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流求と覚醒の街角(64)途中

2013年10月21日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(64)途中

 ぼくは奈美を待っている。読みかけの文庫を開き、一瞬だけ待っている自分という存在を解放させる。これならば、どこにでも行けるのだ。北欧でスパイを追いかけ、南仏で太陽も浴びられる。だが、そこで肩を叩かれて、品川駅に連れ戻される。ぼくは文庫にしおりを挟む。この作業をぼくは何度もした。すべては、途中で中断される運命が待っていて、それを再開させる喜びがあった。

「なに、読んでたの?」
 ぼくは返事をする代わりに、その本の表紙を見せた。奈美はただ、小さな声で、「ふうん」と言った。風の強い日で奈美の髪は乱れていた。だが、それもぼくの認識不足で無造作というある一点を目指し、そこに到達した髪型かもしれなかった。だから、ぼくは口を噤んでいる。

 ぼくらはある店に入った。奈美はトイレに立つ。戻ってくると、
「やだな、髪、ぐしゃぐしゃになって。この風で」と言ったので、ぼくの第一印象は正解であったのだ。
「でも、似合ってるよ」
「え、どういうこと?」

 ぼくはまた黙る。ぼくの側から中味が見える冷蔵庫があったので、そこに視線を向けた。中には途中までの瓶が所狭しと並べられていた。開けたばかりの風味が消える心配もあった。何事も新鮮である期間があり、適度な馴れ合いの時期もあった。ぼくと奈美もあそこに置かれた瓶の中味のような状態なのかもしれなかった。それは別のものを継ぎ足す必要もあるのかもしれず、飲み切って別の新しいものと段階に移行させることを最優先させるべきかもしれない。だが、ぼくだけの問題でもなかった。

 飲み物の注文をすると、その冷蔵庫の奥から店員が瓶を引っ張り出していた。その際に手前にある数本を外に一旦出し、また閉まっていった。何かを選ぶということはぼくの年代になると、あのような抵抗や摩擦を起こすのかもしれない。

 ぼくらは注がれたグラスを重ねる。奈美は今日、自分に起こったことをかいつまんで話した。ぼくは奈美のきちんと起承転結が構成された話を聞くのが好きだった。彼女ならいずれ母になり、子どもにお話を聞かせるという役割を充分果たすことがいとも簡単に想像された。その子どもはつづきを熱望する。すべては完結しないのだ。途中が居心地の良いものであることも知る。

 空腹を満たして、ぼくらは映画館の遅い上映に間に合わせた。ぼくはその途中でちょっとだけ居眠りをする。金曜の最後は一週間の疲れが出易かった。だが、ぼくはその映画の感想を発表して大衆にアピールする立場でもない。辛うじて意識をきっちりと保つことにも責任は生じない。眠りたければ眠ればいい。だが、それは数分の喪失だけだったのだ。失われたものもほぼない。また途中で目を覚まし、つづきを楽しんだ。

 その後、終電間近の電車でぼくの家に向かった。軽食と飲み物をぼくらは途中のコンビニで購入する。これもまた何度もしたことになっていった。奈美はシャワーを浴び髪を乾かす。顔は幼くなっていた。ぼくも衣服を脱ぐ。歯もみがく。一日経った頬はすこしザラザラしていた。ぼくらはお互いが費やす時間のおおよそを知るようになっていた。ぼくがシャワーを浴び終えれば奈美の髪は乾いているはずだ。ぼくらは喉を潤し、自分たちの存在を確かめ合うことになる。そうしなければもちろんいなくなるわけでもない。無数の過ちを犯しながらも、ぼくには際限もない喜びも与えられるのだ。途中の関係だからこそ、ぼくらはスタート以上の相性も確認し合うことができた。

 奈美は丸まって、ぼくに腕と足を載せ眠っていた。髪は乱れている。小さな声で寝言を言う。深夜のカーテンに隙間があり、外灯の明かりが部屋に侵入している。その先に時計があった。もう深夜だった。これもまた夜という時間の途中だった。ぼくは寝られずにトイレに立つ。奈美の髪を留めるものが洗面台に置かれていた。ひとにとって生活に必要不可欠なものが増えていく。奈美のいくつかのものがぼくの部屋にも置かれている。歯ブラシがあり、お気に入りのコップもあった。その集大成が奈美という人間を浮かばせるのだろうか。ぼくのものも同様に奈美の部屋にいくつかあった。シャツもあった。ぼくが泊まるときに着るTシャツ。専用の箸。ぼくらは痕跡を残し、すべては死までそれらを散在させて生きるのだ。そのひとの証拠はその小さな集まりであった。

 ぼくはベッドにまた入る。奈美をまた元の状態にする。足と腕をぼくの身体の上に乗せる。また小さな呻き声を出した。時計は数分すすんだようだが、その間の数分など人間に重大な変化も与えない。決断をくだす時間でもない。まさに、深夜だ。ぼくはそれでも女性の温もりを感じられるのだ。もしかしたら、目を覚まして奈美と対面しているより、こうして一人用のベッドで窮屈になりながらいっしょに居るほうが時間としては長いようでもあった。ぼくがいちばん知っているのは奈美の寝ている時間。でも、それもぼくもまた記憶がない。夢の途中にいて、その境目を行ったり来たり制御できるほど人間には能力も可能性も与えられていなかった。


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