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流求と覚醒の街角(61)地図

2013年10月15日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(61)地図

 奈美はガイドブックを見ている。ぼくはとなりで観光案内を見つめていた。これからしたいことがたくさんありながらも、おおよそのルートを決める必要があった。気を長くしていると冬は突然にやってきて、心細さも増していくのだ。大げさに考えれば。

 誰かがいなくなることに不安感をいだきはじめるのはいつごろのことなのだろうか。道に迷うことを恐れ、もう引き返せない立場になったことも知る。焦燥を隠しながら生きるのが大人なのかもしれなかった。

「このガイドブック、古くない? この細い道ないよ」奈美はその箇所を指先でなぞる。ぼくも首を伸ばしていっしょに見た。

「ほんとだ。こんなに早く変わるものかね」と言いながら出版された日付を確認すると、いくらか年数が経過したものであることが分かった。「時間が経ってるね」だからと言って、ルートを決めないわけにもいかなかった。

 ぼくらはさらに簡略化されたパンフレットを観光案内所でもらった。地図と照らし合わせ、案内板でも同じことをして、どうやらそれらしいルートは決まった。それから、また車に乗り込んだ。

 ひとは移動してなにかを見た。それを思い出と呼び、数枚の写真に納めた。写真のなかの奈美はもう変化することはない。誰も許さない。だが、流れつづける現実は小さな変更をひとびとに与えた。与えるという軽いものでもないのかもしれず、それは押し付けるという類いのものなのだろう。ぼくらは静かに受容し、日々の生活ではそれほど意識もしていない。振り返って分かることなのだ。更新前後の運転免許の顔写真の差がはっきりと示すように。

「そのガイドブック、どうしたの?」ぼくは当然の疑問を浮かべる。
「ここに来たことのある友だちにもらった」奈美はその女性の名前を言った。「もう、来ることもないしくれると言ったから、もらったんだ。じゃあ、このおすすめの店とかももうないのかな? おいしいとか言ってたのに」
「どうだろうね。ないと思えばないし、あると思えば、ありそうだし」
「意味深だね」
「さっきのパンフレットにも下とか裏に山ほど店の紹介があるよ」
「隠れた名店じゃないけどね」

 ぼくらは最初の目的の地点で止まり、小さな滝を見るために山道を歩いた。空気はひんやりとして、緑が放つ匂いがあたりにただよっていた。歩いていくと段々と水が流れる音がする。さらに勢いを増すのか流れるというものではなく落下の音になった。

 最後に立ちはだかるように大きな岩があった。ぼくは奈美の腕を引っ張る。すると、目の前に滝があらわれた。そこだけゴツゴツとした岩はなくなり、小さな広間のような平らなスペースになっていた。写真を撮るひとがいて、ただぼんやりと眺めているひともいた。小さな水のしぶきが風によってはこちらに運ばれてきた。すがすがしさというのは、こういう状態を指すのだろう、という見本のような所だった。

 ぼくらは、そこにいるひとにカメラを預け、ふたりの写真を撮ってもらう。ひとは大体が親切になる可能性をもっている存在であり、こういう場所ではかなりの確立でそうなった。

 ぼくらは堪能してそこを後にする。先ほどと違うルートを歩くと、湧き水を大きな入れ物に汲んでいるひとが少なくないほどいた。ぼくは片手をだして手のひらのうえの水を飲んだ。体内が浄化されるような味だった。ぼくはさらにすくってその冷たい水で顔を撫でた。
「どう?」
「気持ちいいよ」

 車に乗ると、奈美は空腹を訴えた。ぼくも同意見だった。あるか分からないがガイドブックのなかの名店を探すことにした。過去に友人が楽しんだもの。もし、あっても同程度のクオリティを保っているかも分からない。オーナーも変わり、メニューも変わっているのかもしれない。でも、あればあったで楽しめるだろう。

 ぼくらは一本外れた道を走っている。看板には動物がでてくる地域であることをイラストによって告げていた。飼い馴らされる動物がいて、奈美はそうしたものが好きだった。でも、ここで大きなものが不意にあらわれたら、その気持ちも撤回することになるだろう。動物園以外で実際に見たこともないが、ぼくらは未知なるものも恐れるのだ。奈美を守れるのはぼくしかいない、と単純に思う。しかし、そう考えている間に店の前まで来ていた。

「あったね?」
「あるね」
「営業してそうかな?」と奈美が心もとなく訊ねる。
「だって、車がそこに停まってるから」

 ぼくらは外に出る。奈美はまだガイドブックを手にしていた。店の名前と外観を見比べていた。奈美の友人はおいしいと言った。ぼくはその女性と過去の女性を同一視した。あの子の味覚をぼくは信頼しているのだろう。ひとがおいしいと感じるものは大まかにいえばいっしょだった。すると、会話とか店の雰囲気とかサービスの気の使い方が大きな要素であることも知る。ぼくらは店をでるときにどこかで採点をしている。だが、扉を開く前はひとの好悪の印象に頼るしかないだろう。ぼくは第三者に異性を紹介してもらい好きになるという経験がなかった。その情報を鵜呑みにもできず、疑うこともできないのだろう。カーテンを開ければ朝日があるように、そこにただ奈美がいたのだ。前の女性もそうやっていたのだ。急にカーテンが閉じられることもある。地図に道がなくなるぐらいなのだから、それも正面で受け止めるしか方法としてはないのだろう。

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