Untrue Love(127)
水曜の夜に電話があった。電話の声は早間のものだった。彼がこの番号を忘れていなかったことに、ささやかながら驚いていた。それに、彼がかけてきた目的が分かるような気がしたが、あえて促すようにも仕向けなかった。ぼくは、まだ知らない立場を取っているのだ。
「最近どうだ? 仕事、なれた」
「まあまあだよ。でも、どれだけなれたかどうかも日によって変わってくる」と、ぼくはその日の気持ちをそのまま言った。
「そうだよな。分かったと思ったら、また、知らないことが待っているだもんな」
「早間でもそうなんだ」成績もよく、何事にも戸惑ったりしなかった彼も同じだった。「そうだ、この前、紗枝に会ったよ」
「紗枝か、なつかしいな。どう、あいつ、元気だった?」
彼にとっては、もう彼女は過去に所属する人間らしい。その範疇に咲子の存在も含まれて呑み込まれてしまうのも間近のようだった。
「うん、大人になっていた。どこと言っても困るけど、全体から放つ雰囲気がね」
「オレのこと、なんか言ってた?」
「とくには。新しい彼氏がいるとは言ってたけど」
「恋多きね・・・」
「早間もだろ」
「そうでもないよ。お前は?」
「きちんとした関係を築きたいと思っているけど、相手がどうかも、同じ風なのかも分からない」ぼくは、早間に対しても正直であろうと思っていた。しかし、正直になっていない部分も彼に対してだけでもなく、いろいろな場所と場面に多くあった。
「そうか、口にすれば済む話だと思うけどな。言って、うまくいくといいな」
「勇気がないんだろう、オレって」ぼくは、自分をそう把握していた。
「度胸とか、覚悟はオレ以上にあると思うけど」
「誰が?」
「順平がだよ」
だが、ぼくは新たなきちんとした道を整備する覚悟もなければ、古い線路をそのまま放ったらかしにしていた。そのうちに廃線になり、駅も廃れる。ひとがいてこその町であり、人間関係でもあった。
それから彼は自分の仕事の話をした。ぼくは友人たちが飛び込んだ社会がどういうものか比較するのにも材料が乏しく返答も窮した。ただ楽しい世界がありそうだと思いながらも、仕事なんかどっこいどっこいだともあきらめていた。ぼくはぼくの世界をただ美しくすればよいのだ。そのうちにその世界に、ひとりのきちんとした女性を呼び込む。そのひとりを多分、ぼくはすでに見つけているのだ。新たな道がないと感じながらも、やはり地道に舗装を整えようとしていた。いびつにならなければいい。限りなく平坦であればいい。早間や紗枝は、新たな土地を取得する勢いがあった。ぼくは土地だけはもう手に入れているのかもしれない。だが、三つの森に、それぞれ三つの稀にみる貴重な生き物がいた。誰かがブルドーザーで、そのうちの二つを破壊する準備をしている。エンジンはかかっているがドライバーはいない。黄色いヘルメットが座席にあり、それはぼくの頭のサイズにぴったりと合うようだった。だが、ぼくはそこに近付きもしない。咳き込むように大きく揺れる車体を止めるためにエンジンを切る働きかけもしない。そのまま、永遠に手を下さない限りガス欠になってくれそうもなかった。
「今度、じゃあ、オレの会社にも資料をもってきてみろよ」
ぼくが自分の仕事を話すと、彼はそう言った。もう自分に何らかの決定権があるような口調だった。彼らしいといえばそう言えたし、いずれ、そう遠くないうちにそうなる予感も含んでいるのだろう。ぼくは、その小さな縁さえも切らないように決意をしていた。咲子のことはこころよく思っていなくても、やはり、ぼくは会社員でもいなければならない。成功は甘いとも思っていなかったが、苦さをすすんで甘受するほど希望を捨てるには、まだまだ早過ぎた。
「そうだ、言い忘れてたけど、咲子と別れたんだ。聞いてたか?」
