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流求と覚醒の街角(66)丘

2013年10月26日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(66)丘

 性格に起伏があり過ぎるのは問題だ。穏やかなひと。穏健なひと。すべて、褒め言葉だ。しかし、自然ではある種の高低が彩りを与え、凹凸が美へと通じた。

 ぼくらは欄干から下の流れ行く河川とその周囲の木々を見ていた。せせらぎを聞き、清らかさを全身で受けた。都会がもたない、そして、味わえない美的感覚があり、ぼくらは堪能する。こころゆくまで。

 奈美はソフトクリームを食べた。ぼくはビールを飲んだ。これはもう運転をあきらめるという宣戦布告だった。だが、奈美はいつものことだとのあきらめの視線を向ける。しかし、彼女はもともと運転が好きなのだ。ぼくは、それよりアルコールに傾いた。

 しかし、ただアルコールを摂取するだけなら都会の一日の汚れをはらんだ裏道にも、それなりの美しさがあった。また、ストレスも微量な香辛料になってくれた。自分の不甲斐なさをつまみに、多少の悪口を合いの手にして。それでも、やはり新鮮な空気は何ものにも変え難かった。

「ひげ、のびてるよ」
「休日の男の勲章だよ」
「もう、酔ってるの?」

 ぼくは空いた片方の手の平であごを触る。毎日、定期的にのびるのだから役目はきちんとあるのだろう。だが、いまのぼくには利点のひとつも思い浮かばなかった。奈美に指摘されるぐらいのことしかぼくにとっては重要な意味をもたないのだ。奈美の口元にあった白い丘はもうなだらかなものになっており、こんもりと小さく膨らんだぐらいに減っていた。そう考えるとすべてに角度があった。鋭角なものもあれば、緩やかな傾斜もある。奈美の頬骨。そのうえが赤く塗られている。肩のかたち。ここにも緩やかさがあった。ぼくは足を組みかえる。名残惜しそうな様子で奈美は食べ終えた。

「甘いもの、ずっと嫌いだったの?」
「そんなことないよ。若い頃、子どものころは好きだったよ。毎日、チョコレートを食べても飽きなかった」ぼくは、それをもう何遍も伝えた気がすると思っていた。だが、これからもずっと言いつづける予感もあった。継続して自分のことを伝えられる範疇にいることこそ幸せであるのかもしれない。ぼくは、これが好き。これが苦手。ある日、これダメだったよね? と、再確認のように問われる。なだらかな頂上に向かい、こころはなだらかに親密さを深めていく。すると、ぼくも奈美の好悪を理解しておく必要があった。ストックして、ご機嫌をうかがう。いや、もっと前向きにプレゼントなどにも使える。

 バイクの団体が駐車場に集団でとまった。彼らはひとりに対してひとりの乗り物がある。ガソリンのタンクが描くカーブも傍目に見ると美しいものだった。このぼくが感じている新鮮な空気より、より一層うまいものを彼らは吸っているかと考えてみるも当然のこと答えは出ない。乗り物の無防備な差によって瞬間で判断することが多くなり、そのために神経の深い部分では疲労がことのほか早く蓄積されていく。それは刺激にもなり、疲れのもとともなる。だが、快適な空のもとで受ける疲労など快感の一部なのだ。

「屈強な大男たちがアイスを食べてる」
「だって、酒も飲めないだろう。法律上で」
「そろそろ行く?」

 奈美は運転する側に乗り込み、キーを回した。ぼくはくつろいでとなりに座る。早起きした所為か眠気が襲ってくる。
「あくびって、伝染するよね?」ぼくはあくびを堪えながらそう言った。
「やめてよ、あくびって言葉を聞いただけで、したくなった」

 それから、実際にした。ぼくらは一泊するためのホテルに向かう。もう直ぐそこだ。着いたら仮眠をしてもいい。また車を置いて、その辺を歩いてみることもできるだろう。ぼくは意味もなく車のなかにあった地図を眺める。年齢的なこともよるが、ぼくらには自由があり、行動範囲もその自由ゆえに増していった。ぼくは奈美と行った場所が多くなっていることを知る。日本の地図を眺め、こころのなかで、あそこもだと言った。ぼくは奈美というひとつの対象を知りたかっただけなのだ。結果としては、彼女と自分の馴染みとは別の場所で時間を過ごし、彼女の違った面を知るようになった。総合的には、それも奈美だった。チョコレートを食べなくなった自分も、やはり自分の一部だったのだ。

 ホテルでチェックインを済ませ、部屋に入る。窓のそとは木々が多い。道路も見えなかった。庭にはいくつかの気取ったベンチが置かれていた。
「疲れてなかったら、歩いてみる?」と、ぼくは奈美を誘う。
「いいよ、ちょっと待ってて」

 ぼくは靴が汚れていることを知った。いつ、付着したのだろう。ティッシュを取り、汚れを拭ってゴミ箱に捨てた。靴を脱がなくても許されるところがあり、そのことを疑問にも思わない自分もいた。奈美はバッグを開け、なかの洋服をハンガーにかけた。多分、明日着るものらしい。ぼくには皺の心配をする服もない。無精ひげを気に病む女性もいなかった。礼儀という範囲をぼくはどこかで置き去りにしたのかもしれなかった。ぼくの前でもきちんと服装を整え、化粧や髪型のチェックを入念にして怠らない女性もいた。それは、ぼくのためというより接するひとへの最低限の礼儀のような気もした。幼い頃から両親がきちんと教え諭したのだろうか。
「いいよ、外出よう」と奈美が言った。

 ぼくは、もう一度あごに触れる。奈美の円を基準にした身体。ぼくの直線を多用とする顔の輪郭。丘。ぼくは鍵を手にした。横目で奈美のかけられた明日用の服を見た。その服をデザインしたひとは女性の身体の構造も奈美のそれも充分に知っていると感じられた。だが、ここにいる奈美を独占できるのも、また自分だけだった。


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