爪の先まで神経細やか

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償いの書(82)

2011年07月17日 | 償いの書
償いの書(82)

「うん、分かった。ひろし君、大きな荷物が届いたけど、勝手に開けちゃった。良かった?」
「あ、言い忘れてた。そうだ」帰りが遅くなることを告げると、裕紀はそう返答した。「帰ってから、説明するね」

 ぼくは、結婚記念日の品を笠原さんの目利きに頼り、デパートに寄っていた。もう何年も経つと、プレゼントの順番は網羅され、なにも思い浮かばなかった。愛という形状は、ぼくらの場合、薄まるようなことが不思議となかった。そういう関係の有無を当然ながらぼくも知っている。それで、ふたりの場合は奇跡だったのだと考えるようにしていた。その為に、どこかに犠牲が強いられるのかもしれず、子どもはぼくらには授からず、彼女の残された家族とぼくの間柄も親しくはなかった。

 品物を選び、ついでに笠原さんにも買った。付き合ってくれたお礼だ。その後、ふたりで食事をした。彼女の交際相手の情報のストックがぼくにでき、同様に裕紀の生き方についてのもろもろのことを笠原さんは知った。そこから反論や尊敬が同性の彼女にはあるらしく、ぼくはそれも楽しくきいた。そこで、ぼくの裕紀への判断はあまり変わることもなく、ただ違ったサイズの鏡を通して、裕紀の一面を覗くようなことはできた。

「ただいま」
「ありがとう!」
「うん、なにが? プレゼントはまだ渡していないよ」そう言って、ぼくは手提げ袋を渡した。彼女はそれを受け取り、袋の隙間から中身を確認するような表情をした。
「違うよ。あの絵。いつから頼んでいたの?」彼女は嬉しそうに目を光らせた。それは涙の予兆なのだろうか?「写真かなにか見て描いたのかしらね」
「なんのこと?」

「だって、そうなんでしょう。良く似てる。うれしかった」彼女は誤解をしていた。ぼくも、似ていると思っていたが、本人はそれ以上に感心しているようだった。そして、本当のことを伝えるべきかぼくはちょっと迷った。誤解をそのままを継続させた方が、彼女の嬉しい気持ちを消してしまう可能性は減った。だが、ぼくはなるべくなら裕紀の前で本音を語ることを誓っていたのだった。

「あれ、やっぱり、そう思ったんだ。ただ、ぼくのお客さんの画廊にずっとかかっていたので、気にかかっていた。ぼくも裕紀に似ているな、とくに、高校生のときになんかにね」ぼくは、そのときの彼女を思い出そうとしてみる。それは意外なことに今日はとくに容易だった。「でも、前から誰かが描いていたもので、仕事がうまくいったご褒美として手に入れた。それから、送ってもらった」
「そうなんだ。もっとロマンチックなことを予想していた」
「がっかりした?」

「そういうわけじゃないけど、そうすると逆に不思議すぎて、なんとなく納得いかない」彼女は実際に不可解というような表情を作っていた。「あれ」彼女は指差し、「わたしに似ているとひろし君も思わない?」
「思ったから、もらったんだよ」
「そうだよね」
 それは、タンスの前にこちらを向いて地面に置かれていた。ぼくは適当な壁を見つけ、それを手に持ちうろちょろした。「この辺にあるといいかな?」
「若い頃のわたしを前にして、こっちを見たら、30代でがっかりしない?」彼女は背中を向けてなにかの用事をしながら、そう言った。

「じゃあ、こっち見てみなよ」彼女は振り向いた。「がっかりしたように、ぼくが見えた?」
「分からない。表情に表さないように努力をしたのかもしれないし」
「そんなこと出来ないよ」
「ラグビーのキャプテンのときはしてた」そして、ぼくは表情も変えず、裕紀のものとを去って、別の女性に向かった。そうならば、やはり過去はそうしていたのだ。だが、彼女はただ事実を告げただけで、意地の悪い意味は持っていなかったらしい。
「してたかな」
「よく世界には何人かの似ているひとがいるっていうけど、ひろし君は信じる?」
「60億人もいるんだから、何人かはいるのかもしれない。全員にあうことができたら、見つけられるかもしれない」
「いないかもしれない」

「ぼくたちが出会う人間なんて限られている。だから、そのひとたちとの関係を深めたり、温かい状態のままにしておきたい」
「わたしも、してるよね。加わってるよね?」
「ぼくが、いつも一番に考えているのは裕紀だよ」たまに、裕紀はこのような言葉を聞きたがり、耳に入れることを望んでいた。ぼくは、それを経験から知り、そうするように努力した。努力はいつの間にか、自分の一部になり自然なものとなった。
「でも、似ているな。今度、おばさんたちにも確認してもらおうかな」
「上田さんや、智美にも」

「そうだね」ぼくは、その絵を手に入れられたことを喜んでいた。逆に贈り主にも感謝のような、またときめきのようなものを感じていた。それは永続するものではないが、火花のように必要なものだったのかもしれない。夏の花火。積もることもないがはしゃがせてくれる子ども時代の雪のように。

 彼女は浴室からでてきて、つるっとした肌でぼくの前を通りかかった。ぼくはその顔を20年近く見てきたのだ。中の何年かはそれは不幸にも知ることはできないが、それでも、あの絵がぼくらの過去と現在を結び付けてくれるような予感があった。さらに未来への大切な架け橋のような役目ももつのだろうという不確かな気持ちも持った。