「ううん、いま、はじめて」ぼくは平然とうそをつく。見破られる心配もないだろう。また、互いが隠し通す問題でもないのだ。「あいつ、なんか、お前に失礼なことをしたとか、傷つけるようなことをしたのか?」ぼくは、咲子が絶対にそんなことはしないだろうと知りながら、意地悪くそう問いたずねた。
「そんなことまったくないよ。オレが全部、悪いんだよ」
ぼくは、こころのなかだけで、「そうだよ、お前がすべての責任をつくって、そこから、いつも軽い気持ちで逃げるんだよ」と怒鳴っていた。いや、違う、小さな重い声で叱責を加えていたのだ。「そんなことは、ないだろう。両者がいなければ、挨拶もできないし、恋もはじまらないし、別れも来ないんだから。一方的なものなんて、なにもないよ。中学生の美しい片思いだけで満足できる年頃でも身体でもないんだから」実際に電話を通じて話した言葉はそういうものだった。
「そうはいっても、こういう場合は男が悪いと決まっている」
「次はいるの?」
「まさか、いないよ」だが、きっともう明日にはデートの予定でもあるのだ。ぼくは彼を責めたいと思っている。だが、自分も似たような境遇にいるのだ。数人の女性の美しい部分だけを、ピンセットでつまむように採取しているだけなのだ。相手のすべてを受け入れることを望むほどの覚悟もせず、自分のすべてを押し付けて満足できるほど、愛を知ってもいなかった。その面では、早間も紗枝も正直という面から見れば、どう転んでも勝っていた。
「見つかるといいな、早間にも」
「あの子、傷ついていたらご免な。あんまり話さないと思うけど、なにかあったら慰めてあげておいてくれよ。オレは忘れないから、そうした恩を」と彼は最後に言った。ぼくは、時計を見て、それほど多くもないが家事をする時間があるかどうかを考えていた。
水曜の夜に電話があった。電話の声は早間のものだった。彼がこの番号を忘れていなかったことに、ささやかながら驚いていた。それに、彼がかけてきた目的が分かるような気がしたが、あえて促すようにも仕向けなかった。ぼくは、まだ知らない立場を取っているのだ。
「最近どうだ? 仕事、なれた」
「まあまあだよ。でも、どれだけなれたかどうかも日によって変わってくる」と、ぼくはその日の気持ちをそのまま言った。
「そうだよな。分かったと思ったら、また、知らないことが待っているだもんな」
「早間でもそうなんだ」成績もよく、何事にも戸惑ったりしなかった彼も同じだった。「そうだ、この前、紗枝に会ったよ」
「紗枝か、なつかしいな。どう、あいつ、元気だった?」
彼にとっては、もう彼女は過去に所属する人間らしい。その範疇に咲子の存在も含まれて呑み込まれてしまうのも間近のようだった。
「うん、大人になっていた。どこと言っても困るけど、全体から放つ雰囲気がね」
「オレのこと、なんか言ってた?」
「とくには。新しい彼氏がいるとは言ってたけど」
「恋多きね・・・」
「早間もだろ」
「そうでもないよ。お前は?」
「きちんとした関係を築きたいと思っているけど、相手がどうかも、同じ風なのかも分からない」ぼくは、早間に対しても正直であろうと思っていた。しかし、正直になっていない部分も彼に対してだけでもなく、いろいろな場所と場面に多くあった。
「そうか、口にすれば済む話だと思うけどな。言って、うまくいくといいな」
「勇気がないんだろう、オレって」ぼくは、自分をそう把握していた。
「度胸とか、覚悟はオレ以上にあると思うけど」
「誰が?」
「順平がだよ」
だが、ぼくは新たなきちんとした道を整備する覚悟もなければ、古い線路をそのまま放ったらかしにしていた。そのうちに廃線になり、駅も廃れる。ひとがいてこその町であり、人間関係でもあった。
