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Untrue Love(126)

2013年03月14日 | Untrue Love
Untrue Love(126)

 昨夜は遅くまで紗枝と店にいた。寝不足を解消しようという意図もなかったが、目を覚ますと、もう日曜の半分は終わろうとしている。外は予想通り雨だったので惜しいという感覚もなかった。冷蔵庫のなかにある帰宅途中に買ったスポーツドリンクで眠気と渇きを振り払おうとしたが、なかなか難しかった。瞬時には物事は変わらないようだ。椅子のうえには脱ぎっぱなしの服が散らかっていた。ぼくは靴下を取り上げ、洗濯機のなかに入れようと放り投げたが、壁との狭い隙間に落ちてしまった。ぶつくさ言いながら拾い上げようとしたが、声自体がうまく出ず、のどの奥がからまっていた。それで、また飲み物をのどに流し込んだ。

 紗枝は多少、大人になり、早間の恋は終わった。ぼくに報告する義務もないが、知らないことに対してどこかに腹立たしさを感じていた。だが、知っていたとしても、どう変化するものでもない。別れるのを引き止める努力もしないだろうし、別れて正解だとも思っていなかった。ただ、紗枝が先に知っており、その情報を彼女の口からもたらされて驚いた自分に少しだけ抵抗があったのだろう。ある種の関係に無頓着になっているまぎれもない証明として。

 紗枝は誰を通して知りえたのかは教えてはくれなかった。無口な咲子がぼくに相談するわけもない。もしかしたら、髪を切りながらでもユミにだけは話しているかもしれない。だが、あさるような真似をぼくはしたくなかった。そして、この日曜の気だるい午後の真っ只中にいる自分は、それ以外のことも一切したくなかった。食指が動かないとはこのような状態を指すのかと、まだぼんやりと寝転びながら思っていた。

 テレビをつけて再放送の番組を見た。もし、自分にもこのように同じことをもう一度することができるとしたら、楽しいままの状態が保てるのか、それとも、直ぐに飽きてチャンネルを変えてしまうのか考えてみたが、答えはない。自分はしなかったことを恥じ、してしまって後悔を抱え込んでいるものもあった。いつみさんと土手でキャッチ・ボールをしたときの場面を是非とも再現したかった。それは不可能ではない。だが、降るのを忘れない雨がその考えを押さえ込ませた。

 木下さんと映画を見て、ささやかな幸せに浸かることも考える。物語は重要ではない。かえって映画はつまらなければつまらない程いいのだ。ふたりであきれ、その監督の才能のなさを笑い転げながら話す。いったい、何を訴えかけようとしていたのか? それでも、見所だったものを見つけあう。「あのポストの形、可愛かったね」と彼女が言い、ぼくは空に舞っている凧揚げの情景と自分の思い出を彼女に伝える。重力を意に介さず空中に飛ぶまで、誰かが後方でいっしょに走りながら持っていてくれる。支えるという、あれは美しい形なのだ。ぼくは、木下さんがそれを無心にしてくれる様子を想像する。

 ユミと洋服屋が並んでいる細い小道を歩くことも楽しそうだ。彼女は突飛なものと突飛なものを重ねて自然さに到る。それが彼女だった。彼女といつか南国のどこかのきれいな海のなかで不可思議な色の小魚を見ることを想像する。グレーとか沈んだ色はこの世界にはない。真っ赤なハイビスカスが外にあって、その横をぼんやりと歩く。その未来も望むもののひとつだった。

 ぼくには過ぎ去ったいくつもの美しい出来事があり、まだ見ぬ未来の甘い予感があった。咲子は、どのような過去を早間と作ったのだろう。それは、思い出すに値するものだろうか。もう、反対側の未来はきれいに費えた。物語は終わるようにできており、ガソリンのない車のようにいつか止まる。ドアを開け、その車を置き去りにする。運転席に誰もいない車を別の誰かが必要とするかもしれず、自分も道路に立ってヒッチハイクでもして目的地に向かわなければならない。

 気付くと、ベッドの上でもう一度、眠ってしまっていたようだ。テレビは夕方のゴルフに変わっていた。外の雨もまだ止んでいない。さすがに空腹をおぼえ、ぼくはストックしてあったレトルトの食品を棚のなかで見比べた。

 テーブルの上で頬杖をつき、食べ終わった食器を片付けないままテレビを見つづけていた。明日からまた働けばいまのぼくを占有しているこの考えも閉め出されてしまうだろう。紗枝と会った週末のことも遠くに感じ、早間と咲子の終わった恋のことをもう思い出さないかもしれない。ぼくは、また夏の旅行のことも考えた。ユミと、やはり南の方に行って、美しい景色や海中のなかさえも見ることがプランとしては最上のことに思えた。来週あたり、気が変わらないうちに電話でもしようと計画を立てる。彼女は喜ぶだろうか。それとも、他に予定があるので断る結果になるのだろうか。休みは簡単に取れないと言って計画が頓挫してしまうだろうか。それでも、この日曜に起こった唯一の前向きな考えをぼくは無駄にはしたくなかった。それを遮るものも、ぼくから奪い取ってしまうものも、この日曜の空気のどこにもなかったのでぼくは安心して、想像をふくらませた。

 一日、電話もならなかった。たずねてくるひともいなかった。会話らしい会話をぼくはしないまま一日を終えようとしていた。すると、自分の声というものがどういう類いのものであったのか忘れかけた。それで、試しにユミに電話をかけた。しかし、電子的なコール音を繰り返すばかりで、ぼくは自分の声を認めることができなかった。


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