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リマインドと想起の不一致(31)

2016年05月19日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(31)

 秋になってひじりは少し大人びる。服装にシックという要素が加わった。だが、話せば十六才の普通の少女に過ぎない。完全な大人の女性という姿をまだ手に入れていないし、ぼくも鑑賞していない。

 ここで彼女を失った。いや、ここで彼女を失うさきがけが生じた。

 大人というのは、手放しに魅力につながるものだ。匂いや、立ち居振る舞いに表れた時にこそ。

 サッカー選手のレギュラーも調子が悪ければ試合の途中で交代させられる。ぼくは自分の未熟さを正当化させる言い訳をさがしていた。言い訳や理屈は性能の良い接着剤のようにあとでいくらでもくっつけられるものだ。調子が悪いのも、バランスをくずしていたのも、決してひじりではなく、ぼく自身の側の問題だった。ひじりに非はない。ぼくはある年上の女性の誘惑に身を任せた。責められる要素があればこそ、いたく甘美な体験になった。

 ここに君はいない。ぼくは排除したつもりもないが、ある日、彼女を遠退けた。彼女は親と旅行に出掛けていた。ぼくとゆかりという女性は野球を見て、食事をして、寝た。

「若いのに、上手なのね」とゆかりは言う。いまのぼくはお世辞に過ぎないのを知っているが、そのときはただ単純にうれしかった。

 何度かあやまちを犯し、ゆかりが飽きたのか、ぼくの罪悪感が喜びより勝ったのか分からないが、関係は直きに終わった。となりの芝生は青く、現在の芝も曇りもなく華々しく、かつ初々しかった。

 ぼくはまた以前のままの自分に戻る。ぼくには論理だって責められる理由はなく、美点も欠点もうやむやにでき、証拠がないために立証できないことを確信していた。すると、ゆかりが年上の男性と付き合っているといううわさを耳にする。土は丹念に舗装され、もともとあった花や種子は見事に地面の下にかくれた。

 ここに君もいる。ぼくの汚点を信じることさえできない君がいる。より一層、美しくなりつつあるひじりがいる。どうして、ぼくはこのような愚かな迷いを自分に許したのだろう。

 ぼくらはパンとジュースを買い公園で陽を浴びていた。秋は猶予もなく、段々と日を短くする。その分、夜のひじりと長時間いっしょにいることになる。朝のひじりと昼のひじり。夜のひじりは今朝より数時間だけ大人になる。別れたその後の夜中のひじりはぼくのものではない。

「何かいいことあった?」

 と、突然、ひじりが無邪気に質問する。ぼくにとっての良いことは、確実に彼女にも無条件に歓迎されることなのだ。感情は等しさや一致に近づくが、ぼくらの身体は分離される。その肉体の影響が自ずと気持ちにも表れる。

「とくに、ないけど」

「そうなんだ」だが、気にもしなかったように直ぐにひじりは最近、自分に起こったことを楽しそうに話し出した。最後の結末に近づくにつれ、その前に自分でこらえ切れずに吹き出してしまう。到達したはずの話題は少しだけ先延ばしにされる。ちょっとだが我慢して結論を待つ。少しだけ裏切る。それは分量という問題ではなかった。ぼくはゆかりのある一部を空想する。両方を取捨もなくもてる王様のような立場も同時に夢想する。

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