつみさんに指輪を買うという仮の約束をした。その代償として、二年後や三年後の彼女のささいな変化をも見つけ、正当に知るチャンスができる。幸運なら、もっと長期に渡る期間に移行するかもしれない。ぼくの大事にしようと思う気持ちは、彼女にいくらかの刻みや切り込みをつけるのだろうか? 表層的な花の開花のように直かにあらわれるのではなく、もっと深い部分にも根を張りめぐらすことは可能なのだろうか。もし、そうだとしたら、ぼくはそれを選びたいとも思う。


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