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Untrue Love(128)

2013年03月16日 | Untrue Love
Untrue Love(128)

 ぼくは大事なシャツに誤って食べ物のソースのしみが付いてしまったかのように、その日の一日の流れを何度も細切れにして振り返った。どうやってもしみが取れないのは、もう知っていたのだが。

 先輩と仕事で少しはなれたところまで新たな顧客に会うために出掛けた。仕事は順調だったが、交通がダメな日だった。帰りの電車で、どこかの遠い駅での事故の影響により、波紋が広がるように外縁でぼくらは待たされつづけた。乗換駅まで来ると、今度は電気系統の問題があるとのことだった。先輩は電話をかけ、妻との約束を破ることを詫びた。結婚記念日が近いということで、この金曜にレストランを予約していたらしい。八時からということだったが、彼の身体がその時間にそこに行くことは不可能になっていた。

「こうした小さな積み重ねをしくじることが、後々、大きな問題になるんだよ。お前も、いつかの日のために覚えておくといいぞ」と、先輩は自嘲的に言った。そして、笑った。彼が小さなころ、野球でもしているときに三振した場面で監督や仲間たちに、チャンスを台無しにした自分を受け入れてもらえるようにこういう笑顔を見せたのだろうということが想像できる表情だった。それは、力の及ばないことにも直面しなければならないという戸惑いとの折衷だったかもしれない。

 ぼくも公衆電話の列に並び、実家に電話をかけた。神奈川の大きなターミナル駅まではたどり着けそうだったが、東京のアパートまでは行けそうにない。ぼくは意に反して二週もつづけて親の厄介になりそうだった。

「それなら、いま、咲子が家にいるから、彼女にね、迎えに行ってもらうようにするよ。車で」と母は行った。ぼくは親に詫びた。だが、こうした貸し借りは後々の大きな問題にはなり得ないだろう。すると、先輩と妻との関係は、やはり他人の延長のようにも思えた。それを非難できる資格もぼくはもっていない。いつか、十年後にでも、ぼくはやはり後輩とこのような立場に置かれたとしたら、そのときにはじめてきちんと理解できるのだろう。その日まで判断は棚上げだぞと、こころの奥の見えない何かに誓った。

 駅までいっしょに来て、そこで先輩と別れた。彼は乗り換えてあと数駅で家に着く。彼らの今夜が楽しいものになるよう、せめて最悪な時間にならないようぼくは祈った。彼は、とにかく憎めない人間なのだ。この日もぼくは一日、楽しい時間が過ごせた。ただ、交通だけがぼくらの気持ちをさまたげたのだ。

 雑踏するなかから逃れるように改札を抜け、少し離れたベンチにぼくは座った。道路も混んでいるように思えた。同じように迎えにくるひとも増えたのだろう。タクシー乗り場にも長蛇の列があった。

 ぼくは電話をした時間と、いままでの経過したものと、この混雑をミックスさせ、大体の咲子の到着時間を予想した。はっきりといえば、他にすることもなかった。別れたばかりの女性を慰めるという身分に自分は向いているのかどうかも考えた。そのような状況に日々、置かれることはない。誰も失恋ばかりして生活している訳ではないからだ。たまにしか起こらない。たまに来る災害のために両親は、倉庫の片隅に非常食などを備蓄したことがあったことを思い出した。父の仕事先から配給されたものだったろうか。賞味期限が来る前に食べたが、まずくて直ぐにやめてしまった。珍しいことというのは、それぐらい手に負えないものなのだろう。

 その当時のぼくは携帯電話も持っていない。ただ約束の場所に、約束の時間を信じながら居続けるしか方法がないのだ。ぼくは、タバコでも吸えたらいいなとか、雑誌でもカバンに入っていないかな、とかどうでもよいことを頭に浮かべた。タクシー待ちの列も減り、期待して来たタクシーの運転手は、お小遣いをなくした少年のように心細い顔をした。ぼくは限界を越えた。財布を見て、家までのタクシー代がもつかどうかを考え、結局はその侘しそうな運転手が行き過ぎる前に、手を上げて停めた。

「きょうは、散々な日でしたね」運転手は早速、そう声をかけてきた。彼がこの道路を何往復かしていつもより多い収入を得たであろうことが感じられた。たまにはこういう恵みがあっても罰があたらないだろうという感じだった。ぼくは返事をしながらも、なぜ咲子は来なかったのか心中でずっと考えていた。

 もし、来たらいっしょにファミリーレストランにでも寄って、夕飯をおごってもよいとも考えていた。しかし、ぼくの実家にいたからにはすでに済ませてしまったのかもしれない。それなら、少し高級なデザートを。彼女の恋は終わったのだから、甘いものをとって太らせてしまうのもぼくの責任にはならない。そんなことばかり想像していたら、空腹の合図が鳴った。運転手はそれを聞きとがめ笑った。それから、うまいラーメン屋の話をしてくれた。

 すれちがう車のなかに実家のものがないか無駄な視力をぼくはつかった。すべてを見られるわけではない。直きに家に着いた。料金を払うと、それほど残ってはいなかった。

 カギを開け家に入ると電気はついているがひとの気配がない。テーブルの上も、なにかをやりかけていたままの状況だった。ただ、テーブルに書き殴った父の字があった。癖があるな、とぼくは最後のしみのひとつであろうことを消せないでいた。

 咲子は車の事故に遭い、病院に搬送されたので、そこにお前も来い、という内容だった。ぼくはまたタクシーを拾い(国道に出るタイミングを失っていたさっきの運転手だった)、ぼくの様子が一変していることと行き先の名称で察しがついたのだろう一転して物静かな口調になった。

 咲子は寝ている。車は大破したと父が平衡を取るように物体のことを話した。せめて、この瞬間だけでも生身のことを忘れたいという願望の声だった。ぼくは、自分の若さがそこで同時に死んだことを知った。彼女が大学に入って東京での楽しみを伝えることを拒んだ自分は、あまりにも狭量だったと自分を憎んだ。さらに、この場面でぼくのずるい三重生活のための身代わりとして彼女は横たわっているのだと認識させられた。ぼくは終わらす努力をしなかったが、彼女がそれを引き換えに果たしたのだ。女性は大事にするものだと無言でプラカードを胸にのせ。

 ぼくから見れば、これは自殺でもあり、ぼくのための犠牲の捧げ物だった。早間から見れば、事故以外の何物でもないだろう。当然、遺書もない。ぼくが駅まで迎えに来てもらうようにしていた途中での事故だったぐらいだから。最後まで、彼は姿を見せなかった。彼女を送る儀式にも彼はどこにもいなかった。彼女はあの小川が見えるきれいな場所で生息することだけに向いている小鳥のようなものだったのだろうか。ぼくは、いつまでも早間を探し、探しつかれて、そう結論に到った。

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