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仮の包装(18)

2017年02月26日 | 仮の包装
仮の包装(18)

 最後の日になった。夕飯も終わり、浴室も掃除する。丹念に洗っても、お客はもう来ない。女主人はあと一月ほどのこる。ぼくは荷物を周到にまとめているが、あと数日は猶予があった。

「ももこちゃんにも会えなくなるのね?」
「たまには、帰ってきますけど」
「帰ってくると表現できるのね、さすが」

 ぼくは最後の給料で、ましなスーツを買った。以前のものは実家にある。一度、もどって会社員に必要なものを探さなければいけないだろう。替えの靴とか、数本の予備のネクタイとか。だが、制服もあるのだ。自分の自由は目減りする。それにしても、自由なんてウエストのサイズと同じで適度な頃合いがあるのだろう。

 朝、民宿の玄関をていねいに箒で掃く。自分がここの門をくぐったのはどれぐらい前だったのだろう。その後、植木に水を撒く。きれいさっぱりとなくなるのに無意味だと思いつつも、それだからこそかえって行いが貴く思えた。

「もうそれぐらいにしたら」

 縁側で女主人が言う。身体から生気のようなものが抜けつつある感じがした。ぼくはそれから、大きな布袋で代用している財布兼用メモ帳入れのようなものを手に、お得意先を駆け足で回る。つけで買ったものをきちんと清算して、お皿やたまってしまった品々を返す。この場に相応しいのかどうかも分からないが贈答用のタオルも渡す。それは正直にいえばぼくの役目ではないのかもしれないが、主人に任せるわけにもいかなかったのだ。彼女はこの地上から徐々に離れてしまうようにも映った。

「全部、済みました」
「ありがとう。その自転車、どうしようかしらね?」
「だいぶ、骨董品だけど、値はつかなそうですね」
「わたしと同じ」
「またまた」

 ぼくは屈んでその自転車をきれいにした。そして、手がその分だけ汚れた。この汚れも勲章なのだ、生きた証なのだと大げさに考える。

 ぼくは部屋にもどり、ももこが働いている信用金庫の通帳の残高を寝転がって眺めた。数字が示すものはわずかだった。高校生のバイト代程度だ。そして、壁にかかっている新しいスーツを見た。ひとは、衣服の質で判断される。ぼくは古びたバッグのなかも調べる。ここがスタートであり、自分のなにかのゴールにもなっていることを知っている。知っていたからといって賢くなる類いのものでもないことがあるのをバッグの中身で教わる。

 ぼくは立って、大きな時計を見つめる。民宿の部屋毎に時計があった。ぼくは明日、古道具屋を呼ぼうと考える。いくらかだが女主人の足しになるかもしれず、ならなければこのまま跡地に埋めてしまいたいとも思っていた。数百年後の人類が時計の群れをどう分類するのか、ぼくは予想する。その頃には、教会で結婚するひとは増えているのだろうか、それとも、減っているのだろうか、調査の基準もないまま考えていた。しかし、ホテルの建設時にあっさりと掘り起こされてしまうだろう。力ないものの虚偽や隠ぺいのように。白昼にさらされて。



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