爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

仮の包装(23)

2017年03月11日 | 仮の包装
仮の包装(23)

 ぼくは海辺のホテルで働きはじめていた。結婚するにはまだ若過ぎる年齢だ。このホテルで祝われる第一号になるという夢は簡単には実現しない。直ぐには叶わない。ぼくは披露宴の真新しい看板の名前を見ている。ぼくのでもなく、ももこのでもない。もし片方があったら逆に困るだろうが。

 ぼくには寮があった。食事も用意されているが味に飽きるとももこの家に向かった。新鮮な魚があり、酒も豊富にあった。結局、ぼくは同じ場所にいる。風雨にさらされた民宿ではなく、きれいな最先端のホテルに変わっただけだ。ぼくの内面は変わらない。

 外部は変わる。ぼくはローンで中古車を買った。駐車場はももこのところで格安で借りている。たまにドライブにも行く。ももこが運転することもあった。彼女は日々の労働でためたストレスを発散できるといった。そして、車内におかしなぬいぐるみが増える。ゲーム・センターで引っ張り上げられたものもある。彼らの安眠の場所から連れ去る。彼らも透明な囲いに別れを告げ、たまには違った景色を見られてよろこんでいるかもしれない。

 ぼくらは同じ経験をする。ある日、ぼくらはぼくの生まれ故郷まで足を伸ばした。実家にも寄る。両親はももこのことを気に入ったらしい。母はいらなくなったアクセサリーをいくつかももこにプレゼントした。それはクラシックと呼べそうな、またある面では骨董品のように古びていたが、彼女は裏表なくよろこんでいた。

「あそこで育ったんだ?」
「海沿いの町で、太陽を浴びながら育ちたかったな」
「スキーもした?」
「したよ。雪下ろしも。メルヘンじゃない現実で」ぼくは故郷をわざと悪く言おうと努めたが、実際は、ただなつかしかった。

「何年かに一遍は行けるかな?」それは未来に対しての約束だった。ぼくらは互いに離れるということが分からなくなってしまったらしい。選択の期間は終えていた。野球少年がいまさらサッカー少年としてのスタートを切れないのと同じことだ。時間が解決するというが、過ごした時間がなにかを決定するのだ。時には小さく細切れに奪いながらも。

 帰りはぼくが運転している。その行為や道のりを帰るという風に考えていた。ぼくの町。あの海沿いの景色。古い民宿。タイルが剥がれた風呂場。女主人のため息。早朝のご飯の炊ける香ばしい匂い。

「いつか田舎に住みたい?」
「まったく。だってぼくが好きな町はあそこだけだから」太陽と潮風。船と漁師たち。カモメと野良猫。

「そう」ももこはしばらく沈黙する。暗くなってなにも見えない窓の外を見ている。「コーヒーでも買おうか、眠そうだから。あともう少し時間、かかるよね?」
「どっかで停めるね」

 両親はいつか、ぼくの働いているホテルに来なければならなくなる。快適なベッドで寝て、花嫁を見る。花婿になった息子を受け入れる。たどたどしい神父の日本語の返事にもらい泣きをするかもしれない。ぼくは未来をつくれるのだ。そのささやかな第一段階がコーヒーを買うという単純なことで示せるのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