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償いの書(79)

2011年07月10日 | 償いの書
償いの書(79)

 ぼくらは車に戻り、市街地のほうへ車を走らせた。裕紀は横で少し寝た。その夢のなかにぼくらの思い出が充満している気がした。また、思い出を作ることができない期間があったことも、それがぼくのこころの中の一部分を責めること自体が、運転しているぼくのなかに残っていた。

 ぼくらは適当なレストランの前に車を停め、扉を開け中に入った。裕紀はスパゲティを頼み、炭酸水を飲んだ。ぼくはラザニアとスープを頼み、外の見慣れた景色を眺め、それらを平らげた。

「東京に来る前、同僚と来た店はここだった気がする」ぼくは、ふと思い出したように、そう言った。それは大切な印象深い記憶のしたに隠れていたが、思い出してみると、逆に急に鮮明なものになった。

「そう、思い出の場所だね」
「あの子、どうしているのかな?」何年か前に結婚をするということで仕事を辞めた。北陸のほうに嫁いだが、その後の情報をぼくは持っていなかった。

 ぼくらは、また車に戻った。途中で飲み物を買い、あるグラウンドに行った。そこでは、松田の息子のサッカーの試合が行われる予定になっており、ぼくらはそれを観戦することにしていた。

 試合の始まる前の興奮があり、強い日差しの中をぼくらは階段を登ったり、席を見つけるためにまた下ったりした。そうしている姿を見つけられたのか、幾人かに声をかけられた。

「お、ひろし」その声はぼくがバイトをしていた店の店長だった。
「あ、店長。奥さん」ぼくの呼び方はずっと変わらないようであった。
「なんだ、戻ってるんだったら、まゆみも来ればよかったのに。あいつ、バスケの試合があって来られないんだけど」
「そうですか、またいつか機会はありますよ」

 ぼくらは、自分の席を見つけるため、さらに下った。後方を振り返る松田と那美さんの姿を見つけ、ぼくらはその横に座った。
「久し振り」松田は言った。
「ごぶさたしています」と、裕紀は言った。裕紀はぼくらと違う高校に通っていた。だから、同じ時間を共有したという感覚は少なかった。松田は直ぐに高校を止める運命にあったが、ぼくらはその前に同じ砂の上を走り、たわいもないことで笑い合った関係があった。ぼくらは、その彼の息子の試合を見るほどまでに成長したのであった。

 たくさんの話すべきことはあったが、試合が始まってしまい、ぼくらはそれを見ることに熱中した。ある男の子が急に青年になってぼくの前で勇姿を見せている。それは、過去のぼくの姿のようでもあり、また松田が成し遂げたかった夢の実現のようでもあった。
「子どもって、いいもんだよな」ハーフ・タイムになると、松田はぼそっと口にした。ぼくも同感だが、なんとなく返事ができなかった。

「わたしも、こうしてひろし君を応援してた。まるで、違う世界から来た少年を見守るように」
 ぼくは過去のある日、その視線を意識してグラウンドで活躍できるように励んでいた。また、それと同じように別の女性の目も意識していた。応援されたことに恥じないように頑張ったが、ときにはそれは空回りになり、不甲斐ない姿を見つけられる結果にもなった。だが、そのときの苦みはもうぼくのどこにも残っていなく、ただ甘いものだけが記憶にあった。
 試合を終え、ぼくらはそこをあとにする。

「店長、お店は?」ぼくは再び会った彼にそう問いかける。
「むずかしいこと以外は、バイトの子がしてくれてる。オレは、大体がひとを信用するようにできているから」横で奥さんが笑った。ぼくは、彼に信用された思い出のいくつかを探っている。そして、彼の娘と遊んだ時間がそれの最たるもののような気持ちをもった。

「また、電話でもしますから」と言って、ぼくは彼らから遠退いた。
「まもるも帰ってくるから、きょうは、うちに来てくれよ」と、松田は言った。ぼくは、「そうする」と言って一回、実家にもどった。
 裕紀は姪っ子に会いたがり、彼らが待っているぼくの実家に寄った。生まれたばかりの子どもが、自分独自のものをもつように発達し、またそれは当然のことながら家族の誰かに似たものを受け継いでいく。甥っ子はぼくの幼少期の写真と似たような風貌をもった。とくに帽子を被っている姿など瓜二つと母に言われた。ぼくはそれで愛情を増す楽しさを知るとともに、責任というか何ともいえない縛られるような気持ちも生まれた。彼は、ぼくに似たものをもっているのだから、ぼくはその彼から慕われるような人間にならなければならないというもどかしいような気持ちだ。

 だが、実際はそんなことは意識もせずに、外の空き地でボールを蹴ったり、身体をぶつけ合ったりして遊んだ。その様子を見る母と妹には、言葉にはならないが、ぼくと裕紀にも子どもがいるといいのに、という感想があるようだった。裕紀もその横で姪っ子を抱き、なにかを話しかけていた。その姿は、ぼくの望んでいる形のようにも思えた。だが、それは一瞬の楽しみであり、裕紀はこの状態を直ぐに奪われることになる。

 しばし、遊んだあと、「またね」と裕紀は言って名残惜しそうに別れた。ぼくは迎えに来た松田の車に乗って、彼の家に向かった。