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仮の包装(22)

2017年03月04日 | 仮の包装
仮の包装(22)

 週が月になり、また週が重なり月に加算される。仕事の段取りも覚える。先輩からこっそり技を盗み、自分に役立てていた。相変わらずトレーナーから名前で呼ばれることはないが、注意は減った。自分の頭で判断できる範囲も拡大されるようになり、咄嗟の対応にも苦慮することはない。取り敢えず、バンカーからは出さないといけないのだ。

 宴会でつかうものの仕入れを任される。ぼくは以前の仕事で発注ミスをして上司が方々に謝った経験がある。あの体験の再現だけはごめんだった。ぼくは繰り返し確認して、他人の目も借りた。チェックも度が過ぎれば遅延につながる。スピード違反も困る。世の中はタイミングがすべてのようだ。

「だいぶ、なれてきたな?」と支配人が言う。質問のようでもあり、同意を促すためだけのことばのようでもあった。

「それなりにですけど、まだまだです」

「謙虚も覚えたし」彼は笑って歩き去る。いったい、陰でどのような責任ある仕事をしているのか分からない。競馬の順位を予想するような気安さで、あるいは真剣さで仕事をしている。見習うべき点だろう。がむしゃらな失敗もあるし、軽やかな成功もある。ぼくは答えのない質問を自分に投じ、あれこれ考えるのが楽しくなっていた。

 休みがまた来る。ぼくは電車に乗っている。自分の車がもてるようになるのはいつのことだろう?

「免許、取ったよ」とももこが誇らしげに言う。手には四角いものがある。「写真映りもまあまあだし」
「どれどれ」ぼくはのぞきこむ。すました顔の若い女性がいる。「ほんとだ」
「わたしからも会いに行けるよ」
「遠いよ、危ないし」
「行っちゃ、ダメ?」

「そんなことないけど。でも、あと三か月ぐらいでこっちに戻ってくるよ」
「一度、どんな所か見に行ってみたいし」

 ホテルはもう建っていた。周囲の芝生や樹木を植えたり手入れしたりする段階になっている。会社が借りていたアパートは無事に役目を終え、また新たな住人に貸していた。ぼくはももこの家の隣にある倉庫のような場所で寝た。寝袋もあり、そこから波の音も聞こえる。

 翌朝といっても明ける前に、ももこの父の船に早起きして同乗した。波は穏やかだった。

「あんなところに寝てもらって悪いな」
「大丈夫ですよ。ぐっすり寝ましたから」
「ももこと一緒になるのか?」
「おそらく」

「父親としては頼りないことばだな」
「そうですね」ぼくは笑う。彼もまた快活に笑った。大漁の日のように。
「こっちも完璧な女性に育てたとは胸を張って言えないもどかしさもあるしな」
「そんなことないですよ」
「あばたもえくぼ」

 ぼくはそれを魚の名前の一種類のように聞いた。

 朝の海は素敵だった。さわやかな風が頬を撫でる。ぼくは可能性が広がるのを感じる。詩人にも、海だけを舞台にする映画監督にでも、なんにでもなれそうだった。錯覚というのはとても気持ちのいいものだった。早起きという休日のなけなしのご褒美の睡眠を代償にしたとしても。



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