それから彼は自分の仕事の話をした。ぼくは友人たちが飛び込んだ社会がどういうものか比較するのにも材料が乏しく返答も窮した。ただ楽しい世界がありそうだと思いながらも、仕事なんかどっこいどっこいだともあきらめていた。ぼくはぼくの世界をただ美しくすればよいのだ。そのうちにその世界に、ひとりのきちんとした女性を呼び込む。そのひとりを多分、ぼくはすでに見つけているのだ。新たな道がないと感じながらも、やはり地道に舗装を整えようとしていた。いびつにならなければいい。限りなく平坦であればいい。早間や紗枝は、新たな土地を取得する勢いがあった。ぼくは土地だけはもう手に入れているのかもしれない。だが、三つの森に、それぞれ三つの稀にみる貴重な生き物がいた。誰かがブルドーザーで、そのうちの二つを破壊する準備をしている。エンジンはかかっているがドライバーはいない。黄色いヘルメットが座席にあり、それはぼくの頭のサイズにぴったりと合うようだった。だが、ぼくはそこに近付きもしない。咳き込むように大きく揺れる車体を止めるためにエンジンを切る働きかけもしない。そのまま、永遠に手を下さない限りガス欠になってくれそうもなかった。
「今度、じゃあ、オレの会社にも資料をもってきてみろよ」
ぼくが自分の仕事を話すと、彼はそう言った。もう自分に何らかの決定権があるような口調だった。彼らしいといえばそう言えたし、いずれ、そう遠くないうちにそうなる予感も含んでいるのだろう。ぼくは、その小さな縁さえも切らないように決意をしていた。咲子のことはこころよく思っていなくても、やはり、ぼくは会社員でもいなければならない。成功は甘いとも思っていなかったが、苦さをすすんで甘受するほど希望を捨てるには、まだまだ早過ぎた。
「そうだ、言い忘れてたけど、咲子と別れたんだ。聞いてたか?」
「ううん、いま、はじめて」ぼくは平然とうそをつく。見破られる心配もないだろう。また、互いが隠し通す問題でもないのだ。「あいつ、なんか、お前に失礼なことをしたとか、傷つけるようなことをしたのか?」ぼくは、咲子が絶対にそんなことはしないだろうと知りながら、意地悪くそう問いたずねた。
「そんなことまったくないよ。オレが全部、悪いんだよ」
ぼくは、こころのなかだけで、「そうだよ、お前がすべての責任をつくって、そこから、いつも軽い気持ちで逃げるんだよ」と怒鳴っていた。いや、違う、小さな重い声で叱責を加えていたのだ。「そんなことは、ないだろう。両者がいなければ、挨拶もできないし、恋もはじまらないし、別れも来ないんだから。一方的なものなんて、なにもないよ。中学生の美しい片思いだけで満足できる年頃でも身体でもないんだから」実際に電話を通じて話した言葉はそういうものだった。
「そうはいっても、こういう場合は男が悪いと決まっている」
「次はいるの?」
「まさか、いないよ」だが、きっともう明日にはデートの予定でもあるのだ。ぼくは彼を責めたいと思っている。だが、自分も似たような境遇にいるのだ。数人の女性の美しい部分だけを、ピンセットでつまむように採取しているだけなのだ。相手のすべてを受け入れることを望むほどの覚悟もせず、自分のすべてを押し付けて満足できるほど、愛を知ってもいなかった。その面では、早間も紗枝も正直という面から見れば、どう転んでも勝っていた。
「見つかるといいな、早間にも」
「あの子、傷ついていたらご免な。あんまり話さないと思うけど、なにかあったら慰めてあげておいてくれよ。オレは忘れないから、そうした恩を」と彼は最後に言った。ぼくは、時計を見て、それほど多くもないが家事をする時間があるかどうかを考えていた。
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