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Untrue Love(125)

2013年03月13日 | Untrue Love
Untrue Love(125)

「雨に濡れなかった?」と待ち合わせの店の奥にすわって待っていた紗枝が訊いた。ぼくは即答はせずに壁の時計を見た。待ち合わせの時間から一分ほどが過ぎていた。その時計が正確に調整されているならば。

「大丈夫かな。早く来てたの?」と言うぼくの眉には雨粒の感触があった。
「着いたばかりだよ。どうぞ」彼女は左手で座席をすすめる。

 彼女の考えとしては男性は必ず前にいて、女性を迎えるべきだと決めていた。もうこの時点で落第だ。だが、ぼくは彼女に良いところをアピールする立場にいない。いままでも今後も、まったく。
「遅れて悪いね」それでも、気持ちの入らない侘びだけは述べた。彼女は、それについてのコメントもない。
「仕事、もうなれた?」
「そこそこね」
「いつも、会社にへばりついているの?」
「そうでもないよ。いろいろ外回りもしている。紗枝は?」
「会社にずっといる、ガラスの窓から外をみるぐらい。でも、爽快。高い建物だから。やっぱり、身体を動かしてる方が楽?」
「そうだね。戻れば、否応なく頭もつかうから」
「お客さんの前でもでしょう。それでも、大人の顔になったよ。わたしは、どう?」

「社会人の顔。OL」
「彼女、できた?」
「さあ」
「いるといえば、いるし、いないといえば、いない」
「そういうところだね。紗枝はつづいているの?」彼女は大学の最後の年に新たな恋をはじめていた。
「ああ、あのひとはダメだった。いまは、別のひとがいる」
「そう、うらやましいね」
「でも、本心ではうらやましそうとも思っていないのが、表情から分かるよ」

「そうでもないよ」そう言って、ぼくは旅行の雑誌を立ち読みしたことを伝えた。どこかに、永遠の思い出となるような場所があるかもしれないと感じていた。恋が終わろうが、永久に関係がつづこうが、その場所を思い浮かべる度に、自分の輝けるあの日がよみがえってくるような場所。ぼくは、そこに誰かと行きたいと説明していた。紗枝は、黙って聞いている。
「お客さん、ご予算は?」と最後にまぜっかえして笑った。

 ぼくらはお小遣いではなく自分で稼いだお金でお酒を飲んだ。少なくとも紗枝はそうだった。ぼくはバイトをきちんと休まずしていたが、紗枝はそうでもない。継続して働くことに時間を費やす必要もない環境だった。だから、いまの彼女が新鮮にうつった。

「暇な土日なんだ?」
「そうかもね。昨日、アパートまで帰るのが面倒くさくなって実家に泊まったんだ。それで、今朝、部屋に戻って洗濯してたら、電話がかかってきた。今日も明日も実際のところ暇だったから助かったよ。紗枝は?」
「いつも忙しくしてる。でも、ふと順平の顔を見てもいいかなと思ったから」
「虫のしらせ」
「そういうの気味悪いよ」
「1月か、2月に働いてから会うって約束したような覚えもある」
「約束ってほど重いものじゃないけど、覚えてる。何か大事な用があったんだっけ?」
「思い出せない」

「わたしも思い出せないな」彼女は首を傾げた。そうすると、以前の幼稚っぽい彼女が戻ってくるようだった。いつみさんもユミも木下さんもそのようなことはしないとぼくは互いの仕草を照らし合わせていた。ひとによって、より好ましい表情があり、突き詰めれば癖とも呼べるような素振りだった。「あれから、誰かと会った?」
「特にはいないね。時間もなくなってしまったし」
「言い訳がましいセリフを口に出してばっかりいると、つまらないおじさんになるよ」
「怖いね」ぼくは奥から聞こえる歓声の方に顔を向けた。学生らしきひとたちが騒いでいるのだろう。ぼくはあちらにもう戻れない。かといって、ゴールも分からないし、つまらないおじさんにもなりたくはなかった。「紗枝だって、身繕いを忘れたら、急になるよ」

「何に?」
「男性の視線を自分に向けることができない女性に」
「ならないよ」
「なるよ」
「なる前に、格好良くてお金持ちを探しておくよ」
「そうしな。ぼくは両方、もってないけど」
「卑下したけど、そんなの嘘だと自分で思っている」
「思ってないよ。そうだ、紗枝は誰かと会ってる?」
「何人かの友だちと会って、ご飯を食べたり、買い物に行ったり」それから、複数の名前をあげた。その何人かの顔がなつかしく浮かび、何人かは思い出せなかった。そのうちの何人かは、はじめから知らないのだろう。「紹介して欲しくもない? きれいな子もいるのにね。ねえ、誰か、本気に好きなひとがいるんでしょう? どうして、言わないの」

 そのどうしてという意味が、自分になぜ言わないのかと対象を指すのか、どうして、その当人に言わないのかと理由を含んでいるのかの、どちらに重きが置かれた言葉か判断しかねた。しかし、追求する気もさせる気もなかった。どちらもしないのかもしれず、いつか、両方を一辺にするのかもしれない。
「紗枝に匹敵するほど可愛い子なら言いやすいけど」
「土日の休みぐらい、会ってもらったらいいじゃない」
「今度、そうするよ」
「そのときが来たら、わたしも呼んでね。先生が採点してあげる」

「うん」また歓声が聞こえた。酔いつぶれるまで飲まされたあの日々。木下さんと大人の雰囲気をもつ店にはじめて行った日。いつみさんと店以外ではじめていっしょに飲んだ日。それらの記憶がぼくの前に一直線上にあらわれた。数十年に一度の天体の奇跡のように、真っ直ぐと。しかし、紗枝のささやきにも似た声で我に戻る。
「あいつ、そういえば、順平の知り合いの子と別れたらしいよ」
「そうなんだ」紗枝があいつと言うのは早間のことだけだった。あまりにも密接な関係をおくった所為で、他人のときの名前を用いることができなくなってしまったのだろう。ぼくには、そういうひとがいるのか頭のなかで探した。「咲子、大丈夫かな。すると、よりを戻すことも可能になったわけだね。そうしたい?」
「バカみたい」と彼女は言ったが、本心かも分からないし、誰がバカと称されているのかも決め付けることができなかった。

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